祝町向洲台場(いわいまちむこうずだいば)
祝町向洲台場の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 台場
天守構造
- なし
築城主
- 水戸藩
築城年
- 文久3年(1863)
主な改修者
- -
主な城主
- 水戸藩
廃城年
- -
遺構
- 土塁
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
松川陣屋(茨城県東茨城郡)[7.7km]
武田氏館(茨城県ひたちなか市)[8.6km]
吉田城(茨城県水戸市)[9.7km]
武熊城(茨城県水戸市)[9.9km]
水戸城(茨城県水戸市)[10.8km]
多良崎城(茨城県ひたちなか市)[11.2km]
見川城(茨城県水戸市)[13.9km]
河和田城(茨城県水戸市)[16.5km]
石神城(茨城県那珂郡)[16.7km]
長者山城(茨城県水戸市)[16.7km]
祝町向洲台場の解説文
祝町向洲台場の口コミ情報
2022年03月27日 マグロ常陸介祐平
祝町向洲台場
河口の高台で、台場の立地に適した場所です。木製の碑はありますが案内板は撤去されたのか見つかりませんでした。近くの願入寺は、水戸藩及び連枝の藩から何人も輿入れをしている浄土真宗の古刹で、立派な山門が残っています。
2021年10月20日 ファン掃部助トム治郎
祝町向洲台場
ラブホと鴎松亭の間の小径をすすむと地図上のポイントになります。夜でしたので潮騒の音色をききながら水戸藩の勇姿を想像しました。
2021年10月15日 萌魏関白叡声
祝町向洲台場
台場に向かうには、海側のアクアワールド(大洗水族館)側からではなく、陸側の鴎松亭脇から入る。松が繁り眺望は良くはない。
2020年06月21日 水天一碧東方之衆
磯浜海防陣屋[祝町向洲台場 周辺城郭]
Googleマップに日下ヶ塚古墳で登録あります。ここでは陣屋の最高所でマークしてます。
駐車場は大洗町役場が無難です。古墳周りは住宅街で駐車場はありません。役場から徒歩で10分かかりません。(陣屋に入るための狭い坂道を歩いている時にすれ違ったレヴォーグは道幅にぴったりでした。路駐も諦めてください)
異国船に対処するための陣屋でしたが、天狗党の乱で占拠され、幕府軍の砲撃により鎮圧するも、以後、再建されることはなかったそうです。
1番高い平坦地の写真だけ挙げましたが、右奥にはかなり高低さをつけた平坦地が連なっています。上の平坦地に行くための虎口?階段のようなスロープ?がついているらしいんですが藪写真にしかならず。
ちなみに、昨年、すぐ近くにある車塚古墳などと合わせて、磯浜古墳群として国指定史跡になりました。古墳が好きな方にもオススメの場所です。
2019年05月02日 陸奥守ヒロティー
祝町向洲台場
海辺の小高い丘の上に看板があるだけでした。奥に見えるのはアクアワールド・大洗水族館です。
さすがは海辺。よほど強い風に晒されたのでしょう。鉄製の看板部分が枠から外れて、裏返しになって落ちていました。
幕末期に水戸藩主徳川斉昭公が、設置させた砲台の跡です。
概要
那珂川の河口近く右岸の高台、アクアワールド大洗のすぐ西側に位置する。現在は跡地全体が砂防林として松林になっているが、地形は当時の名残をよく残している。
南北約200メートル、東西約90メートルと大きな台場で、常陸国では最大規模のものであった。
歴史
水戸藩主であった徳川斉昭が天保11年(1840)に自領に戻った際、沿岸防備のために築造を意図した。その後、安政2年(1855)より縄張りが始められ、文久3年(1863)頃に築造された。
本来の目的である海防のためには利用されたなかったが、元治元年(1864)の天狗党の乱においては那珂湊に陣取る諸生党を攻撃するため、この台場から大砲が発射された。
交通
・東水戸道路・水戸大洗ICより約15分。付近に県営駐車場(約1,000台収容、24時間営業)あり・ひたちなか海浜鉄道・那珂湊駅より茨城交通バス(50番 茨大前営業所行き)で約7分
・鹿島臨海鉄道大洗鹿島線・大洗駅より海遊号(アクアワールド・大洗ルート)で約15分
参考文献
・祝町向洲台場跡現地説明板。・大洗町役場webサイト(http://www.town.oarai.lg.jp/)。