林外城
林外城([鹿島城 周辺城郭])
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林外城の口コミ情報
2024年01月31日 昌幸太閤耳川の戦い
鹿嶋市の林城。
林城は外城(とじょう)と中城(なかじょう)があり、このスポットは林外城です。
歴史については先人が詳しく述べられていますので、そちらをご覧になって下さい。
縄張りは多角形の3つの郭から成り、I郭とII郭は非常に高い土塁で囲まれています。特にI郭は一辺まるまる使った櫓台があります。I郭とII郭の間は後世の改変で、堀と土塁を失いました(お陰で土塁の断面を見ることができますが)。
最大の見どころはI・II郭とⅢ郭を分ける大堀切で、横矢懸りが設けられ防御性がさらに高まっています。
Ⅲ郭は非常に大きく、鹿島城で見られるような土塁を用いての郭内の区分けがあります。Ⅲ郭の堀を一周しましたが、折れが多く常に前方が分かりづらかったです。多くの兵を駐屯させてここで食い止めるぞという気迫を感じる郭でした。
残念ながら駐車場はなく、広くなった路肩に駐車しての見学になります。ですが程よい整備で常陸の山城を味わえるおススメの城に間違いありません。
【写真の説明】
①I郭土塁の断面
②II郭虎口。坂虎口だった。
③大堀切
④大堀切とI郭-II郭間の堀切の交わり。
⑤Ⅲ郭内は土塁で区割りされている。
⑥Ⅲ郭を囲う堀
⑦Ⅲ郭の堀は折れを伴う。
⑧遠景
2022年05月21日 RED副将軍
大掾氏一族の林氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。在地土豪である林氏により築かれたその居城とされます。
1589年に林家当主の林弾正忠は家臣によって殺害され林氏は滅亡。これは佐竹氏による南方三十三館の仕置きの際の事件との説もあります。その後、佐竹氏により改修され拠点となったと考えられています。
見所
常陸特有の横矢が掛かった巨大な空堀と土塁が巡ります。横堀の幅と深さ、土塁の高さはかなりの大きさで常陸特有です。
2021年04月08日 龍馬太閤【懸かり乱れ龍】
茨城県の鹿島市にある林外城♪台地から北へ張り出した舌状台地の先端部に築かれています☆環境面、造り方どれをとってもthe・常陸国の城郭です☆
築城年代は不明です☆
ですが林氏が築城したと伝わります☆この林氏は大掾氏の一族です♪ 大掾氏は中世常陸国に勢力を持った一族で軍事貴族であり坂東平氏になります☆
鹿嶋三郎成幹の六男の頼幹が林村に住んだ事、林六郎左衛門と称したのが始まりとされます☆
徳宿城が水戸城の江戸氏に攻撃された際には鹿行下総から徳宿氏の援軍として1500名が出兵この林氏も鹿島氏と一緒に出兵しますが、、徳宿城に500名で守る徳宿氏を守り切る事が出来ず徳宿城は落城☆
天正期には時の城主・林弾正時国が札村で家臣の荒原五郎左衛門によって討たれ滅亡してしまいました☆これは【南方三十三館の仕置き】の時に所領を安堵された佐竹氏によって呼び出しを受け常陸太田に向かう途中に札の渡し場で家臣に殺害されちゃいます。。。恐らく裏では佐竹氏と林氏の家臣・荒原五郎左衛門は既に裏で手を結んでいた…☆行く途中で殺害されてしまう訳なんでそう考えるのが自然かな〜??鹿行衆もろとも滅亡しちゃいました。。
城郭としては巨大な空堀と土塁で区画された広大な郭群が残ります☆外城と中城があります☆外城がこの林外城で中城が林中城です☆2つの城郭は本城と出城の関係として考えられています☆林氏はこの北側の中城を居館としていた様です☆中城は外城よりも北側の大字林の大地上南東端の字中城にあり別名「桂山城」と呼ばれる中世城館跡になります☆では本城と出城の関係は?林氏が居館にしていた中城もかなりの規模です☆
果たしてこんな近隣に規模が同等の城郭が必要なのか?疑問でしかありません☆
中城を居館とした林氏☆では今回のこの林外城は?元々は林氏が築城したのかもしれませんが後に何らかの力が加わってる?と思いました☆恐らく鹿行衆を監視する為の支配拠点に佐竹氏がその後に改修したんじゃ??もしくは南側に構える勢力の千葉氏か?明らかに土木量は豪族が成し得る規模じゃ無いです☆往時の事は現在では誰も見た事が無いし推測でしか無い☆だからこそ面白い訳ですね♪
最大の見所は主要部分と三郭の間の鈎状屈折を伴う土塁と空堀☆2つの城郭を考えながら歩くとより一層城めぐりが楽しくなります♪