下岩橋城
下岩橋城([本佐倉城 周辺城郭])
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下岩橋城の口コミ情報
2021年06月24日 国府左京大夫城介
後に千葉家当主になった岩橋輔胤の居城
【歴史】
岩橋殿と呼ばれた岩橋輔胤(後の千葉氏21代当主)が築城したと伝わる。ただ、この岩橋輔胤の出自は色々あり、第19代当主の千葉(馬加)康胤の庶子若しくは千葉氏の庶流である馬場氏(千葉氏胤(13代)の子・重胤の子孫)の出身とも言われている。
千葉氏当主になってから本佐倉城を築いていることから、それより前に築城されたと思われる。その後は、本佐倉城の支城として用いられたと考えられる。
【遺構】
本佐倉城から北東3.1kmに位置し、比高20mほどの台地に築かれている。
城の形態は、方形居館をベースに南側には腰曲輪が、北側には深さ5mほどの堀切があり、その先に2郭がある。1郭の東と南にそれぞれ虎口がある。
【感想】
シンプルな方形居館で、中世の典型的な地方豪族の居城といった感じです。また、遺構の状態もかなり良く残っています。この城を紹介していたサイトだと、藪が少ないと書かれていることが多いですが、自分が訪れた時はそうでもなかったです。とは言っても、遺構が埋もれるレベルではないので定期的に整備はされているのかと思われます。写真は基本的に分かりにくいものばかりですが(汗)。ただし、北側の堀切は完全に藪で埋まっており、2郭に行くことができませんでした。
特に説明版といったものはなく、明確な登城口というのはありません。一応、3つの尾根からそれぞれ登れるようですが、自分の場合は東側にある墓地の裏側あたりから登っていきました。
さて、この岩橋輔胤という人物の出自を考えると中々面白いです。歴史の項でも書きましたが、出自がはっきりと分かっていません。岩橋輔胤が千葉宗家を継ぐ頃は、千葉宗家嫡流が一族の馬加氏に滅ぼされ、その翌年には馬加氏が滅ぼされるという位に千葉氏はボロボロの状態になります。そのため、この頃の千葉氏の詳細な資料が存在していないようです。そういう状況で、宗家を継ぐことから、ひとかどの人物だったのだと思います。
【アクセス】
宗吾参道駅から徒歩で5分。
特に駐車場はないので、駅前のコインパーキングを利用するのがいいかと思います。
【写真】
1:1郭東側の虎口(藪で分かりにくいですが…)
2:1郭西側の土塁
3:1郭北側の堀切
4:1郭南側の虎口
5:1郭南の腰曲輪
6:腰曲輪から見た1郭南側の土塁