祝町向洲台場(いわいまちむこうずだいば)
祝町向洲台場の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 台場
天守構造
- なし
築城主
- 水戸藩
築城年
- 文久3年(1863)
主な改修者
- -
主な城主
- 水戸藩
廃城年
- -
遺構
- 土塁
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
松川陣屋(茨城県東茨城郡)[7.7km]
武田氏館(茨城県ひたちなか市)[8.6km]
吉田城(茨城県水戸市)[9.7km]
武熊城(茨城県水戸市)[9.9km]
水戸城(茨城県水戸市)[10.8km]
多良崎城(茨城県ひたちなか市)[11.2km]
見川城(茨城県水戸市)[13.9km]
河和田城(茨城県水戸市)[16.5km]
石神城(茨城県那珂郡)[16.7km]
長者山城(茨城県水戸市)[16.7km]
祝町向洲台場の解説文
祝町向洲台場の口コミ情報
2025年03月28日 おかっぴき
祝町向洲台場
台場の駐車場は水族館に停めました。(無料)説明板は道路沿いにあり碑は少し離れた土塁上にあります。土塁が残り散歩がてらに歩くと良いでしょう。
2024年12月16日 マグロ常陸介祐平
平戸館(平貞盛居館)[祝町向洲台場 周辺城郭]
平安時代後期頃からこの地を治めた大掾氏の一族の平戸(石川)氏が、応永年間(1394~1428年)に築いた居館です。標高3mという低地ですが、この地は「平津駅家」という水陸交通の要所として官営の施設があっとされる場所で、支配拠点としてのメリットから選ばれたようです。平戸氏は、平安時代から、主を変えながら生き抜いて、佐竹氏が秋田に移ると帰農しますが、後に水戸藩に仕官し明治維新を迎えたようです。天文期に水戸氏から安堵された所領は10貫文と大身ではありませんが、逞しい一族です。
お城は南北約170m、東西約80mで2つの郭で構成されていたようですが、現在は南側の主郭は消滅し、2郭の道路となった東側を除く吉田神社を囲む空堀と低い土塁が残っています。
2024年12月15日 マグロ常陸介祐平
富士ノ上館[祝町向洲台場 周辺城郭]
那珂湊港が一望出来る橿原神社が城址となります。お城の城主や来歴などは伝わっていないようです。
お城は、台地の先端に位置しており、神社の左右に高さ2m程の土塁があり、右側の土塁には虎口状の開口部が見られます。土塁の外側に堀状の溝は確認出来ません。おそらく単郭です。神社自体は寛文12年(1672年)に市内の明神町(旧宮山町)から遷宮していますので、何らかの城跡に遷宮された可能性はあるように思えます。境内の発掘調査では拝殿手前と左側から弥生時代の住居跡、社殿の左側と背後から古墳時代後期の住居跡が見つかっており、戦国期のものは出ていないようです。
お城としては厳しい状況です。
橿原神社は、奈良時代の和銅年間に涸沼湖畔の石崎に創建されたと伝わる古社で、旧社格は県社となります。平国香により桓武天皇と崇道天皇(早良親王)を合祀され、柏原大明神と称されていたようです。また、水戸徳川家の崇敬を受けており、光圀、治保、斉昭が参拝しています。
2024年06月02日 シゲ越後守豊右衛門
祝町向洲台場
リア攻めは大洗アクアワールド駐車場からすぐに体験できる
砲台とかないけど、陣形はわかります。内側からだと私有地等で見にくいが、駐車場からだと松林があるものの実体験できる
2022年03月27日 マグロ常陸介祐平
祝町向洲台場
河口の高台で、台場の立地に適した場所です。木製の碑はありますが案内板は撤去されたのか見つかりませんでした。近くの願入寺は、水戸藩及び連枝の藩から何人も輿入れをしている浄土真宗の古刹で、立派な山門が残っています。
2021年10月20日 ファン掃部助トム治郎
祝町向洲台場
ラブホと鴎松亭の間の小径をすすむと地図上のポイントになります。夜でしたので潮騒の音色をききながら水戸藩の勇姿を想像しました。
2021年10月15日 萌魏太閤叡声
祝町向洲台場
台場に向かうには、海側のアクアワールド(大洗水族館)側からではなく、陸側の鴎松亭脇から入る。松が繁り眺望は良くはない。
2019年05月02日 式部卿ヒロティー
祝町向洲台場
海辺の小高い丘の上に看板があるだけでした。奥に見えるのはアクアワールド・大洗水族館です。
さすがは海辺。よほど強い風に晒されたのでしょう。鉄製の看板部分が枠から外れて、裏返しになって落ちていました。
幕末期に水戸藩主徳川斉昭公が、設置させた砲台の跡です。
概要
那珂川の河口近く右岸の高台、アクアワールド大洗のすぐ西側に位置する。現在は跡地全体が砂防林として松林になっているが、地形は当時の名残をよく残している。
南北約200メートル、東西約90メートルと大きな台場で、常陸国では最大規模のものであった。
歴史
水戸藩主であった徳川斉昭が天保11年(1840)に自領に戻った際、沿岸防備のために築造を意図した。その後、安政2年(1855)より縄張りが始められ、文久3年(1863)頃に築造された。
本来の目的である海防のためには利用されたなかったが、元治元年(1864)の天狗党の乱においては那珂湊に陣取る諸生党を攻撃するため、この台場から大砲が発射された。
交通
・東水戸道路・水戸大洗ICより約15分。付近に県営駐車場(約1,000台収容、24時間営業)あり・ひたちなか海浜鉄道・那珂湊駅より茨城交通バス(50番 茨大前営業所行き)で約7分
・鹿島臨海鉄道大洗鹿島線・大洗駅より海遊号(アクアワールド・大洗ルート)で約15分
参考文献
・祝町向洲台場跡現地説明板。・大洗町役場webサイト(http://www.town.oarai.lg.jp/)。