鹿島城(かしまじょう)

鹿島城の基本情報

通称・別名

吉岡城

所在地

茨城県鹿嶋市城山1(鹿島城山公園)

旧国名

常陸国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

築城主

鹿島政幹

築城年

治承年間(1177〜1181)?

主な改修者

鹿島義幹

主な城主

鹿島氏

廃城年

不明

遺構

土塁、堀

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

島崎城(茨城県潮来市)[7.9km]
津賀城(茨城県鹿嶋市)[8.5km]
小見川城(千葉県香取市)[12.2km]
中居城(茨城県鉾田市)[13.7km]
森山城(千葉県香取市)[15.0km]
小高城(茨城県行方市)[15.3km]
大崎城(千葉県香取市)[16.2km]
阿波崎城(茨城県稲敷市)[18.7km]
桜井城(千葉県旭市)[20.6km]
神宮寺城(茨城県稲敷市)[22.9km]

鹿島城の解説文



鹿島城(かしまじょう)は、茨城県鹿嶋市城山1丁目にあった中世の日本の城。

概要 

常陸平氏の鹿島政幹が平安末期に築いた城である。それ以降鹿島氏の居城となった。本丸の跡地は現在、鹿島城山公園として市民の憩いの場になっている。二の丸跡地は茨城県立鹿島高等学校・附属中学校が立地している。 築城以来、改修や拡大をつづけてきたが、特に知られるのは鹿島義幹による大改修といわれる。 かつて鹿島城の縄張りの東端は現在の鹿島神宮二の鳥居のあたりまでであったという。現在実質的な鹿島神宮の表参道である大町通りは往時の鹿島城内であり、中世においてはここで流鏑馬がおこなわれていたという。天正年間に常陸平氏の国人領主たちが佐竹氏に虐殺されたいわゆる「南方三十三館の謀殺」後に、佐竹氏は鹿島城に兵を差し向け、これを落城させた。佐竹氏は鹿島城の跡地に陣屋を築いたという(鹿島神宮文書)。徳川幕府が成立すると、佐竹氏は国替えになり、元の鹿島氏が再興した。 現在の国道51号線と茨城県道18号茨城鹿島線が交わる鹿島小学校前の交差点の付近に鹿島城の大手門があったと伝わっている。じつに国道51号線は大船津から鹿島神宮に至る道があったのでこれを圧迫する作用もあり、51号線を通す際に空堀を埋めて道路を造った。また県道18号線の鹿島城の縄張り内をとおる部分には鹿島城の堀があったという(鹿島城は二重、三重に掘があったとされる)が江戸時代にはいって「平和の時代には不要」として埋められた。

近年の状況 

現在の鹿島城は本丸跡の鹿島城山公園に若干の遺構を残すのみである。大部分の遺構は様々な事象や理由によって破壊されてしまった。

交通アクセス 

  • JR鹿島線・鹿島臨海鉄道大洗鹿島線鹿島神宮駅より徒歩10分

参考文献 

  • 吉川弘文館 国史大辞典
  • 城城郭研究会/国書刊行会『図説 茨城の城郭』ISBN 4-336-04771-5
  • 鹿島神宮社務所『鹿島神宮文書』ISBN 4-7971-0636-0

鹿島城の口コミ情報

2024年01月31日 昌幸近江守更に吉
林外城[鹿島城  周辺城郭]



鹿嶋市の林城。
林城は外城(とじょう)と中城(なかじょう)があり、このスポットは林外城です。

歴史については先人が詳しく述べられていますので、そちらをご覧になって下さい。

縄張りは多角形の3つの郭から成り、I郭とII郭は非常に高い土塁で囲まれています。特にI郭は一辺まるまる使った櫓台があります。I郭とII郭の間は後世の改変で、堀と土塁を失いました(お陰で土塁の断面を見ることができますが)。
最大の見どころはI・II郭とⅢ郭を分ける大堀切で、横矢懸りが設けられ防御性がさらに高まっています。
Ⅲ郭は非常に大きく、鹿島城で見られるような土塁を用いての郭内の区分けがあります。Ⅲ郭の堀を一周しましたが、折れが多く常に前方が分かりづらかったです。多くの兵を駐屯させてここで食い止めるぞという気迫を感じる郭でした。

残念ながら駐車場はなく、広くなった路肩に駐車しての見学になります。ですが程よい整備で常陸の山城を味わえるおススメの城に間違いありません。

【写真の説明】
①I郭土塁の断面
②II郭虎口。坂虎口だった。
③大堀切
④大堀切とI郭-II郭間の堀切の交わり。
⑤Ⅲ郭内は土塁で区割りされている。
⑥Ⅲ郭を囲う堀
⑦Ⅲ郭の堀は折れを伴う。
⑧遠景

2024年01月23日 昌幸近江守更に吉
塚原館[鹿島城  周辺城郭]



剣聖・塚原卜伝も城主を勤めた城、塚原館。北浦東岸に築かれた平山城です。

塚原氏は鹿島氏の分家で、15代鹿島義幹の4男・重安がはじめて塚原氏を称しました。
ちなみに塚原卜伝は、同じく鹿島一族の吉川氏から入った婿養子だそうです。時の城主・塚原安幹は嫡男を失い、娘の結婚相手にと請われて入りました。
築城年代は不明、佐竹氏に滅ぼされる1591年まで存在したと思われます。

縄張りは北浦方面からの攻撃に対する防御を意識したものになっていて(常陸土岐氏の水軍に攻められた事があるらしい)、湖から谷津を利用した曲がりくねった道が3郭と4郭の間を通り、馬出し的性格の2郭の先に1郭があります。1郭の堀切を挟んだ向かいには外郭と思われる5郭があります。

駐車場はありません。近くの塚原卜伝の墓に駐車場があり、そこから歩いて行った方が良いと思います。
※2024年3月15日まで城跡の隣で古墳の発掘調査を行っていて、私は運良く調査の休みの日に当たり、車を停めさせてもらいました。

鹿嶋市と言えば鹿島アントラーズだけじゃなく、塚原卜伝も推してほしいなーなんて思ってしまいました。
そして写真を見返したら、、、(゚∀゚)
どこの写真だっけ?、、、(°▽°)
自分史上一番訳が分からない写真たち。
好き好んで薮を撮っている訳ではありません。すみませんが心の眼でご覧になって下さい。

【写真の説明】
①谷津からの堀底道。結構幅広い。
②3郭(左)-4郭間の堀。
③2郭の土塁上から。
④2郭から堀底道に繋がる虎口
⑤1郭切岸
⑥1郭の土塁上から。
⑦1郭虎口。中央右から左の凹み。右が2郭
⑧1郭(左)-5郭間の堀。

2023年09月18日 内匠頭のむげん
鹿島城



城山公園の頂上に車15、6台止められる駐車場がある。そこは本丸跡で広場になっており、本丸外周をジョギングされている方が多数。周囲に土塁がわずかに残る程度。駐車場まで上がる道路の途中に、左右に深い堀が確認できました。

2023年01月21日 RED副将軍
鹿島城



巨大な横堀が巡る鹿行衆の鹿島氏の居城🏯

オススメ度 ★★★★★

1181年に鹿島政幹により築かれたと云われます。
鹿島氏は、桓武平氏の系譜の大掾氏一族である吉田氏の庶流です。吉田清幹の子である吉田成幹が鹿島氏を名乗りました。
その子の鹿島政幹が鹿島城を築いて居城とし、その後も代々の鹿島氏の居城となりました、
1591年に佐竹義宣による南方三十三館の仕置によって鹿島晴房は常陸太田城にて謀殺。そして佐竹氏は鹿島城に兵を差し向け落城となり鹿島氏は滅亡しました。

見所
本丸東側の大空堀は、深さ約10m、幅約20mの長大なもの。冬になると夏場は生い茂っていた下草が刈られ全貌が現れていました。
本丸北側にも虎口が残ります。
宅地化により本丸のみ残存。かつての地方豪族の城とは思えない大規模なものでした。
いつ来てもグレーの猫城主様が迎えてくれます。

2022年07月20日 koba下総守
鹿島城



鹿島神宮の近くです。城址公園の入口は道路が狭いので、車の方は駐車場まで注意が必要です。公園内は広くて遊び場があります。北浦の眺めがとても良かったよー。

2022年07月20日 ako安房守
鹿島城



公園があり入り口は、狭いですが駐車場があり 車が止められます。

2022年05月21日 RED副将軍
林外城[鹿島城  周辺城郭]



大掾氏一族の林氏の居城🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。在地土豪である林氏により築かれたその居城とされます。
1589年に林家当主の林弾正忠は家臣によって殺害され林氏は滅亡。これは佐竹氏による南方三十三館の仕置きの際の事件との説もあります。その後、佐竹氏により改修され拠点となったと考えられています。

見所
常陸特有の横矢が掛かった巨大な空堀と土塁が巡ります。横堀の幅と深さ、土塁の高さはかなりの大きさで常陸特有です。

2022年03月02日 戸沢夜叉九郎正樹
鹿島城



外堀が予想以上に見事で感激します。城内は殆ど公園になっておりますが、櫓台跡のような土が盛り上がった箇所があります。徒歩10分で鹿嶋神宮にも行けるのでセットでの訪問をお薦めします。

2021年10月16日 萌魏摂政叡声
鹿島城



JR・鹿島臨海鉄道の鹿島神宮駅から徒歩🚶10分程度。少し坂を登るが、公園にもなっている城跡は、結構広い。利根川の眺望も見事。近くに塚原卜伝の銅像がある。公園にある桜🌸の木「加島立」は、塚原卜伝の旅立ちの由来に基づいている。

2021年10月04日 疲れた人
塚原卜伝の墓[鹿島城  寺社・史跡]



剣聖として知られる塚原卜伝は、延徳元年(1489年)に常陸国一之宮鹿嶋神社の神職卜部家吉川左京覚賢の次男として生まれ、その後、塚原城主塚原土佐守安幹の養子に迎えられ、塚原新右衛門高幹と称します。16歳から武者修行で全国を歩き、戦場や真剣勝負で修練を重ねます。三度目の修業の旅では、京で時の将軍足利義輝や北畠具教などに剣を教えます。その後、再びこの地に戻り、塚原城近くの草庵に住み、弟子たちに剣を指南しながら元亀2年(1571年)に亡くなります。
塚原卜伝のお墓は梅香寺にあったとされますが、今はお寺はなく、お墓があるのみです。(案内板などをざっくりまとめ)

墓所への行き方です。
Googleマップは、塚原卜伝の墓に設定してください。住宅地に大きな看板が出ていますから、入口は迷わないと思います。この大きな看板を曲がると、行き違えない狭い道になりますが、住宅地になっており、普通車で入って行けます。もし、行き違う羽目になったら、アタマを下げて住宅の庭先を使わせていただくか、位置によっては狭い空き地があったりしますので、そこに寄せまくって行き違うしかないと思います(行き違う羽目になることは滅多にない気はいたしますが、参考までです)。
墓所の駐車場は、綺麗に整地されていて、普通車で、5〜6台は置けそうでした。トイレはありません。

お墓は、すごくのどかで静かなところにあります。お手入れがよくされていて、お花がたえたのを見たことがないです。車を駐めてお参りをしたら、卜伝も眺めていたであろう北浦をちょっと散歩するのも気持ちがいいです。

ちなみに、卜伝が城主をつとめていたとされる塚原館(城)はここに車を置いて歩いていくのがオススメです。塚原館としてリア攻めマップに写真を少し出しましたが、まだ口コミを書いていないので、そのうち書こうと思います。いい城でしたから、寄らずに帰るのはもったいないです。

2021年09月15日 さく守刑部卿
鹿島城



単郭状の山ですが城山公園と呼ばれるように主郭は駐車場もあり子供達も遊び雰囲気はいまいちです。何箇所かある階段で昇降できるので縄張りと立体感を味わいました。

2021年05月28日 副将軍こうちゃん播守
鹿島城



JR鹿島神宮駅から徒歩で行きました💨空堀がお見事です😳駅から10分弱です☝️現地、駐車場有りでトイレ有り!!

2021年04月08日 龍馬備中守【感謝】
林外城[鹿島城  周辺城郭]



茨城県の鹿島市にある林外城♪台地から北へ張り出した舌状台地の先端部に築かれています☆環境面、造り方どれをとってもthe・常陸国の城郭です☆

築城年代は不明です☆
ですが林氏が築城したと伝わります☆この林氏は大掾氏の一族です♪ 大掾氏は中世常陸国に勢力を持った一族で軍事貴族であり坂東平氏になります☆
鹿嶋三郎成幹の六男の頼幹が林村に住んだ事、林六郎左衛門と称したのが始まりとされます☆

徳宿城が水戸城の江戸氏に攻撃された際には鹿行下総から徳宿氏の援軍として1500名が出兵この林氏も鹿島氏と一緒に出兵しますが、、徳宿城に500名で守る徳宿氏を守り切る事が出来ず徳宿城は落城☆

天正期には時の城主・林弾正時国が札村で家臣の荒原五郎左衛門によって討たれ滅亡してしまいました☆これは【南方三十三館の仕置き】の時に所領を安堵された佐竹氏によって呼び出しを受け常陸太田に向かう途中に札の渡し場で家臣に殺害されちゃいます。。。恐らく裏では佐竹氏と林氏の家臣・荒原五郎左衛門は既に裏で手を結んでいた…☆行く途中で殺害されてしまう訳なんでそう考えるのが自然かな〜??鹿行衆もろとも滅亡しちゃいました。。
城郭としては巨大な空堀と土塁で区画された広大な郭群が残ります☆外城と中城があります☆外城がこの林外城で中城が林中城です☆2つの城郭は本城と出城の関係として考えられています☆林氏はこの北側の中城を居館としていた様です☆中城は外城よりも北側の大字林の大地上南東端の字中城にあり別名「桂山城」と呼ばれる中世城館跡になります☆では本城と出城の関係は?林氏が居館にしていた中城もかなりの規模です☆
果たしてこんな近隣に規模が同等の城郭が必要なのか?疑問でしかありません☆

中城を居館とした林氏☆では今回のこの林外城は?元々は林氏が築城したのかもしれませんが後に何らかの力が加わってる?と思いました☆恐らく鹿行衆を監視する為の支配拠点に佐竹氏がその後に改修したんじゃ??もしくは南側に構える勢力の千葉氏か?明らかに土木量は豪族が成し得る規模じゃ無いです☆往時の事は現在では誰も見た事が無いし推測でしか無い☆だからこそ面白い訳ですね♪
最大の見所は主要部分と三郭の間の鈎状屈折を伴う土塁と空堀☆2つの城郭を考えながら歩くとより一層城めぐりが楽しくなります♪


2020年12月13日 蔵人頭マックイーン
鹿島城

入り口の空堀でおお、と思いました。公園として整備され、遺構はよくわかりません。佐竹ひどいことしたなどが書いてある奥の看板のあたりは眺望がとてもいいです。駐車場もありますし、徒歩でも簡単に訪問できるので、鹿島神宮参拝の帰りにどうぞ。

2020年08月17日 kazuyou大蔵大輔
鹿島城



本丸の土橋の左右に深い空堀があるのは見事です☝️本丸内は車でも入れる公園になっている。春は桜が咲いて良いですね☝️本丸下には、いくつかの腰曲輪がありますが、遺構はさほど多くないです。

2019年06月09日 愛甲太閤【相模の狂人】
鹿島城



完全に公園になっていて、園内にある土塁状も往時のものか否か見ただけでは分かりません。東側の公園入口付近に巨大な空堀が残っていて、往時の姿が偲ばれます。

2019年05月11日 龍馬備中守【感謝】
鹿島城



鹿島城の空堀☆空堀の規模はカナリ大きい☆現在公園となり遺構は僅かに残るのみ☆周辺散策しながら妄想が膨らんだw

2010年09月05日 た〜右馬頭き〜
鹿島城

鹿島神宮駅
夏のイベントで来ました!

鹿島城の周辺スポット情報

 林外城(周辺城郭)

 塚原館(周辺城郭)

 塚原卜伝の墓(寺社・史跡)

 鹿島城公園駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

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