松川陣屋(まつかわじんや)

松川陣屋の基本情報

通称・別名

所在地

茨城県東茨城郡大洗町成田町

旧国名

常陸国

分類・構造

陣屋

天守構造

なし

築城主

松平頼貞

築城年

元禄15年(1702)

主な改修者

主な城主

松平氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板(松川藩陣屋墓地の由来)

周辺の城

祝町向洲台場(茨城県東茨城郡)[7.7km]
吉田城(茨城県水戸市)[9.3km]
武熊城(茨城県水戸市)[10.2km]
徳宿城(茨城県鉾田市)[11.0km]
水戸城(茨城県水戸市)[11.1km]
武田氏館(茨城県ひたちなか市)[11.2km]
小幡城(茨城県東茨城郡)[11.8km]
見川城(茨城県水戸市)[12.5km]
飯沼城(茨城県東茨城郡)[13.6km]
河和田城(茨城県水戸市)[14.4km]

松川陣屋の口コミ情報

2024年04月08日 マグロ常陸介祐平
宮ヶ崎城[松川陣屋  周辺城郭]



県道大洗友部線を涸沼沿いに走っていると、左側に大きな宮崎城跡の案内板(写真8枚目)が見えます。案内板付近の駐車スペースに車を止め、畑の道を進むと主郭に出ます。

主郭は虎口の右側の土塁と土塁に沿って農作業用の車道となった空堀があります。空堀は郭に沿って左に折れて突き当たりは切岸になっており堀切のように見えます(写真1枚目)。おそらく切岸が後退したものと思われます。

主郭はキレイな方形で、城址整備の記念碑と標柱が建っています。石碑の裏は2~3mの空堀が虎口左側を除き囲っています。北側から西側にかけては薮が酷くぬかるんでおり歩ける状況ではありません(写真6枚目)。

城は、鹿島成幹の孫の家幹が付近に土着し、子孫が詰城として築いたようですが、現在の遺構は、上杉禅秀の乱で宮崎氏が江戸氏・烟田氏に敗れた後に江戸氏によって整えられたもののようです。案内板の縄張図のように城域は広く、旧道沿いの鹿島神社の手前の廃寺から続く道の脇にも、土塁らしき土盛りが見られます(写真7枚目)。

主郭そばで作業をされていた方は、保存会が数年のうちに城域を整備すると仰っていました。見やすいお城になると思います。

2024年02月25日 上野介のむげん
松川陣屋



駐車場は墓地看板付近に3台程度駐車可能。水戸藩の支藩の徳川家末裔の館の跡地。現在は墓地として、また本丸付近は宅地や田畑になっており、遺構は確認できず。丘陵や車道が、土塁や堀跡なのかと、想像力を働かせましょう。

2024年02月19日 国府左京大夫城介
小館館[松川陣屋  周辺城郭]



見事な横堀が残る大館の出城

【歴史】
築城者・築城年代は共に不明。

【遺構】
涸沼駅の北東730m(大館から北に60m)に位置する台地(標高15m)に築かれた単郭の出城です。
主郭は横矢掛けができる土塁で囲われており、所々土塁に切れ目が入っている。北東付近は枡形のような構造になっている。
主郭下は横堀で一周しており、南東側に虎口(登城口)があり、その傍らの土塁はかなり厚く施されている。また、北東部には竪堀が残っている。

【感想】
大館と比較すると、藪は少なく、遺構はかなり良好に残っています。特に横堀は深く、折れがあるなど、かなり守りを固めていることが分かります。現状だと、虎口に該当する箇所が斜面を少しよじ登らないといけない場所にあり、居住よりは守るための場所であることを知らしめてくれます。主郭内も折れを意識した土塁や枡形があるなど、単郭でありながら、見所の多い城です。

【アクセス】
涸沼駅から徒歩5分。

【写真】
①虎口(南東)
②③④横堀
⑤竪堀
⑥主郭の虎口
⑦主郭
⑧枡形付近

2024年02月15日 国府左京大夫城介
大館館[松川陣屋  周辺城郭]



涸沼の畔に築かれた居館跡

【歴史】
築城者・築城年代共に不明。

【遺構】
涸沼駅から北東530m程に位置する台地(標高15m)に築かれており、4つの郭で構成された城と思われる。
各郭間には空堀と土塁で区切っており、外周には腰曲輪が設置されている。北側と南側には折れを伴った横堀が、南側斜面には竪堀が残っている。おそらく西側にも本来遺構があったようだが、県道が作られた際に台地ごと破壊されたと思われる。

【感想】
城の内部である各郭は耕地化されたため、かなり遺構が壊された上に、耕地として破棄され侵入を完全に拒む藪と化しているため、遺構を把握するのは極めて難しいです。南側の横堀や北東付近の一部だけは何とか遺構が確認できる状態です。横堀自体はそれほど深くはないため、あまり常陸の城っぽくないと思ったりしています。
北側にある小館は、この大館の出城にあたる役割を担っているものと思われます。

史料がないため、誰が築いたのかは不明ですが、城の構造からして戦国時代に築かれた城であることは間違いないと思います。16世紀前半であれば、この辺りは江戸氏が支配していたので、江戸氏が涸沼の水運を抑えるために築いたのではないかと推測しています。

登城口は南側に台地に登る農道があるので、そこから入る形になります。東側は先人の口コミのとおり、前述の農道をそのまま東へ進み、杉林から入っていけばたどり着くことができます。

【アクセス】
涸沼駅から徒歩4分。

【写真】
①登城口
②竪堀
③横堀(南側)
④城内
⑤横堀(東側)
⑥横堀(北側)
⑦2郭の土塁

2024年01月20日  鬼常陸介義重
小館館[松川陣屋  周辺城郭]

大館館から低地を挟んで北側に築かれた城。大館同様不明な点が多いですが、Ⅰ郭東側の空掘や腰郭、塁線上に櫓台と思われる厚く盛られた土塁が確認できます。
またⅠ郭北東には枡形の突出部もあり見所は多いです。

2024年01月20日  鬼常陸介義重
大館館[松川陣屋  周辺城郭]

城主など不明な点が多い城跡ですが、主郭北側やⅢ郭南側の空堀や土塁は規模残り具合とも良好です。
最終的には江戸氏では?とも言われているようですが、現地に来ると実感できるほどです。

2023年11月09日 豊嶋武蔵守カッチャン
宮ヶ崎城[松川陣屋  周辺城郭]



涸沼湖沿いの国道16号に入口があり、案内板もあります。
本郭以外は、畑となっておりますので見学時は、迷惑にならないように気を付けてください。
遺構は、本郭に虎口と土塁が確認できます。
案内板を見ますと、堀も確認出来ますが、藪が深く確認へいけませんでした。
草が枯れて藪が薄くなる冬に見学するのがお勧めだと思います。

2022年03月27日 マグロ常陸介祐平
松川陣屋



周りを探索しましたが、遺構は見あたりませんでした。墓地には院殿大姉の戒名が刻まれた立派な墓があり、藩主の正室か側室のものと思われます。

2016年10月19日 まー刑部卿
松川陣屋

松川陣屋を指している地図だと畑になっていた。しばらく付近を歩いていると道祖神社裏に藪で覆われた空堀があった。駐車場はないため路駐。松川陣屋墓地はほとんど墓がなく閑散としていた。高台のほうには古い墓石があった。

2010年06月20日 半日皇帝下野守
松川陣屋

現在は、集団墓地になっている模様です。

松川陣屋の周辺スポット情報

 説明碑(碑・説明板)

 宮ヶ崎城(周辺城郭)

 網掛館(周辺城郭)

 大館館(周辺城郭)

 小館館(周辺城郭)

 豊姫稲荷神社(寺社・史跡)

 墓地駐車場(駐車場)

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