太田城(おおたじょう)

太田城の基本情報

通称・別名

佐竹城、舞鶴城、青龍城

所在地

茨城県常陸太田市中城町151(太田小学校)

旧国名

常陸国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

小野崎(藤原)通延

築城年

天仁2年(1109)?

主な改修者

佐竹氏

主な城主

太田氏(小野崎氏)、佐竹氏

廃城年

慶長7年(1602)

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

久米城(茨城県常陸太田市)[3.3km]
額田城(茨城県那珂市)[6.5km]
山入城(茨城県常陸太田市)[7.0km]
瓜連城(茨城県那珂市)[7.7km]
南酒出城(茨城県那珂市)[7.7km]
石神城(茨城県那珂郡)[8.8km]
助川城(茨城県日立市)[11.8km]
多良崎城(茨城県ひたちなか市)[13.5km]
那珂西城(茨城県東茨城郡)[14.0km]
野口城(茨城県常陸大宮市)[16.6km]

太田城の解説文



太田城(おおたじょう)は、常陸国にあった日本の城。現在の茨城県常陸太田市に位置し、JR常陸太田駅から北方へ約1.7kmの高台(現在の太田小学校)に本郭が存在したとみられる。関東七名城の一つ。別名:佐竹城、舞鶴城、青龍城。

歴史・沿革 

この城の起源は明らかではないが、天仁2年(1109年)に藤原通延(藤原秀郷の四世)が、下野国から太田郷に入り、太田大夫と称して築城したのが始まりであるという。

新羅三郎義光の孫・源昌義が、後三年の役(1051年から1062年)の功により領有することになった地名をとって「佐竹氏」を称した。二代佐竹隆義は当時の太田城主藤原通盛(通延の孫)を服属させたのち、通盛を小野台地(瑞竜中学校周辺)に移して「小野崎氏」を名乗らせ、自らが太田城に入った。入城の日、太田城の上空を鶴が舞いながら飛んだので「舞鶴城」と名づけたと伝わる。

以降、佐竹氏代々の居城であったが、戦国最末期の当主佐竹義宣が水戸城に本拠を移した。

その後、江戸幕府(徳川家康)の一国一城令により廃城となったが、城の機能は一部残され「太田御殿」と呼ばれ、水戸藩の附家老の中山氏が管理することとなった。

歴代城主

  • 藤原通延など藤原氏
  • 佐竹隆義
  • 佐竹秀義
  • 佐竹義重
  • 佐竹長義
  • 佐竹義胤
  • 佐竹行義
  • 佐竹貞義
  • 佐竹義篤
  • 佐竹義宣
  • 佐竹義盛
  • 佐竹義人(義憲、義仁)
  • 佐竹義俊
  • 佐竹義治
  • 佐竹義舜
  • 佐竹義篤
  • 佐竹義昭
  • 佐竹義重
  • 佐竹義宣(久保田藩「秋田藩」の初代藩主。1600年に勃発した関ヶ原の戦い後の1602年、常陸54万石から出羽久保田18万石へ減封された。)
  • 中山氏(水戸藩家老)

構造 

本郭は現在の太田小学校一帯。 二の郭は内堀町から若宮八幡宮一帯。 三の郭は栄町の大部分で北側が搦手とよばれている。 これらの郭は明治の初期に国から町の有志に払い下げられ、土塁をくずし堀を埋めて宅地や道路が造られたが、大正末期まで土塁や郭の一部が残っていた。

参考文献 

  • 常陸太田市の歴史散歩(1986年)

太田城の口コミ情報

2023年02月28日 昌幸近江守野面積み㊉
馬坂城[太田城  周辺城郭]



佐竹氏発祥の地として有名な馬坂(まざか)城。が、築城は藤原秀郷系列の天神林氏で初代佐竹昌義が奪い取ったものとのことです。そして二代隆義が常陸太田に移った後も、改修を重ねながら佐竹氏の秋田移封まで使われたと思われます。

縄張は比高35mの台地を、西城(初期の本郭)・本郭・押場平(副郭)の3つに分けた連郭式平山城です。保存会の方々の整備が素晴らしく、見学ルートの案内があり、その通りに進めば遺構すべてを見ることができます。

車は麓を通る県道61号日立笠間線沿いに専用駐車場がありますが、稲村神社の駐車場に停めることをおすすめします(4〜5台可)。道が平坦なのと、途中道路になった堀切を見ることができるからです。

【写真の紹介】
①本郭-押場平間の内堀跡
②本郭北側から見る堀切と切岸
③本郭-西城間の堀跡
④西城と物見台
⑤西城北に尾根を絶つ二重堀切
⑥西城-西城袖郭間の堀切
⑦西城袖郭には横堀がめぐらされる
⑧現在も湧き出ている水の手

2022年11月28日 MY
太田城

今は小学校が建っているので、中には入れません。見張らしは良いです。

2022年09月13日 里のシロクマ
太田城



太田小学校中の舞鶴城跡の碑、若宮八幡宮、太田一高、帰願寺付近を訪ねました。堀底の道路や埋め立てられた道が名残りとして残っているようで、街中は比較的静かで迷路的な所あり(運転しづらい)面白かったです。

2022年07月19日 カスガのハルノリ
太田城



石碑は小学校の敷地内にあります。校内に遺構はありませんが、立地を楽しむことはできます(学校が休みなら)。近くにある二の丸跡地の若宮八幡宮にも足を運ぶといいでしょう。

2021年11月25日 昌幸近江守野面積み㊉
田渡城[太田城  周辺城郭]



常陸太田市にある田渡(たわたり)城。城の紹介やアクセスは、先人が語られていますので割愛します。

今年はこの辺りの城郭を見させてもらっていますが、非常に技巧的で、この城でしか見たことがない遺構もあったりします。まさに佐竹氏の本拠である常陸太田城の西を守るに相応しい城だと思います。是非ご見学あれ!

【写真の説明】
①城麓の堀?「鉄砲戦を想定した塹壕」と語る書があり合点がいく。他の城ではあまり見たことがない。
②主郭裏にある堀切からの竪堀。
③主郭の横堀。
④主郭-II郭間の土橋。
⑤主郭下の横・縦・横の堀。
⑥Ⅲ郭から堀を挟み主郭を見る。
⑦物見に相当するⅤ郭。
⑧おまけ:石切場。ちなみにこの城は石は一切使われていない。

2021年10月25日 うっきー
太田城



常陸太田駅から歩いて20分ほど。城址碑は太田小学校の敷地内にあります。

2021年10月10日 虎兎民部大輔勝碧
太田城

広場はありましたが、遺構がありません。(広場は現在工事中?です。)

2021年07月17日 疲れた人
地徳館[太田城  周辺城郭]



地徳館は、南北朝時代に佐竹氏の一族である福地豊後の居館であったとされています。現在見られる形は、戦国時代に北からの攻撃を意識して築かれたものだと考えられています。
また棚倉街道を見下ろす位置にあり、対岸には町屋金山があったので、街道監視と金山の防御施設として築かれた砦とも言われています。(案内板ざっくりまとめ)

太田城に来て街中遺構ハントをした後に、ほかに寄り道で楽にリアできる城として出してみました。ここは、小さいけれど堀切とそこに繋がる動線が意外とイケてます。一応、整備がされていて、多少荒れていますが道がついています。

冬にリアした先人様方の写真を見ると、自分の緑色の写真より、もう少しくっきり、遺構を楽しめるみたいです。

地徳館への行き方です。
Googleマップはグループセブンひたち店に設定してください。車はお店の駐車場にお店の方にお声がけして駐めさせていただきました。
このお店の駐車場から、反対側の山を見るとかなり小さな看板が見えます(写真1)。この看板の裏から山に入ります。看板が土手の上にありますから、土手に無理やり登って山に行きます。山の中には点々と案内板がついているので迷うことはないです(写真2)。軽く登るだけですぐに着きます。
二重堀切には縄張り図付きの案内板がありますので散策の参考にしてください(写真3)。

※太田城に来たら、付近には、田渡城や馬坂城、久米城、北大門城に南大門城といいお城があるので、そちらもぜひ。

常陸太田市内には佐竹氏のお膝元らしく、たくさん城砦があるんですが、宅地化、耕地化されてしまったり、これぞというものは限られるのかなあというのが個人的な印象です。
じっくり楽しむにはもってこいなんですが、はるばるポチに来てそこまでどっぷり浸かる人もいないと思うので、見栄え重視と行きやすさと個人的な偏見で選んでます。

常陸には小幡城以外にも城はあります(笑)。
あちこちのリア攻めマップにちょこちょこ追加していますが、他にもたくさん見てほしいなーと思います😃

2020年10月30日 疲れた人
田渡城[太田城  周辺城郭]



田渡城は常陸太田城の南西3キロぐらいに里川を挟んで位置する佐竹氏のお城です。
城内はかなり技巧に富んでいて、程よい除草と伐採がされていて、見学しがいがあります。

駐車場は、田渡公民館の空きスペースをお借りしました。沢山の車は駐められないと思います。Googleマップだと田渡公民館前というバス停で見つかると思います。建物は写真を参考にしてください。
静かな住宅地なので、怪しまれないように、近所の方に田渡城に行きます公民館に駐めましたと声をかけています。小学校も近いので(笑)

写真1枚目の田渡公民館に駐車したら道を戻り、2枚目の白い柵の切れ目から山に向かって歩きます。標柱や案内板はないです。3枚目が柵を曲がったところです。ここから山に向かって歩くとピンクのテープが巻かれた木がぽつんぽつんと見え初めるんですが、取れているところもあり、縄張り図を見ながら、先人の踏み鳴らした跡を辿る感じで、まずは上を目指します。
歩いて行くと、浅いながらも土橋が見えて来ます。そのまま登ると三郭に出ます。目の前になが〜い横堀が飛び込んで来たら、主郭はすぐそこです。

この城は比高30mくらいでめちゃくちゃ登るわけではないです。また、クマは出ませんので、ゆっくりじっくり楽しんでいただきたいです。

※入り口はもう一箇所ありますが、見応え的にも歩きやすさ的にもこのルートでの往復が1番オススメです。

2020年08月19日 龍馬太閤【備中❁麒麟Z】
馬坂城[太田城  周辺城郭]



茨城県の常陸太田市にある馬坂城♪
佐竹氏初代とされる佐竹昌義が築いた「佐竹氏発祥の城」となります♪二代・隆義の時代に太田城に居城を移してしまうので馬坂城は稲木氏の居城となりました♪その後14代・義俊の子である義成が天神林氏を名乗り居城した事もあり別名を天神林城と呼びます♪関ヶ原の戦い後に佐竹氏の秋田移封に伴い廃城となりました♪近隣には初代・昌義が佐竹氏の祈願所とした佐竹寺があります♪

佐竹氏の歴史は長く平安時代から強い勢力を誇りました♪治承・寿永の乱時に平家に合力した為に源頼朝に所領を没収されるも戦国時代、江戸時代と戦火を生き抜きます♪

秋田県に転封になるもその力を見事に発揮♪
現在の秋田知事様に至ります♪

2020年07月12日 疲れた人
常光院[太田城  寺社・史跡]

この寺は萬松寺常光院愛宕寺と称し参道入り口に大きな松が三本有りました。
永享十二年(一四四〇)佐竹十三代義人公が建立その後、十六代義舜公(晴峰院殿還慶本公大禅定門)が大伽藍を再建、成高寺(宇都宮)より要山玄的禅師を請して開山となる。
佐竹義治公の子義信をはじめ佐竹北家の墳墓六基今、尚現存す…
常光院のご案内より抜粋。

墓地に入って右手のあたりに「佐竹公(北家)の墓」と案内が出ています。
今の秋田県知事に連なる佐竹氏、北家の菩提寺です。

2019年09月07日 源三郎安房守
太田城

太田小学校、太田一高の辺りの丘が、城下町っぽくて、結構お気に入り。

2019年05月30日 ⛫武蔵の謙
太田城



太田小校庭の西側縁辺に僅かに残る西本郭の土塁。地表面で観察できる遺構として貴重。2018.12/22見学会にて撮影

2016年08月25日 
太田城

アプリを始める前に、車で行ったことはあったのですが、今回は、青春18キップとタクシーで、行きました。

JR常陸太田駅から、北方約1.7kmにあります。現在は、太田小学校に本郭があり、碑があります。
別名、舞鶴城、佐竹城と呼ばれていて、碑も舞鶴城になっています。

攻略情報に、常陸太田駅では、攻略できないと書かれているように、私も、駅では、攻略できませんでした。

タクシーで、太田小学校まで行ったのですが、滞在時間は写真を撮る数分で、往復1500円くらいでした。

次回は、二の郭のある若宮八幡宮にも、行ってみたいと思いました。

2015年01月27日 ちょび肥前守
太田城

太田小学校内に石碑あります

太田城の周辺スポット情報

 馬坂城入口看板(碑・説明板)

 馬坂城(周辺城郭)

 小野崎城(周辺城郭)

 高柿城(周辺城郭)

 田渡城(周辺城郭)

 地徳館(周辺城郭)

 国見要害(周辺城郭)

 幡館(周辺城郭)

 佐竹寺(寺社・史跡)

 常光院(寺社・史跡)

 若草八幡宮(寺社・史跡)

 正宗寺(寺社・史跡)

 稲村神社(寺社・史跡)

 稲村神社駐車場(駐車場)

 馬坂城駐車場(駐車場)

 田渡城 登城口(その他)

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