い賓閣(いひんかく(「い」はタの下に寅))

い賓閣の基本情報

通称・別名

湊御殿、湊別館、お浜御殿、(海防見張番)

所在地

茨城県ひたちなか市湊中央1-1(湊公園)

旧国名

常陸国

分類・構造

御殿

天守構造

なし

築城主

徳川光圀

築城年

元禄11年(1698)

主な改修者

主な城主

徳川氏

廃城年

元治元年(1864)

遺構

消滅

指定文化財

市史跡(い賓閣跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

勝倉城(茨城県ひたちなか市)[7.2km]
松川陣屋(茨城県東茨城郡)[8.2km]
吉田城(茨城県水戸市)[9.2km]
武熊城(茨城県水戸市)[9.4km]
水戸城(茨城県水戸市)[10.2km]

い賓閣の解説文

江戸時代以前に常陸国を支配していたのは佐竹氏だったが、江戸時代には徳川氏が水戸に入り、水戸藩第2代藩主には「水戸黄門」で有名な光圀が就任した。

佐竹氏の時代から那珂湊には「御殿」と呼ばれた別邸が現在の湊中央一丁目あたりに存在していたが、光圀の晩年である元禄11年(1698)に現在の湊公園に新たに建設され、儒教の「尭典」から言葉を選び「い賓閣(「い」はタの下に寅)」と名づけられた。い賓とは謹んで客人を迎えるとの意味がある。

い賓閣は、水戸藩主の別荘としての役割のほか、その名の示すとおり客人を迎える場としての役割を果たしていた。

久昌寺(常陸太田市)の住職「日乗上人」の日記によると、光圀が御殿入りする際に、久昌寺を始め華蔵院(市内)や願人寺(大洗町)等の住職や水戸藩の家臣が招かれ、歌詠みの会や酒宴が催されていたことが伺える。

また、い賓閣には海防役所としての機能があったようで、異国船発見の際は、湊村(旧那珂湊市の中心街など)をはじめ周辺の村の中で選ばれた者1名が、御殿へ詰めて海防に勤めるよう達しが出されていることが「湊村御用留」(庄屋などの村役人が藩から承った御用などを記録したもの)などから伺うことができる。

客人を招く場としてや海防役所としての機能を果たしてきたい賓閣だが、水戸藩最大の内乱である元治甲子の乱(1864)で焼失してしまい、その跡地は明治30年に湊公園として整備され、一般に開放されるようになった。

湊公園内は、昭和43年に市の史跡「い賓閣跡」に指定され、光圀時代に植えられた樹齢300年の松木は「湊御殿の松」として、昭和46年に市の天然記念物に指定を受けている。

い賓閣とその庭園の様子については、江戸時代に描かれた絵図の写しが残っており、正門や竹垣をはじめ御殿の敷地内の様子を伺い知ることができる。文字による記録として第9代藩主斉昭に登用された農学者長島尉信が、天保10年(1839)にい賓閣を訪れた際の記録が残されている。

これによると20畳敷の御座間や御寝所をはじめ御小姓部屋や御医師部屋など、大小30以上の間取りで構成されているのが伺える。

情報提供:ひたちなか市教育委員会

い賓閣の口コミ情報

まー宮内卿様[2016年10月19日]
夤賓閣西口駐車場に駐車。トイレ有り。左手に小高い丘が夤賓閣あったところ。案内板と共に巨大な石碑が建っている。またひたちなか市天然記念物のイワレンゲが植わってる。駐車場の向かい側には那珂湊第一小学校及び幼稚園の立派な門柱の先に文武館跡の石碑・案内板がある。更に同市栄町に反射炉跡(復元)と水戸藩江戸小石川邸にあった山上門(移築)があります。こちらも駐車場有ります。

傾奇揚げ仙兵衛様[2011年12月06日]
近くに那珂湊漁港があり新鮮な魚が安く手に入ります

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