祝町向洲台場(いわいまちむこうずだいば)

祝町向洲台場の基本情報

通称・別名

所在地

茨城県東茨城郡大洗町磯浜町

旧国名

常陸国

分類・構造

台場

天守構造

なし

築城主

水戸藩

築城年

文久3年(1863)

主な改修者

主な城主

水戸藩

廃城年

遺構

土塁

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

松川陣屋(茨城県東茨城郡)[7.7km]
武田氏館(茨城県ひたちなか市)[8.6km]
吉田城(茨城県水戸市)[9.7km]
武熊城(茨城県水戸市)[9.9km]
水戸城(茨城県水戸市)[10.8km]
多良崎城(茨城県ひたちなか市)[11.2km]
見川城(茨城県水戸市)[13.9km]
河和田城(茨城県水戸市)[16.5km]
石神城(茨城県那珂郡)[16.7km]
長者山城(茨城県水戸市)[16.7km]

祝町向洲台場の解説文

祝町向洲台場(いわいまちむこうずだいば)は、茨城県東茨城郡大洗町にあった幕末の台場である。

概要 

那珂川の河口近く右岸の高台、アクアワールド大洗のすぐ西側に位置する。

現在は跡地全体が砂防林として松林になっているが、地形は当時の名残をよく残している。

南北約200メートル、東西約90メートルと大きな台場で、常陸国では最大規模のものであった。

歴史 

水戸藩主であった徳川斉昭が天保11年(1840)に自領に戻った際、沿岸防備のために築造を意図した。

その後、安政2年(1855)より縄張りが始められ、文久3年(1863)頃に築造された。

本来の目的である海防のためには利用されたなかったが、元治元年(1864)の天狗党の乱においては那珂湊に陣取る諸生党を攻撃するため、この台場から大砲が発射された。

交通 

・東水戸道路・水戸大洗ICより約15分。付近に県営駐車場(約1,000台収容、24時間営業)あり
・ひたちなか海浜鉄道・那珂湊駅より茨城交通バス(50番 茨大前営業所行き)で約7分
・鹿島臨海鉄道大洗鹿島線・大洗駅より海遊号(アクアワールド・大洗ルート)で約15分

参考文献 

・祝町向洲台場跡現地説明板。
・大洗町役場webサイト(http://www.town.oarai.lg.jp/)。

祝町向洲台場の口コミ情報

2022年03月27日 マグロ常陸介祐平
祝町向洲台場



河口の高台で、台場の立地に適した場所です。木製の碑はありますが案内板は撤去されたのか見つかりませんでした。近くの願入寺は、水戸藩及び連枝の藩から何人も輿入れをしている浄土真宗の古刹で、立派な山門が残っています。

2021年10月20日 ファン掃部助トム治郎
祝町向洲台場

ラブホと鴎松亭の間の小径をすすむと地図上のポイントになります。夜でしたので潮騒の音色をききながら水戸藩の勇姿を想像しました。

2021年10月15日 萌魏摂政叡声
祝町向洲台場

台場に向かうには、海側のアクアワールド(大洗水族館)側からではなく、陸側の鴎松亭脇から入る。松が繁り眺望は良くはない。

2019年05月02日 越後守ヒロティー
祝町向洲台場

海辺の小高い丘の上に看板があるだけでした。奥に見えるのはアクアワールド・大洗水族館です。
さすがは海辺。よほど強い風に晒されたのでしょう。鉄製の看板部分が枠から外れて、裏返しになって落ちていました。
幕末期に水戸藩主徳川斉昭公が、設置させた砲台の跡です。

祝町向洲台場の周辺スポット情報

 説明看板(碑・説明板)

 磯浜海防陣屋(周辺城郭)

 い賓閣(周辺城郭)

 館山城(周辺城郭)

 平戸館(平貞盛居館)(周辺城郭)

 磯浜古墳群(寺社・史跡)

 大洗磯前神社(寺社・史跡)

 神磯の鳥居(寺社・史跡)

 公園駐車場(駐車場)

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