中居城(なかいじょう)

中居城の基本情報

通称・別名

所在地

茨城県鉾田市中居字城の内1273他

旧国名

常陸国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

中居(鹿島)時幹

築城年

鎌倉時代前期

主な改修者

主な城主

中居氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(中居城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

津賀城(茨城県鹿嶋市)[5.3km]
小高城(茨城県行方市)[9.7km]
徳宿城(茨城県鉾田市)[11.9km]
鹿島城(茨城県鹿嶋市)[13.8km]
島崎城(茨城県潮来市)[13.9km]
芹沢城(茨城県行方市)[14.3km]
阿波崎城(茨城県稲敷市)[20.1km]
宍倉城(茨城県かすみがうら市)[21.5km]
松川陣屋(茨城県東茨城郡)[22.2km]
神宮寺城(茨城県稲敷市)[22.9km]

中居城の口コミ情報

2020年10月19日 龍馬備中守【天下布武】
野友城[中居城  周辺城郭]



茨城県の鉾田市にある野友城☆地元の方に怪しまれ無い様w声を掛ける様にしてるんですが地元の方曰く『のども』とも呼ぶ様です☆常陸木崎城の武田氏の支城となります☆野友城は武田信房が築城しました☆佐竹氏にの『南方三十三館の仕置き』により武田氏は滅亡してしまいました☆同時に廃城となってしまいました☆城としては一段と高まった主郭を中心にして三面に深い横堀をグルリと回します☆主郭下の西側の部分のみ切岸で防御☆
こちら側はわりかし広い削平地になっていて副郭部分☆主要な郭は大きくはこの二つとなります☆登城道から行くと最初に出くわす虎口の土塁は侵入者を防ぐ様、横に二重、三重に築かれていて横堀を造ります☆
鋭い切岸に深い横堀、高い土塁は必見です☆
※南方三十三館の仕置きとはこの地を領した鹿島氏・行方氏を主家として緩やかな主従関係にありそこに居館を『南方三十三館』と呼びました☆鹿島衆・行方衆の勢力は度々佐竹氏の軍事指揮下に入れられて行きます☆
豊臣秀吉は佐竹義宣に常陸・下野を安堵します☆中々言う事を聞かない鹿行衆…でも共に戦った豪族達…更に領地を拡げたい佐竹氏の勢力は増し水戸城の江戸氏を滅ぼします☆
その勢いのままに鹿島衆・行方衆を常陸太田城へ招き入れ謀殺します☆
梅見や茶会に招待、知行割りを発表するとして招いたと伝わります☆酒も入り宴もたけなわとなった時、佐竹氏の手勢が宴会場に乱入し皆殺しにしたとも伝わります☆その時謀殺されたのが『鹿島殿父子、カミ、島崎殿父子、玉造殿父子、中居殿、釜田殿兄弟、アウカ殿、小高殿父子、武田殿、そして手賀殿兄弟』の16名☆
※「島崎殿」は島崎城の島崎義幹、「玉造殿」は玉造城の玉造重幹、「中居殿」は中居城の中居秀幹、「釜田殿」は烟田(かまた)城の烟田通幹、「アウカ殿」は相賀(おうが)城主を指すのでしょうが名は不詳☆「小高殿」は小高城の小高治部大輔、「手賀殿」は手賀城の手賀高幹、「武田殿」は木崎城の武田信房…城主の居ない城の多くは戦わずして降伏☆鹿島城、𤇆田城、玉造城は徹底抗戦はしたものの落城☆悲しい歴史を持つ南方三十三館の仕置きでした☆リア攻めマップはギリギリ入るか入らないかの所だった為山裾にポイント合わせてます♪Googleマップで入れたら直ぐに出るので是非是非行かれてみて下さいね♪

2020年10月16日 龍馬備中守【天下布武】
相賀城[中居城  周辺城郭]



茨城県の行方市にある相賀城♪最初に築かれたのは古く平安時代となります☆逢賀三郎親幹が築城したと伝わります☆戦国時代には手賀氏によって再建され相賀城と呼ばれる様になりました☆がしかし佐竹氏によって攻め落とされたと思われます☆

南方三十三の仕置きの中にも手賀氏、相賀氏の名前らしきものが残ります…☆アウガ氏が恐らく相賀氏☆この辺りの歴史はあまり分かっていません☆いつの世も勝者の歴史は明確に残りますが敗者の歴史は…☆だからこそ華々しく負けの美学☆好きなのかも☆

※南方三十三館の仕置きとはこの地を領した鹿島氏・行方氏を主家として緩やかな主従関係にありそこに居館を『南方三十三館』と呼びました☆鹿島衆・行方衆の勢力は度々佐竹氏の軍事指揮下に入れられて行きます☆豊臣秀吉は佐竹義宣に常陸・下野を安堵します☆中々言う事を聞かないでも共に戦った豪族達…更に領地を拡げたい佐竹氏の勢力は増し水戸城の江戸氏を滅ぼします☆

その勢いのままに鹿島衆・行方衆を常陸太田城へ招き入れ謀殺します☆梅見や茶会に招待、知行割りを発表するとして招いたと伝わります☆酒も入り宴もたけなわとなった時、佐竹氏の手勢が宴会場に乱入し皆殺しにしたとも伝わります☆その時謀殺されたのが『鹿島殿父子、カミ、島崎殿父子、玉造殿父子、中居殿、釜田殿兄弟、アウカ殿、小高殿父子、武田殿、そして手賀殿兄弟』の16名☆

※「島崎殿」は島崎城の島崎義幹、「玉造殿」は玉造城の玉造重幹、「中居殿」は中居城の中居秀幹、「釜田殿」は烟田(かまた)城の烟田通幹、「アウカ殿」は相賀(おうが)城主を指すのでしょうが名は不詳☆「小高殿」は小高城の小高治部大輔、「手賀殿」は手賀城の手賀高幹、「武田殿」は木崎城の武田信房…城主の居ない城の多くは戦わずして降伏☆鹿島城、𤇆田城、玉造城は徹底抗戦はしたものの落城☆

2020年07月08日 水天一碧
札城[中居城  周辺城郭]

駐車場は札公民館をお借りすると便利かと思います。札公民館から見える山が札城です。そこからまずは安福寺に向かって歩きます。札公民館、安福寺ともGoogle マップに登録がありますから参考にしてください。公民館から安福寺は、ほんの数分の距離です。
安福寺に入ると正面に見える坂道がすでに城内です。坂道を左に上がると主郭です。神社の鳥居があり、すぐ右手に空堀が見えますが、そこが見所ではありません。そこの空堀は回り込んで見るべき場所です。神社裏を降りて空堀の方へと回り込みます。竹藪の中に、二重?三重堀にも見える巨大な土の遺構が待ち受けています。藪というほどでもありませんから、ぜひ回り込んで見て欲しいです。(神社側手前から堀に入り込んで同じ場所に行くには倒れた竹が重なりすぎてかなりきつい…というかめんどくさいと思います。)
安福寺の坂道を右手に上がるとエトク屋敷になります。そこに行きがてらの山の中は削平されてうっすらと段差があり、他にも凹んだ場所は堀のようにも見えなくはないかな。縄張り図にはありませんがどんなお城か想像するとワクワクします。エトク屋敷は今は畑になっており、今から収穫が楽しみなおいしそうな野菜が作付けされていました。
そこから来た道を引き返し、普門寺がある三郭を見に行きます。今は大半が墓地になりますが、盛り上がった箇所は櫓台みたいに見えなくもないですし、またまた想像をかきたてられます。普門寺の階段から見える北浦も綺麗です。
2時間の見学時間で、茨城の土の城はヤバいなと実感できる城です。小幡城ばかりクローズアップされがちですが行くところに行けば、同じかそれ以上の規模の土の城、揃ってます✨

※ただし藪狩り必須で、めちゃくちゃ頑張っても藪が濃すぎて城域全てを見れない場合もあります…

2020年07月07日 龍馬備中守【天下布武】
札城[中居城  周辺城郭]



茨城県の鉾田市にある札城(ふだじょう)☆

築城年代は分かってません☆札氏によって築かれたと伝わります☆札氏は常陸大掾氏の一族で馬場繁幹が札を領した事に始まります☆その子、幹高が札氏を称しました☆

札幹繁は佐竹義宣の「南方三十三館仕置き」によって謀殺されそうになったが逃れました☆でも小里村に蟄居したが病死して札氏は滅亡してしまいます☆

※南方三十三館の仕置きとはこの地を領した鹿島氏・行方氏を主家として緩やかな主従関係にありそこに居館を『南方三十三館』と呼びました☆
鹿島衆・行方衆の勢力は度々佐竹氏の軍事指揮下に入れられて行きます☆
豊臣秀吉は佐竹義宣に常陸・下野を安堵します☆中々従わない大掾氏の親族達はそこに生きました☆更に領地を拡げたい佐竹氏の勢力は増し水戸城の江戸氏を滅ぼします☆
その勢いのままに鹿島衆・行方衆を常陸太田城へ招き入れ謀殺します☆
梅見や茶会に招待、知行割りを発表するとして招いたと伝わります☆
酒も入り宴もたけなわとなった時、佐竹氏の手勢が宴会場に乱入し皆殺しにしたとも伝わります☆その時謀殺されたのが『鹿島殿父子、カミ、島崎殿父子、玉造殿父子、中居殿、釜田殿兄弟、アウカ殿、小高殿父子、武田殿、そして手賀殿兄弟』の16名☆

※「島崎殿」は島崎城の島崎義幹、「玉造殿」は玉造城の玉造重幹、「中居殿」は中居城の中居秀幹、「釜田殿」は烟田(かまた)城の烟田通幹、「アウカ殿」は相賀(おうが)城主を指すのでしょうが名は不詳☆「小高殿」は小高城の小高治部大輔、「手賀殿」は手賀城の手賀高幹、「武田殿」は木崎城の武田信房…

城主の居ない城の多くは戦わずして降伏☆
鹿島城、𤇆田城、玉造城は徹底抗戦はしたものの落城☆悲しい歴史を持つ南方三十三館の仕置きでした☆


2020年07月06日 水天一碧
中居城

中居城の看板の場所はGoogleマップで確認できますが小さいから見落としやすいです。(看板に鳥瞰図が出ていますが念仏堀の先が描かれていませんから注意してください。)
そこから民家二軒の脇を抜けてすぐに城に入れます。看板の辺りに路駐するのは小さな集落内でなかなか目立って通報されかねずオススメしません。
中居城の看板から見て、ゴミ捨て場の銀色のカゴが見える角を曲がり、少し山へ行くと左手にお寺が見えます。六体並んだお地蔵様がお迎えしてくれます。駐車場はそこをお借りしました。お寺の建物の前に止めました。お寺の名前は失念しました…(ちなみに駐車して辺りを見渡すと、ここも砦のような、出城のような場所なんじゃないかなあとなんだか想像したくなる雰囲気です)
さて、城内はみんなが見たい?念仏堀の先にもまだ遺構があり、丁寧に作られた良い城です。念仏堀の大きさは尋常じゃありません。もはや谷です。藪がかなり酷いところもありますが遺構が本当に素晴らしく、藪ごときで断念なんてありえない城です。縄張り図片手に堀に沿って歩いて行くとわりと迷いにくいかと思います。
行くなら、城域を隅々まで見るべき城だと思います。だいたい、2時間くらいたっぷり楽しめました。
城への入り口は看板のところからしかありませんから、奥に突っ込んだら、おとなしくまた引き返しましょう。
民家の裏に出てしまうので横切らないようにしてくださいね。

2017年05月25日 立花飛騨守
中居城

中居城跡入り口の小さな看板が出ていますが、車だと見落としやすいかも。

同じく小さな鳥瞰図付きの看板があります。

大手から登り始めてすぐに竪堀、横堀、主郭手前にも竪堀と見事な横堀があります。

曲輪内部は、倒木や下草でやや荒れています。隅々まで探索するなら、冬場をオススメします。

2016年10月19日 まー刑部卿
中居城

城周辺の住民の方に看板出てると言われたが暗くなってわからず。

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