石神城(いしがみじょう)
石神城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 茨城県那珂郡東海村大字石神内宿字本城(石神城址公園)
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 小野崎通老
築城年
- 延徳2年(1490)
主な改修者
- -
主な城主
- 石神(小野崎)氏
廃城年
- 慶長7年(1602)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 村史跡(石神城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
額田城(茨城県那珂市)[5.0km]
多良崎城(茨城県ひたちなか市)[5.6km]
南酒出城(茨城県那珂市)[7.4km]
太田城(茨城県常陸太田市)[8.8km]
久米城(茨城県常陸太田市)[11.3km]
瓜連城(茨城県那珂市)[11.5km]
武田氏館(茨城県ひたちなか市)[12.5km]
助川城(茨城県日立市)[13.3km]
水戸城(茨城県水戸市)[15.0km]
武熊城(茨城県水戸市)[15.1km]
石神城の解説文
石神城の口コミ情報
2023年09月29日 水天一碧東方之衆
白方城[石神城 周辺城郭]
白方城の説明は先人様が書かれているとおりです。さらに、茨城県の中世城館から抜粋です。
築城は平安末期、大掾氏系吉田氏一族の白方氏によ ると伝わる。南北朝期、白方氏は勢力を弱めていた南朝 方の大掾氏についたため、白方氏も歴史上から名前が 見えなくなってくる。戦国期は、久慈川下流域の管理権 を持っていた石神小野崎氏の城に取り込まれていった と想定される。
神社の周りに土塁がよく残っています。ここは、ぜひ、参道側からじゃなく社務所側(二郭)から歩いてみていただきたいです。
社務所に行く手前にはかつては虎口と土塁と堀がありましたので、心眼で味わいます。ちなみに、そこに竪堀がついていて、それは今も残るみたいなんですが、よくわからなかったです。落ちて見えるような気もしましたが、うーん…という感じでした。あとは、行けばわかるんですが、その場所が場所なので差し障りない範囲でささっと見下ろすだけになっちゃっいました。
社務所の裏の道路は堀跡を生かしたものとされています。
社務所を過ぎると、神社(主郭)の土塁が見えます。常陸の神社やお寺に一部だけ残る土塁の中では、ここは残り方が良好だと思います。緩く崩れているところもまた味わい深いです。
土塁を味わい尽くして神社にもお参りしたら参道を下りて白方公園に出ます。白方溜から眺めると周囲は田園でいつもの湿地萌えしちゃいます。地図を見ていただくと実は海がすごく近くにあります。城の東には久慈川が流れていて、海と川をつなぐ港があったそうです。ここは石神城の小野崎氏による水運管理の城でもあったはずです😊
また、リア攻めマップに杭打ちだけしたんですが、近くにある白方コミュニティセンターに三札城という城があったようです。コミュニティセンターの周囲に古墳群があるので古墳を取り込んだ城だったのかなあと思っています。白方城と一緒に運用していたと思います。
石神城を含めた三城を地図上でも見て楽しんでいただけたら嬉しいです。
石神城に来たら、白方城や真崎城もぜひ寄ってみてください😊
口コミとは別にさらに写真を出していますからそちらもご覧ください。
①県道284号線は堀跡を生かしたものです。
②正面、土塁と虎口と堀があった場所を撮る。公園の駐車場から歩いて来て、この場所を見た瞬間に、この撮り方をしたくなる気持ちをわかってほしいです😂頑張って裏の堀跡道路もギリギリ入れてみました。少しでもお城のイメージが伝わるといいなと思います。
③④土塁は綺麗。高さも幅もステキ。
⑤土塁は神社の周囲をL字に囲うように残る。
⑥高さがしっかりあるんですよね。石神城の小野崎氏が使っていた物件ならこれぐらいは当然✨
⑦白方溜から城を見る。
⑧白方公園の駐車場は右手。左手の柵沿いに行くと階段があり公園に出られます。社務所側から城に行く場合は道路標識のついている道を奥に行きます。
※Googleマップで豊受皇大神宮を目的地にすると、県道284号線に案内されてしまうかもしれないです。石神城から来る場合、白方十字路を過ぎたほんの少し先の右手に白方公園の駐車場があります。こちらを目的地としてください。
2023年06月18日 マグロ常陸介祐平
白方城[石神城 周辺城郭]
豊受皇大神宮が城址となります。平安末期から室町時代までこの地を治めた白方氏の館で、1305年と1389年に鹿島神宮の式年大祭で大使役を勤めたようです。
台地の先端に位置し、社殿の周囲を土塁が囲んでいますが、曲輪は狭く、元来神社のような感じです。
周辺は東海十二景・白方溜蛍影という景勝地になっていて散策が楽しめます。
2022年09月13日 里のシロクマ外記
石神城
4年前に1度訪城、その時は遠見城は藪状態で入らず。台地の端部と久慈川を利用し作られた。台地続きの部分には、大きく深い堀と土塁で防御(これぞ佐竹)堀底に立つと小幡城を思い出します。行き方は住宅街の細い道に注意、民家の庭先に入って行くように進むので戸惑うかもしれません、駐車場は2カ所あり三の郭側の駐車場をお勧めします、遊歩道に標柱があります、外構えの土塁を過ぎ土橋から三の郭、三の郭から土橋を渡り実城へ、大土木工事に圧倒されます、トイレは実城側の駐車場に有ります。
2022年05月01日 水天一碧東方之衆
真崎城[石神城 周辺城郭]
真崎城への行き方です。
Googleマップは真崎城に設定してください。駐車場はありません。付近の道路でスペースがあるところに寄せまくって止めるしかないです。麓にお住まいの方のお宅沿いの道路にスペースがありますが、念のため、お声がけした上で止めた方がよろしいかと思われます。周辺の道路は狭いところもあり(普通車で行けますけど)、駐車スペースの都合上、複数台で来るよりかは一台で乗り合わせで来た方がいいです。
周辺は田んぼになっていて春先は農耕車の出入りも多いので、農道に突っ込むのはNGです。
駐める場所だけは気をつけてください。
さて、真崎城なんですが、お城の周辺の田畑は昔はぜーんぶ海でした。お城がある台地は太平洋に突き出た半島だったんです。今でこそ、要害性は皆無ですが、昔のままだったらどんなにヤバかったことでしょう。こちらの城はぜひ、周辺の田畑を太平洋だと思っていただき、妄想しながら歩いてほしいです。
口コミとは別に写真を出していますから参考にしてください。
また、かつての真崎城のイメージは、「北緯36度付近の中世城郭」様の図面をご覧いただくと、すごくわかりやすいです。佐竹氏の重臣真崎氏による水軍の城でした。岩城氏の水軍に攻められたことも…。詳しい説明は上記サイト様に委ねます🤣
毎回、ここの写真を撮りながら思うのは堀切のデカさが全く写真に再現されないことです。でっかくて長い堀切の真の姿を現地でぜひご覧ください。土橋がまた、本当に綺麗で…行きやすいのに見応えがある毎度おなじみ、安定の常陸の城です。
こちらの堀切に近い雰囲気だと、潮来市の長山城みたいな長いでかい堀切って書いたら、もしかしたら皆さん見る気になりますか?🤣
あ!長山城をそもそも見てないとしたら、それもマズイです。長山城も見てくださいね(島崎城の近くにあります。リア地図に入れてあるからぜひ見てみてください)。
とにかく、東海村に来たら、城めぐに登録のある石神城だけで帰っちゃマズイです。
すごくオススメです✨
①お城のある台地は半島でした。海に突き出た半島感が伝わってほしい…細長くて全部入り切らない😂
②二郭から。周りは海。そう思って見て歩いて楽しんでほしいです。
③二郭の別な位置から。田んぼに全て水が張られたら、海らしく見えたかな。撮り直しか…😂
2022年04月28日 つか征夷大将軍ぽ
住吉山長松院[石神城 寺社・史跡]
石神城城主の小野崎氏歴代のお墓や石神合戦の供養塔があります。
2021年12月03日 弾正少弼しろし
石神城
自然なカタチでの保存が素晴らしいです。公園化しすぎていないのがイイ。
2021年02月12日 太閤お城エリコ
石神城
石神城址公園の駐車場から登り口が有りますが、Ⅲの虎口の土橋には大きな土塁と空堀に圧倒されました。ⅢとⅡの間の土橋と空堀にも感激です。遠見城、御城、Ⅲの曲輪全てに土塁と空堀に囲まれて素晴らしい城でした。
2020年08月10日 さーはる@ALL弾正大弼
石神城
20数年振りに訪問。二の丸(Ⅲ郭)南西面の土塁(1mほど)がほぼ壊滅していることに驚きました。道路も付け替えられているようです。以前は農作業用の入口があり、中まで車で入れたものです。現在の入口は、二の丸西面の大手跡と思われる場所と、北側駐車場奥の所のみの様です。夏場の草刈りはされていない様でしたので、晩秋に再訪します。
2020年06月21日 みかも内匠助48世
石神城
本日拝見しました。綺麗に整備されています。一の曲輪はアプローチに苦労して流石に時期的に草だらけでしたが(笑)。堀も虎口も見事に残っておりとても良い所です。
2019年05月02日 真田「安房守」家康
石神城
郭の周りを空堀がぐるりと…
一見三日月堀にも見えます。
見応えあり‼️
2018年11月22日 【籠城中】下野守智ぞう
石神城
2018,11,21行きました!
一の郭、二の郭、三の郭、整備されてて土塁なども良好な状態でみられ、
これらをとりまく掘も深く素晴らしいです。一見の価値あり!
前に郭内に置いてあった放射性物質も完全にかたずけられており、その心配もいらないでしょう!
たぶん、茨城県指折りの状態良い城だと思いますよ!
お食事処ある、ひたち南ドライブインも5キロくらいの所にあり、城ハシゴするなら、10キロくらいの所の多良崎城もオススメです!
2017年09月11日 尾張守だもんで
石神城
夏場ですが整備が行き届いていました。駐車場は二ヶ所あります。二郭近くの方が便利かと。遠身城の虎口は倒木で封鎖されていました。立ち入らない方がよいでしょう。
除染は完了しているはずですが、主郭一角に汚染土が積まれています。
2017年05月08日
石神城
JR常磐線東海駅から徒歩25分くらい。これからの季節は、少し草深いかも。充分に見学可能なレベルだと思いますが。
茨城には素晴らしい城跡がたくさんありますが、その中でも、五指に入ると思います。
堀底を歩き回りたいなら、冬場をオススメします。
2014年02月02日 摩利支天
石神城
石神城址公園として整備され
駐車場やトイレも完備されてます。
遺構も状態良く残っていますが、
現在この場所は村で定めた
放射線量の基準値を超えているため
立ち入りは控えて下さいとの事。
計画的に除染を行ってるそうです。
ちなみに立入禁止ではありません。
位置
石神城は、標高19メートル、比高15メートルの台地端部に立地する。城の東側は、現在旧流路となっているが、久慈川が台地に向け大きく蛇行した部分にあたっており、要害の地形を一層強固なものにしていた。城の西側は広大な台地つづきとなっており、主たる防御施設も台地側を遮断することに向けられていた。歴史
城が作られた時期は諸説あるが、永享4年(1432)足利持氏感状に「常州石上城合戦」とあるため、この時期には築城されていたと思われる。『新編常陸国誌』によると、延徳2年(1490)頃に小野崎通老が石神の地に城を築き、石神氏とも称したとされている。天文15年(1546)頃、所領の境界をめぐってしばしば争いが起こっていた額田小野崎氏と石神小野崎氏の間で合戦になった。この結果石神小野崎氏は敗北し「石神没落」となり、石神小野崎氏は城から退去した。
しかしその後、佐竹氏への戦功により領地の維持と帰城が認められ、永禄1~3年(1558~60)にかけて石神外宿に3つの寺を建立し、石神城も再建され石神城鎮守として住吉明神が建立された。慶長7年(1602)佐竹義宣の秋田移封に従ってこの地を去り、石神城は廃城となった。
構造
中心の構造は、3つの郭からなっている。「遠見城」と呼ばれるⅠ郭、「御城」と称されるII郭、そしてII郭のさらに西側に連なるIII郭である。遠見城は、御城に対してより優位な曲輪として機能しており、遠見城は城内第一位の曲輪であった。御城は、中心の曲輪群のなかではもっとも大きな面積を示した。III郭は、石神城の主要部のなかでもっとも西側に位置した曲輪で、御城についで大きな面積を占めた。主要部の遺構の保存状況は、茨城県内の中世城館跡と比較してもっとも良好なものに属している。
変遷
石神城はすでに発掘調査が行われており、御城と呼ばれる中央の曲輪からは、ひときわ大きな竪穴建物が発見された。しかし、長期間生活した様子はなく、戦いの際に人々が臨時的に避難したものと考えられる。つまり石神小野崎氏は戦いの際、地域の人々とともに城にこもったと推測できる。しかし、城の性格は戦国時代の終りごろに大きく変わり、現在見られるように堀や土塁を大きく改修し、軍事性を大幅に高めている。石神城は地域住民との共同の逃げ城から、領主の城へと性格を変えたのである。参考文献
・齋藤慎一・向井一雄著『日本城郭史』(吉川弘文館,2016)・千田嘉博「住民の城から領主の城へ-石神城の縄張りを読む」『常陸国石神城とその時代』(東海村教育委員会)2000年
・千田嘉博「石神城の謎を解く」『ふるさと歴訪』(東海村教育委員会)2009年
・高橋裕文「中世領主と石神氏」『常陸国石神城とその時代』(東海村教育委員会)2000年
・星龍星「石神城そぞろ歩き-発掘調査報告書の成果を参考に-」『常陸国石神城とその時代』(東海村教育委員会)2000年