野口城(のぐちじょう)
野口城の基本情報
通称・別名
- 川野辺城
所在地
- 茨城県常陸大宮市野口
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 川野辺通直
築城年
- 正暦2年(991)
主な改修者
- -
主な城主
- 川野辺氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
瓜連城(茨城県那珂市)[11.8km]
那珂西城(茨城県東茨城郡)[12.4km]
久米城(茨城県常陸太田市)[13.3km]
茂木城(栃木県芳賀郡)[13.4km]
山入城(茨城県常陸太田市)[14.0km]
南酒出城(茨城県那珂市)[16.5km]
太田城(茨城県常陸太田市)[16.6km]
千本城(栃木県芳賀郡)[16.8km]
長者山城(茨城県水戸市)[17.9km]
加倉井館(茨城県水戸市)[18.2km]
野口城の解説文
[引用元:Wikipedia「野口城」の項目]
野口城(のぐちじょう)は、常陸国那珂郡野口にあった日本の城。現在の茨城県常陸大宮市野口にあたる。常陸大宮市指定史跡。
歴史・沿革
991年(正暦2年)に鎮守府将軍藤原秀郷の流れを汲む藤原通直後裔の川野辺通直により築城され、以来、野口城は通直の後裔川野辺氏が世襲にて領有した。別称を川野辺城ともいう。なお、通直の兄は太田城を築城して太田通延と名乗り、子孫は小野崎氏となっている。
平安時代以降、常陸国北部は那珂で武門として名高い清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む佐竹氏と藤原秀郷の流れを汲む藤姓の両武士団が勢力を誇り、野口城は藤姓川野辺氏の拠点の役割を果たした。
南北朝時代に入り、川野辺資鎮は川野辺氏の庶家ながら有力な武士として台頭した瓜連城主の那珂通辰に従い、南朝方として活躍し佐竹氏に対抗したが、那珂通辰が敗死すると、川野辺氏も衰退し、穴技の地に退き、野口城は佐竹氏に明け渡された。
以後、野口城は佐竹氏の庶家野口氏により領有された。しかし、1540年(天文9年)、野口幹成が常陸守護佐竹義篤に背き敗北すると、幹成旧臣たる野口四天王らは佐竹氏に帰順、野口城は廃城となった。
現在は城址のみ残る。
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野口城の口コミ情報
2023年03月28日 疲れた人
高久城[野口城 周辺城郭]
高久城は台地の突端、那珂川の河岸段丘上にあり、東、南、西はかなりの急斜面になっています。東西には八幡沢と呼ばれる沢があり、天然の要害になっています。北側のみ台地が続きます。佐竹氏の城郭では、おなじみの地形だと思います。城内は、宅地と畑になっていますが、既に出した写真のとおり、丁寧に歩けば、点々と残るしっかりとした遺構をあちこちに見つけられると思います。宅地の中の遺構としては、かなり見応えがあると思います。
以下、高久城にある案内板にあれこれつけ足してまとめてみました。
永仁元年(1293)大掾氏家臣、鈴木五郎高郷の後裔高範が築いたといわれます。鈴木氏没落後は、廃城になりますが、佐竹8代行義の6男、馬淵小三郎景義が御前山村の野口城に移った後に、景義の子景有が更にこの地に拠り、高久を名乗ります。
この高久氏は、佐竹氏の一門ではありますが、とにかく佐竹宗家とはソリが合わなかったようで、佐竹宗家に逆らい続けます。
山入の乱の時には、山入氏側につき、高久義景は佐竹氏宗家側の大山城の大山義正と戦って敗れます。この後も、部垂義元の乱に加担して、佐竹義篤に攻められて敗走し降伏して、その後は佐竹氏に従います。
天文12年に、9代義時と10代義貞、その子である宮寿丸は、陸奥久保田・関山の合戦に佐竹氏の配下として従軍しますが、3代揃って討死し、高久城も廃城となります。
※3代揃って討死のくだりに、いつも引っかかります。誰か1人ぐらいは残るもんじゃないのかなあと…。散々、佐竹氏に逆らってきた高久氏は、やはり佐竹氏にとっては信用ならなかったんではないかと思うんです。合戦のどさくさに紛れて、3代まとめて誅殺したのを、討死したと言ってるだけなんじゃ…といつも看板の前で考えちゃいます。
2023年03月28日 疲れた人
穴沢館[野口城 周辺城郭]
御前山城や野口城方面に向かう途中、国道123号から住宅街に入ったところにあります。住宅地にあるので散策には注意が必要です。
那珂川の河岸段丘を生かしたお城です。館を囲んでいた堀の一部が東西によく残ります。150〜200mぐらいだったように思います。沢を生かして造られた堀はV字形で薬研気味なところがたまらないと思います。南側の土塁は畑になり殲滅していますが土塁があったとされます。
こちらは周辺が宅地と畑になり、単郭のお城だったのか複郭のお城だったのかどうかももうわからないようです。
野口城にいた川野辺氏は、南北朝の騒乱の時に、瓜連合戦で敗れ、那珂通辰とともに常陸太田市増井で自刃しますが、佐竹義篤に従っていた川野辺氏の一族の一部の者が、ここに住んでいたそうです。
2023年03月28日 疲れた人
八幡館[野口城 周辺城郭]
石塚城の西にだいたい3キロぐらいのところにあるお城です。この城の立地がたまらないです。西側が山で、それ以外は3方向とも谷津になっていて、台地の先端にあります。地形図を見ていただくとよくわかると思います。
常陸で城を造るならまさにこんな場所という感じでした。常陸ならではの要害堅固な場所にあると思います。特に南側の谷津はまるで巨大な堀のようでした。谷津の水はけの悪い感じ、ヌメヌメ感やジメジメ具合も非常によく、この場所を選ぶ理由がわかります。お城は現在は宅地と畑になっていますが推定される城域はかなり広いです。
残念な事にお城を囲んでいた堀はほとんどが崩されています。ただ、一部、既に出した写真のとおり、かなり分厚く立派な土塁が残ります。また南側の道路は堀跡ではないかとみられているようです。
城主については、佐竹氏の家臣の八幡但馬守とされますが、佐竹氏の移封に伴い、秋田に移ったそうです。この地の字から名前を取ったのか、野田惣左衛門と名乗ったそうです。
写真①〜③ 南の谷津をあちこちから。こういう地形が常陸ではお城の防御になります。
2023年03月09日 昌幸修理大夫佐竹深堀りツアー
宇留野城[野口城 周辺城郭]
常陸大宮市にある宇留野城。平安時代天禄年間(970-973)に宇留野五郎時景が築城しました。宇留野氏は佐竹氏家臣となり、慶長7年(1602)の佐竹氏秋田移封に同行。その際に廃城になりました。
縄張はI郭(御城)・II郭(中城)・III郭(外城)から成る連郭式の城で、後に手狭になり谷向こうの西側台地に4つの郭を設け拡張しています。西側台地は現在宅地となり遺構はあまり残っていません。I郭には宇留野氏の氏神である日向神社があります。
車で日向神社まで行くことができます。道が狭くて大型車だと躊躇するかも知れませんが行けますのでご安心を。
【写真の説明】
①I郭に建つ日向神社
②I郭に架かる土橋
③I郭-II郭間の空堀
④II郭。土塁に囲まれる
⑤II郭の横堀
⑥II郭には腰郭が備わる
⑦III郭には高い土塁が残る
⑧II郭-III郭間の空堀
2022年12月09日 昌幸修理大夫佐竹深堀りツアー
小舟城[野口城 周辺城郭]
小舟城は小舟川沿いにある下野との境目の城です。
鎌倉時代に高沢氏が築き、同氏が鷲子(とりのこ)に移った後は、小瀬(おせ)氏の支城となり、家臣の内田氏が城主を務めました。
城は居館部と詰の城とで構成されます。
居館部の最高所は吉田鹿島神社が、寺跡には小舟公民館が建ちます。
詰の城は堀で断ち切った3つの郭と出郭だったとされるⅣ郭があり、各郭はそれほど広くなくまさに非常時の城という感じです。
I郭から吉田鹿島神社へ向かって伸びる段郭と迎撃用の塹壕があるようなのですが、今回は見逃してしまいました。
車は小舟公民館に停めさせて貰いました。
ここなら周回でき、右回り(公民館の裏を登りⅣ郭に至る)でも左回り(神社経由でⅡ郭に至る)どちらでも訪問することが可能です。
【写真の説明】
①吉田鹿島神社の鳥居をくぐると居館跡に。右手が詰の城。
②神社が居館部の最高所。ここに至るまでいくつもの段郭を登っていく。
③尾根を伝ってくる敵を遮る二重堀切。下から。
④上から見た二重堀切。
⑤I郭背後の堀切。
⑥I郭切岸。
⑦かなり埋まっているが、I郭堀切からの
⑧竪堀
2022年12月05日 昌幸修理大夫佐竹深堀りツアー
小瀬城[野口城 周辺城郭]
緒川と舟川に挟まれた山陵にある小瀬(おせ)城。特に緒川の流れでできた崖が天然の要害を感じさせます。
佐竹一族の佐竹義春がこの地を賜り小瀬氏を名乗りました。この地域は佐竹氏の対那須地方の重要な地で、小瀬氏はそれに応えるように250年もの間善政を敷きました。
縄張りは南北1キロにも及ぶ直線的な連郭式山城です。1郭を中心に南側に4つの郭(2,3,4,7郭)と北側に2つの郭(5,6郭)を配していて、近隣の城の中では大きく、ここでもやはり重要な地だったことが分かります。
付近は1車線の道で車を停める場所に悩むのですが、回避スペースが何箇所かあり、停めさせて貰いました。グループで訪城する場合は乗り合わせ必須です。
7郭には電波塔が立っていて、そこを目指して歩いていきます。城内はアップダウンが少なく、切岸の向こうに見える1郭が見えた日には感動モンで、いわゆる「コスパの良い」城かと思います。
まずは1郭より南側(2,3,4,7郭)をご紹介します。
【写真の説明】
①遠景。飛び出した木と重なるように電波塔が建ち、そこが7郭。
②7郭堀切。堀底から。
③4郭堀切。上から。
④4郭堀切は竪堀となる。
⑤4郭は土塁に囲まれた十分な空間が確保されている。
⑥細尾根につくられた堀切と土橋
⑦2郭から3郭を見る。
⑧4郭-3郭間の堀切。南側ではこの堀が1番深い。
2022年12月05日 昌幸修理大夫佐竹深堀りツアー
小瀬城[野口城 周辺城郭]
続きまして1郭より北側(5,6郭)の遺構です。
【写真の説明】
①1郭背後の切岸
②5郭の堀切と土塁
③5郭-6郭間の竪堀
④5郭の土壇
⑤6郭堀切。北の終端にあたる。
⑥終端から6郭を見る。
2022年11月29日 昌幸修理大夫佐竹深堀りツアー
高沢向館[野口城 周辺城郭]
高沢向館(たかざわむかいだて)は高沢城の北にある城です。より下野に近い位置から物見のような役割だったと思われます。
単郭に腰郭、正面は竪堀と横堀、尾根続きの背後は3条の堀切があります。
アクセスは高沢城から尾根伝いで行くことができます。鉄塔を越え、木の伐採場目指して歩いて下さい。竹が刈られて道ができています。伐採場にぶつかったら右折し尾根を下ってください。進むと背後の堀切に出会えます。(約15分)
城サイトで有名な余湖さんのHPでは、麓の墓から登城したと書かれていますが、現在はそちらからはアクセスできません。おそらく伐採場の所有地となっているからか、無断進入できないように獣避け柵で囲われ、さらに国道から入る橋にゲートが付けられているからです。
城内部も伐採場の所有地と重なっていると思われ、分断するように有刺鉄線が張られています。ケガしないようにご注意下さい。
【写真の説明】
①尾根を伝い最初に出会う堀切3
②堀切2
③堀切1。これが主郭背後。
④堀切1そばには沢から侵攻に備えるため、土塁に囲まれた郭が設けられる。
⑤腰郭
⑥主郭
⑦正面竪堀(草が生えている所)
⑧正面横堀
2022年11月25日 昌幸修理大夫佐竹深堀りツアー
高沢城[野口城 周辺城郭]
高沢城は緒川沿いの街道(現国道293号)と緒川に合流する支谷がぶつかった地点に築かれた城です。支谷の西は那須氏の本拠地である烏山城があり、重要な地でした。
築城者は源氏の子孫高沢氏です。高沢氏信が親鸞の門下生になったのをきっかけに代々仏門に帰命し、結局高沢氏は武士を廃業し照願寺の住職となりました。
しかし那須氏と隣接したこの地、戦国時代には佐竹配下の城として再整備されたようです。
縄張りは主郭に二段の腰郭・横堀と竪堀を組み合わせています。西側は二重堀切により尾根からの侵入を防ぎ、そこから繋がる主郭虎口付近が技巧的で高沢城1番の見どころかと思います。
保存会の方々が2年ほど前から本格的に整備し、案内板と縄張図が準備され大変見やすくなっています。10台以上停められる駐車場があります。これから山城を勉強したいという方にはもってこいですよ!
※初見は現地説明会だったので、そんなに自由気ままに見られる訳ではなく… 10日後に再訪問しました。
【写真の説明】
①登城して最初に出会う東端の堀切。尾根を伝い主郭へ向かう。
②主郭横堀その1
③主郭横堀その2
④腰郭から主郭を見る。
⑤尾根を進む。奥に見えるのが西端の物見。
⑥二重堀切。
⑦二重堀切うちの1条。鋭い薬研堀。
⑧二重堀切の写真右側は主郭虎口。折れてからの坂虎口。技巧的です。
2022年11月20日 昌幸修理大夫佐竹深堀りツアー
前小屋城[野口城 周辺城郭]
前小屋城は、東に久慈川を望む比高20mの台地に築かれた城です。
築城者は秀郷流藤原氏系の那珂氏の分流で、のちに佐竹家臣となる平沢丹後守通行と伝えられています。平沢氏滅亡後は佐竹一族の小場氏5代義忠の弟、義広が小場家家老として分家し、前小屋氏を名乗り居城しました。前小屋氏は重臣として活躍し、佐竹氏の秋田移封に同行し城は廃城となります。
縄張りは南北にI〜Ⅳ郭が並び、I郭の西に馬出しとされるⅤ郭を備えた連郭式平山城でした。現在はI郭は種生院 (泉正観世音 )が建ち、II〜Ⅳ郭は宅地化と耕地化でわずかな遺構を残すのみですが、Ⅴ郭は遺構が明瞭に残り当時の様子を垣間見ることができます。V郭の堀底周回だけでも山城好きなら十分楽しめますよ。それなりに薮ってますし夏は間違いなく蚊の宝庫だと思うので、冬場の訪問がオススメです。
あと先人がおっしゃってる通り、木橋は朽ちていて封鎖されてます。橋を使うにしても使わないにしても足元はしっかり踏ん張れるものにしてください。
*車は種生院(泉正観世音)まで来ることができます。
【写真の説明】
①〜⑥堀底周回
⑦V郭に架かる土橋と堀
⑧Ⅲ郭-Ⅳ郭間の土塁の一部と堀跡。堀跡は下へ通ずる道となっている。
2022年11月13日 疲れた人
前小屋城[野口城 周辺城郭]
補足しておきます。
2022年の秋に確認しましたが、城への入り口だった土塁をまたぐ木橋はあちこちが崩落してしまい、立入できないようになっています。
これから来る皆さんは、木橋を避けて、寄せ手気分で土塁をよじ登って滑り落ちるように堀底にインしていただければと思います。
立派な土塁を壊して、おかしな階段をつけずに、土塁をまたぐように保護しつつ作られている気遣いある木橋のデザインも好きでした。そりゃあ、遺構に手を加えずに自然なままがベストですけど、もうついちゃってたんだもん(笑)。それならそれで、活かして楽しみます。
この木橋のおかげで、雨の日雪の日真夜中でも、24時間365日、簡単に大きな薬研堀を見学することができました。季節の移ろいと藪と薬研堀を、何度となく木橋から楽しみました。足の不自由な方には介添がないと使いにくかったと思いますが、見学者に寄り添ってくれた木橋です。藪に行けない普通の方には、木橋から薬研堀を見せることができました。この後付けの木橋を含めて好きな城だったので、もう木橋が使えないのは悲しいです。
常陸大宮市には、他にも沢山の城があり、この城にだけ、いきなり予算をつけて、この城だけを整備する…それが通るような理由はないと思います。そもそも文化財に割くお金自体がなかなか出せないと思います。市は、美和地区の皆さんと協働で先日の高沢城ツアーの開催などかなり頑張ってくださっていますが、あちこちにある城の整備までは難しいでしょう。コロナ禍だし、少子高齢化だし、城になんかおいそれとお金を出せないっていうのはすごくわかるんです。わかるから、城の整備は、藪具合がちょうどいいからこのままでいいです😂
どうかこの木橋を直してほしいです🤣
また、みんな大好き巨大な薬研堀についてなんですが、通い詰めてるから感じるんですが、年々、少しずつ微妙に崩れてきています。と言っても、去年と今年の写真を見比べてもいったい何を言ってんだか全然わからないと思いますが😂
少しでも早いうちに見てもらえたらいいなと思います。
①〜④在りし日の木橋。手すり越しに見る薬研堀は最高でした。土塁の高さもわかります。
⑤夕方の竹藪の堀にハズレなし。
2022年07月04日 マイ兵庫助リバ
鹿島清房五輪塔[野口城 寺社・史跡]
常安寺卍の門前に建立されている五輪塔には市の指定有形文化財であることは表示されていますが、由来に関する記述はありません🤔
が、傍の塔婆には「鹿島清房」の名が記されており、山方城下で殺害された鹿島城主の魂を弔うためのもの🙏であることが窺えます
ちなみにこの五輪塔、かつて山方城下の嘆願橋付近に建立されていたものを移転👷♂️したものだそうです
嘆願橋の謂れは領民が山方城主に嘆願する場であったとされていますが、ひょっとすると鹿島氏が斬られる前に助命嘆願した場所だったのかもしれませんね🥺
〜以下、常陸大宮市文化財マップより〜
天正19 年(1591)佐竹義宣はいわゆる「三十三館仕置」により常陸の統一を成し遂げたが、その過程で山方で殺害した鹿島城主・鹿島清房(清秀が正しいとも)父子の墓として建立したもの。高さ約2m。
2022年06月08日 昌幸修理大夫佐竹深堀りツアー
御前山城[野口城 周辺城郭]
城里(しろさと)町の御前山(ごぜんやま)城。鎌倉時代の築城とされていますが、いろいろな伝承があり詳細は分かっていません。
縄張りは那珂川(東側)を利用した後ろ堅固の城で、山側(西側)からの侵攻に備えた食い違い虎口とそれに伴う土塁が2ヶ所あり、よく残っていてこの城の見どころになっています。
麓の道の駅かつらに駐車可能。そこから御前山ハイキングコースの東登山口から登りましょう。登り切ると主郭裏です。
【写真の説明】
①食い違い虎口1
②虎口1の土塁
③虎口1手前には土橋・空堀もある。
④虎口1空堀
⑤食い違い虎口2
⑥虎口2の土塁
⑦虎口2を土橋上から見る。
⑧物見郭近くの土橋・堀切
2022年05月17日 疲れた人
高館城[野口城 周辺城郭]
高館城は、佐竹氏一族の小瀬氏がこの地で最初に構えた城といわれています。
口コミとは別に写真を出しています。
もー、見てください、これ…ユルくて浅くて…もうこれが、これが、たまらないんです🤤曲輪内部も斜面がちだったり、削平は緩いです。自然のままの斜面です。全体的に作りかけの城じゃないのかなと思いました。でも緩いなりに、堀切からの坂虎口とかついていて、やりたいことは伝わるんですよね。それが、すごくキュンとしてしまいます。
この辺にいつもの横堀をまいて、堀切は長さはいいから、深さはこれくらい欲しいかも…とかなんとか、歩き回りながら、あちこちから眺め回しながら、勝手な完成形を思い浮かべるのが最高に楽しいです。あとは自分が掘るから任せてくれという気持ちになります。図面描いちゃうぐらい楽しいです😂
遠くからお城をはるばる見に来た方には、野口城、御前山城だとかこの城の近くにある小瀬城、さらに美和地区に足を伸ばして、鉄板の檜沢城や高部館、抜群にステキな高沢城とかを案内すると思います。
常陸の城、特に佐竹氏関連の城歩きをしていて、佐竹っぽいあの土木の雰囲気がわかる方には、この作りかけ感、えぐくなる手前で寸止めされた感じがきっとたまらないんじゃないかなあと思います。あとは、うっすい堀でも、存分に萌えられる方には非常にオススメです。
要するに、マニア向け物件です…😊
ちなみに、出だしから堀底道で始まるので、はしゃいでどんどん奥へ行くと、主郭のある山を素通りします…。写真③に出しました左右の地面を削ぎ落としたタイトな土橋のようなところまで来てしまうと行きすぎです。その手前でアタリをつけて山に登るとお城に辿り着きます。
※おまけ
タイトな土橋のような箇所を先に進むと二重堀?(写真④⑤)があります。タイトな土橋も含めて、畑だったり、後世に色々と改変があるようなので何とも言えません…。
2022年05月08日 疲れた人
高沢向館[野口城 周辺城郭]
高沢向館は高沢城の支城です。高沢城への行き方や写真は既に登録してありますから、そちらも参考にしてください。
さて、高沢向館は、麓の墓地から直登するか、高沢城から尾根伝いに来るかの二択のようです。高沢向館の位置は、余湖さんのHPに出ているポイントを参考にいたしました。
自分は、高沢向館だけに行こうとして、まずは、城があるポイントをめがけて、麓の墓地から直登しようとしました。が、肝心の墓地がよくわからなかったです。山の裾野はぐるりと有刺鉄線が隙間なくがっちり囲んでいます。有刺鉄線越しには、墓地が全く見えないんです💦
唯一、1箇所だけ、有刺鉄線の留め具を外して、山へ侵入できそうなところがありました。その位置は城へのポイントにも近く、そこが墓地への入り口と思われます。ただ、この日は田畑にいる農家さんたちの不審者を見つめる熱い視線により、断念いたしました。
高沢城から尾根伝いに行く場合、軽く枝漕ぎと枝漕ぎをしながら行きます(この尾根にも遺構があるんじゃないかとあちこち行き来してみましたが何もなさそうでした)。
高沢向館のポイントめがけて、尾根から軽く下ると、有刺鉄線越しに堀切が見えてきます。高沢向館に到着です。そして、有刺鉄線デスマッチの開始です。
このお城の見所は全て有刺鉄線の向こう側にあるのです。これを乗り越えないことには遺構にありつけません。有刺鉄線を壊さずにうまく回り込んでください。どこからどうしたのかをうまく説明できませんが行けばわかります🤣
高沢城と違い、こちらは整備が全く入っていませんので、藪がちで、なかなかその良さが写真にはならなくて無念です。現地にはステキな遺構が待っています。
高沢城に来たら、尾根伝いにこちらまで一気に来ると、かなり満足度の高いリアになると思われます。必ず、セットで見ていただきたいです😊
※尾根で繋がる高沢城と併せて、この口コミは去年(2021年春)の話です。
2022年になり、更に整備が進んだと聞いています。向館に行くための道がついて、藪漕ぎをしなくてよくなったとも聞いています。遺構も見やすくなっているかもしれません。そのうち、確認に行けたら新しい写真を出そうと思います。でも、あのガチすぎる有刺鉄線は、なくなったりはしないだろうなあ😂
2022年05月08日 疲れた人
高沢城[野口城 周辺城郭]
高沢城は、大掾氏の水戸城をどさくさに紛れてちゃっかり奪った江戸氏宗家から分封された鷲子江戸氏の城です。
この城の二重堀切はすごく良かったです。まるで、下野の真名子城の二重堀切の縮小版でした。個人的にこの地域で一番推せる堀切です。現地でぜひ見ていただきたいです。
また、この城から尾根伝いに、三連続堀切を有刺鉄線でがっちり守る城、高沢向館に繋がります。以前は軽く藪漕ぎしたんですが、最近になって道がつけられたと聞いています。高沢向館もリア攻めマップに入れて写真を出しています。そちらも併せてご覧ください。
この付近には、小舟城や檜沢城(野口城のリア攻めマップにあり)に、高部館や高部向館に小田野城、河内城(栃木県の武茂城のリア攻めマップにあり)などがあり、一日中、お城を見放題の地域ですごくオススメです。
行き方です。
Googleマップに高沢城の登録がありません。標柱のある曲がり角に行く手前にある『ENEOSとりの子みわSS/(有)阿部商店』を目的地に設定してください。
そのまま県道29号線を栃木方面へ進むと、『(特養)みわ』があるんですがその手前の曲がり角に、高沢城の標柱があります(写真1)。
道なりに行くと水道タンクがありその先に神社の鳥居があります(写真2 3)。
鳥居の脇の踏み跡から直登です(写真4)。
追記:2022年に駐車場ができました✨先述のエネオスさんの少し先の空き地に案内板がつきました😊(写真5 6 7)この案内板の前に駐められます。
※鷲子江戸氏について
鷲子江戸氏は、水戸城を大掾氏からどさくさに紛れて奪取した江戸通房の次男の通治が分封されたのに発します。
鷲子(常陸大宮市の美和地域)は、江戸氏本家の所領(水戸市から常陸大宮市小場の辺りまで)からかなり離れた下野との境目にあたり、佐竹氏が押さえていた重要な地域です。
なぜ、ここに分封されたのかが不思議ですが、水戸市史では、佐竹氏と密接な関係を保ってきた江戸氏が佐竹氏から分与されたところではないかと書かれていますが仔細は不明のようです。
鷲子江戸氏は、独自に佐竹氏との結びつきを強めて、その家臣団に組み込まれたようです。江戸氏宗家の水戸城落城の際も、渦中に巻き込まれることなく、佐竹氏家臣として存続していきます。佐竹氏の秋田への移封に伴い、秋田へ移ります。
2022年03月28日 疲れた人
金剛院歌碑(義公観桜歌碑)[野口城 碑・説明板]
こちらについては、野口城のリア攻めマップについている石塚城の口コミを参考にしてください。写真2枚目が遺構への入口になります。
2022年03月27日 疲れた人
石塚城[野口城 周辺城郭]
石塚城の主郭周辺の宅地に点々と残る遺構。場所はどれも説明しにくいのですが、石塚城の看板周辺の点々と残る林や竹藪にしっかりとありました。
場所によっては二重堀で残り、宅地内で消えた堀跡はそれぞれがどのように繋がっていたのか、どれだけ張り巡らされていたのか、堀跡があった場所を図面で見ながら考えてしまいます。
佐竹氏にとって街道を押さえたこの場所、この城がどれだけ大事だったのかがわかります。
石塚城に来たら、宅地なので怪しくならないようにお声がけしつつ、ささっと周辺の散策もしてみてください。写真⑦⑧の金剛院歌碑の堀跡が一番行きやすいし、これだけでも満足度は高いと思います。
①②街中遺構としては意外と長く二重堀でしかも綺麗にカーブしてたんですが全く写真にならず。せめて堀跡とわかるものを。2枚目は藪で行けない方たちの代わりに入っておきました。というか入らないと深さがわからないので体感大事なので(笑)。右上と左上の微妙な余白が堀の端のラインです。現地ではくっきりなんですが…これじゃわかんないですよね🤣
③④石塚城の看板前の堀跡。逆側からも。前に出しましたが撮り直しました。
⑤⑥主郭周辺の堀と遜色ない堀跡。③④と繋がっていたのか、西側に走るのか。西側にも遺構があるので、また散策して妄想しながらじっくり考えたいです。
⑦⑧Googleマップにある金剛院歌碑(義公観桜碑)の看板の横から入ると二重堀。見た瞬間に幸せになれる安定のいい堀でした。
※リア攻めマップにも金剛院歌碑として、看板と入口の写真をつけてあります。石塚城に来たら寄ってみてくださいね。
2021年12月27日 疲れた人
檜沢城城址案内板(駐車場)[野口城 碑・説明板]
Googleマップは、檜沢郵便局に設定していただくといいと思います。すぐ近くが駐車場です。駐車場とはどこにも書いていませんが、通りから見て看板の裏のスペースが駐車場です。
①通りからも見える案内板が目印。
②駐車場内からも案内板が読めます。綺麗な案内板が両面仕様、常陸では貴重です。これだけでキュンです🤣本当に常陸大宮市、特に美和地区はお城に熱いです😊
③駐車場から見える檜沢城。
お城への行き方は、檜沢城(野口城のリア攻めマップにあり)に口コミとは別で写真を出しています。
参考にしてください。
※数年前に常陸大宮市主催で檜沢城や高部館のガイドツアーを催した際に、参加者を乗せたバスが駐まった場所なんですが、駐車場として出していいのかイマイチよくわからず、駐車場の場所は出さずにいました。今回、綺麗な案内板がつけられたので公式になったのかと思い、駐車場として出しました。
駐車場としては、すごく広いわけではないので、道の駅北斗星や高部館の駐車場、美和支所の駐車場で待ち合わせて、乗り合わせで来るのが無難だと思います。
ちなみに、数年前の美和地区お城歩きガイドツアーは他県からの方も沢山来ていて大盛況でした。こんな状況ではありますが、また、再開するといいなあと願っています。余談でした。
2021年12月19日 疲れた人
石塚城[野口城 周辺城郭]
石塚城の行き方です。
Googleマップは石塚城跡でもいいんですが、自分はいつも金剛院歌碑(義公観桜歌碑)に設定して、そこから地図を見ながら駐車場の墓地へ運転して行きます。
どれに設定しても行き違えない住宅街の道を走り、駐車に関しては墓地の駐車場をお借りするしかないです。
墓地の名称がGoogleマップに登録がないので、墓地の見つけ方なんですが、歌碑に設定していただき、マップを左にずらしていただくと墓地があります。よーくよーく見てください。
墓地のスペースは縦長で、普通車2台ぐらいは駐められそうでした。複数名で来るような時には、城里町役場や城里ショッピングプラザなどで待ち合わせをして1台で来るのが無難だと思います。Googleマップの石塚城跡の案内板の位置はかなりズレていますので気をつけてください。
車を駐めたら、墓地を通りすぎて、まっすぐ県道61号線方面へ歩いてください。目の前に看板と、堀跡の畑が目に入るはずです。案内板の脇の道を入るとすぐにイケてる土橋がありキラキラの堀底に飛び込めます。
2021年04月29日 国府左京大夫城介
伊勢畑要害[野口城 周辺城郭]
御前山城と同じ尾根にある城
【歴史】
築城年代、築城者共に不明。
【遺構】
御前山城の西3kmほどに位置し、比高80mほど山稜に築かれており、現在は青少年旅行村というキャンプ場となっている。御前山城と同じ山稜に存在し、御前山城からはハイキングコースで向かうことができる。
単郭ではあるが、主郭はかなり広く不自然な段差が存在している。キャンプ場になってはいるが、遺構自体はほとんど壊されておらず、主郭を囲むように土塁や横堀、腰曲輪が残っている。
【感想】
御前山城はかなり技巧的な造りをしていたが、この伊勢畑要害は単純な単郭となっている。とはいえ、城塁自体はかなりしっかりと造られていることから、臨時的な陣城の色合いは薄いと思われます。加えて、主郭自体はかなり広いのでそれなりの兵力を置くことができます。また、御前山城自体が山の東端に存在しており、西端からの尾根沿いの侵攻には弱いです。その弱点を防ぐための造られたのではないでしょうか。
キャンプ場ということで、頂上まで容易に車で行くことができ、下草等もある程度刈られているので、遺構はかなり見やすくなっています。ただ、流石にカメラを持ってウロウロするとかなり怪しい人間にしか見えないのが難点です(笑)
【アクセス】
水戸駅北口から長倉行き等に乗り、「青少年旅行村入口」バス停で下車し、徒歩で30分。
御前山城からハイキングコースを利用した場合は、約1時間。県道で向かった場合は、約45分。
【写真】
1:南側土塁
2:腰曲輪
3:虎口
4:主郭内
5:横堀(藪で分かりにくいですが)
6:西側の城塁
2021年04月14日 龍馬備中守【】
山方城(御城)[野口城 周辺城郭]
茨城県の常陸大宮市にある山方城♪
佐竹氏の重臣であった山方盛利の居城として知られています♪別名を御城と呼びます♪
往時・佐竹氏の所領だった城郭は川をのぞむ舌状台地上に立地していて西側には高舘山、南側には皆沢川が流れる要害地☆佐竹氏の城郭の環境的な特徴が良く出ています☆北側に構える伊達政宗、白河結城氏の侵略に備えました☆
関東管領・上杉憲定の子義憲が佐竹氏を継いだ時に後見として美濃山方から常陸に入った上杉一族の山方能登守盛利が居城としたと伝わります☆
その後、15代目の佐竹義治の第五子である東政義の居城となりましたが、東氏は小里エリアにに移りました☆
櫓が復元されている台地東端が主郭(御城)になっていて、そこから西に向かって中の城、更に外城が形成されています☆
この主郭(御城)中ノ城、外城が日常の居館になっていて西側にそびえる高舘山は山城部分の詰め城となります☆山中の城郭は連郭式になっています☆
御城の南麓は今でも根古屋という字名で呼ばれてます☆家臣の居住区だったのでしょう♪根古屋地内の皆沢川にかかる橋は嘆願橋と呼ばれ、城内に入る事を許されなかった庶民は城の手前のこの橋で 嘆願をしたと伝わります☆
2021年03月27日 国府左京大夫城介
野口城
公共腰機関でのリア攻めについて
水戸駅北口の7番乗場から、「野口」「長倉」「ツインリンクもてぎ」行きのどれかのバスに乗って、「那珂川大橋」バス停で下車し、バス停のある交差点近くのウエルシアの脇から徒歩5分程で野口城に着きます。
バスの本数は毎時1本あり、料金は680円、水戸駅から1時間程かかります。
2021年03月02日 昌幸修理大夫佐竹深堀りツアー
檜沢城[野口城 周辺城郭]
先人の口コミを見て気になり登城した檜沢城(ひざわじょう)。
過度な整備はされず、当時の面影を感じながら見学できます。
個人的には居館上の段郭群と、主郭背後の二重堀切が『守ってる感』が出ており、好きな遺構です。
※途中ロープを使っての登城があります。手袋は必須アイテムです。
【写真の説明】
①居館跡
②居館背後にある段郭群
③主郭までの道はこんな細尾根を歩くことも…
④尾根を見事に割いた堀切
⑤主郭と腰郭
⑥主郭最上部にある土塁に囲まれた空間
⑦主郭背後の二重堀切
⑧腰郭から見る二重堀切
2021年01月03日 JUN
野口城
お正月の気分転換の散策には、丁度良い城跡です!歴史的に観ると、那珂川を管理する為には佐竹氏が必要なのも判りますし、戦国大名として成立すれば城ごと排除するのも仕方無しと思いました。
2020年11月25日 疲れた人
孫根城[野口城 周辺城郭]
孫根城は、山入の乱で太田城を追われた佐竹義舜が匿われ、10年余り在城した城です。(この後、金砂山城での戦いを経て、太田城に戻ります。山入の乱は100年にも及ぶ佐竹宗家と佐竹庶流の内乱でした)
大山城城主の大山義道の築城で大山城の支城だそうです。が、大山城よりもかなり大規模なお城であることは散策するとすぐにわかります。土塁等遺構がとにかくあちこちにあり、テンションが上がります。写真に出したものはそのうちのほんの一部です。
主郭は住宅となっており入れないんですが、その周囲をあり得ない土の壁が堅く守っています。立ちはだかる圧巻の土塁は、山入の乱に際して、守りを固めるべく拡張していったものと思われますが、とにかくサイズがおかしいです。
駐車場はありませんが、孫根城の看板に行く手前の十字路付近に少しスペースがあり、そこに駐めて見学、散策しました。
ただ、ただ、驚きしかない常陸屈指の異様な土塁は車を降りたらすぐ見られます。
2020年10月08日 疲れた人
御前山城[野口城 周辺城郭]
那珂川を挟んで野口城の対岸にあるお城です。700年ぐらいの時を経てもしっかりした遺構は見応えがあります。
駐車場は、道の駅かつらを使ってください。そこで御前山を散策するためのマップがもらえます。口コミ投稿日時点で西登山口は通行止めでしたから、登山口については必ず道の駅や役所に問い合わせてください。
城内へ行くには、ところどころにある鐘つき堂跡の案内板に従い、そこを目指して歩いていけば、次々と遺構が現れます。鐘つき堂跡までが城域とのことなので、そこまでしか行きません。城内まではわりとすぐですから、敬遠せずに見ていただきたいです。
「時代も古いし、山の中にある風化したうっすいお城みだろ?(褒めてます)」と思っていましたが、作り込みがやたら肉厚…重厚なところがあり、しっかりと残っていて本当に驚きました。
自分の写真では、深さや大きさが伝えきれてないです。自分の拙い写真とのギャップに、現地で驚いてほしいです。
この付近の未登録城は野口城のリア攻めマップや武茂城のリア攻めマップに入れてあり、本当にいい城が多いです。
※写真は鐘つき堂跡の東屋と鐘つき堂から見える景色です。対岸の野口城は東にありまして南西に位置するこの場所は山しか見えないです…
2020年10月07日 疲れた人
野口城
イケてるお城なのに駐車場がないのが、困るので参考になれば。あとはやっぱり冬(12月から2月。暖冬だと3月は厳しい。悪くないけどベストじゃない)のリアがめちゃくちゃ遺構映えしてオススメです。
自分は、駐車場はいつも道の駅かつらにしています。まずは、道の駅かつらから見える御前山城を見上げて、赤い橋を渡り、野口城までてくてく行きます。大した距離ではないです。
先人様方からは、城址近くの廃屋にとめたとか城址碑先のスペースにとめたとか聞きますが、自分は一番問題ない場所にとめています。歩く距離を短くするなら、道の駅かつらの対岸の河川敷かなあと思います。
ちなみに、城址標柱からの登城路の砂利道は、軽自動車ならあがって行けると思います。二郭にある畑の耕作者が軽トラですごい勢いであがってきたことがありました。車一台くらいなら畑の脇のスペースに止められると思います。
2020年09月15日 疲れた人
小舟城[野口城 周辺城郭]
小舟城は武茂城のリア攻めマップに登録がある高部館と同じく、佐竹氏の対那須氏用の番城、軍事拠点だそうです。
お城への入り口は県道12号線をやすらぎの里公園に向かう途中に見える階段から入ります。この階段はしっかりしたもので見落としはしないと思います。
階段を上がると、お墓があり、その裏にあると聞いていた登城路がどこにも見えないため、山の斜面をひたすら藪漕ぎしながら(冬は枯れていそうです)、尾根を目指して直登しました。
尾根付近までくれば藪も薄くなり、完存といえる遺構が見られます。
西にある大きな二重堀切が、めぐらーさん垂涎の見所だと思います。
2020年09月11日 疲れた人
檜沢城[野口城 周辺城郭]
檜沢城は比高100mくらいの山頂が主郭になる山城です。その城主は、檜沢氏、小室氏とされており佐竹氏の一族です。
近年、常陸大宮市美和地区の森と地域の調和を考える会の皆さんの手で丁寧に整備がなされたお城です。
麓に近い檜沢城とそこから尾根伝いにつながる檜沢古館からなるお城です。
地元では檜沢古館が長らく檜沢城と言われていたそうです。ふもとの街に近いほうの檜沢城については城として伝承が何もなかったそうです。城のすぐそこに街が広がっているのに、何とも不思議な話です。
檜沢城のある地域は、西は那須方面へと繋がるところに位置しています。佐竹氏は下野の那須氏と対立していたことから対那須氏の拠点であったと考えられています。
その城内なんですが、まるで重ねたパンケーキのように何段にも重なる郭をひたすら1番の見所である山頂の二重堀切めがけて直登気味に登ります。檜沢古館は二重堀切の先の尾根伝いにあります。城内は、迷わぬように、木々にピンクのリボンがつけられており、直登気味でもとても登りやすいです。ピンクのリボンに従って歩くと、大きな堅堀など、時の流れを感じさせない鋭い遺構を次々に見ることができます。傾斜がきつい箇所にはロープがあります。熊は出ませんから落ち着いてじっくり見てほしいです。
秋田に移封された佐竹氏の歴史を確かに感じられるいいお城です。
こちらに来たら、ぜひ、近くにある高部館や、高部向館、高沢城、高沢向館、河内城、小田野城に小舟城などなど、お城見放題の地域ですから、一日中、見歩いていただきたいです😊
2020年08月16日 龍馬備中守【】
檜沢城[野口城 周辺城郭]
茨城県の常陸大宮市にある檜沢城♪檜沢城は最近その存在が明らかになってきた城郭です♪この地方の西隣に勢力を持つ那須氏の一族が治める烏山城が直線距離で約17km先にあり佐竹氏と那須氏は幾度かの攻防戦を行っています♪
佐竹氏の城郭は領地支配の為の城というより対那須氏用の軍勢の宿城、集合地として檜沢衆が詰めて佐竹氏が烏山の那須氏領に進軍するルート上に築かれた番城の一つでしょう♪
2020年08月16日 疲れた人
前小屋城[野口城 周辺城郭]
前小屋城は、佐竹氏の重臣である前小屋氏の居城です。佐竹氏の秋田移封に同行して廃城になりました。
現在は種生院というお寺になっています。寺院内に駐められます。十分に広いです。
種生院の右奥へ回ると土塁を超えるために木橋がつけられています。一見、きちんとした木橋に見えますが、設置されてかなりの年数が経つようで、お手入れもされておらず、腐った箇所があり、渡る際には十分に気をつけてください。
この橋を登ると、いきなり7〜8メートルくらいの深さがある空堀が見えます。駐車して橋を登り3分で幸せになれる巨大な薬研堀です。
木橋から無理やり堀底に降りたくなりますが、ちょっと堪えていただいて、木橋を渡り五郭の土橋や虎口も見てから、五郭の空堀から堀底ウォークを開始するのがオススメです。
縄張り図片手にお寺の周りの宅地も歩いてみてください。竹藪の中に、そこかしこに、土塁や空堀があります。
※ちなみに寺院内にある三蔵の滝という案内板に誘われて素晴らしい切り岸を見ながらうろうろしました。滝の案内板をやっと見つけるも笑いしか出ませんでした。思ってるような滝はありませんのでご注意ください。由来は誉れ高いですがB級スポットじゃないかと…
2017年05月11日
野口城
車で向かい、駐車スペースを求めて、城跡標柱前を通りがかると、首輪のない放し飼いの犬が車に吠えかかってきて、危なくてしょうがない。マナーの守れない輩は、飼い主の資格なし。しつこく付きまとってくるので、見学できず。腹癒せに近くの東野城跡を攻めてやりました(笑)
那珂大橋を渡った城里町側の御前山も城跡です。
2016年11月26日 まー刑部卿
野口城
マップの位置通りナビに登録したら行けました。案の定、駐車場は見つからず案内板の前の道を進み県道21号線とぶつかる手前に車1〜2台ほどのスペースが見つかり駐車。また畑がある城跡側にも一台ほどのスペース有り。案内板を上っていくと標柱と説明板がある。直進し竹藪のある郭を抜けると空堀と堀切が見える。堀切を撮影したい場合、先程の説明板に戻り左手方向の道を行くと撮影出来ます。
2013年03月04日 鳳雛SASlov優彩
野口城
近くに長倉城跡もあるので、載せました。
攻略対象になっていませんが
2010年06月08日 半日皇帝下野守
野口城
かなり分かりにくい場所にあるので、地元の年配のかたに場所を聞きながら行くことをお勧めします。
野口城の周辺スポット情報
高館城標柱(碑・説明板)
檜沢城城址案内板(駐車場)(碑・説明板)
氷之沢館標柱(碑・説明板)
金剛院歌碑(義公観桜歌碑)(碑・説明板)
部垂城(周辺城郭)
宇留野城(周辺城郭)
前小屋城(周辺城郭)
川崎城(周辺城郭)
小場城(周辺城郭)
檜沢城(周辺城郭)
小舟城(周辺城郭)
小瀬館(周辺城郭)
大山城(周辺城郭)
石塚城(周辺城郭)
御前山城(周辺城郭)
孫根城(周辺城郭)
山方城(御城)(周辺城郭)
伊勢畑要害(周辺城郭)
高沢城(周辺城郭)
高沢向館(周辺城郭)
東野城(周辺城郭)
高久城(周辺城郭)
高館城(周辺城郭)
小瀬城(周辺城郭)
平治館(周辺城郭)
穴沢館(周辺城郭)
八幡館(周辺城郭)
鹿島清房五輪塔(寺社・史跡)