野口城(のぐちじょう)

野口城の基本情報

通称・別名

川野辺城

所在地

茨城県常陸大宮市野口

旧国名

常陸国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

川野辺通直

築城年

正暦2年(991)

主な改修者

主な城主

川野辺氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

瓜連城(茨城県那珂市)[11.7km]
那珂西城(茨城県東茨城郡)[12.4km]
久米城(茨城県常陸太田市)[13.2km]
茂木城(栃木県芳賀郡)[13.5km]
山入城(茨城県常陸太田市)[13.9km]
南酒出城(茨城県那珂市)[16.4km]
太田城(茨城県常陸太田市)[16.6km]
千本城(栃木県芳賀郡)[16.8km]
長者山城(茨城県水戸市)[17.9km]
額田城(茨城県那珂市)[18.2km]

野口城の解説文



野口城(のぐちじょう)は、茨城県常陸大宮市野口(常陸国那珂郡野口)にあった日本の城。常陸大宮市指定史跡。

歴史・沿革 

991年(正暦2年)に鎮守府将軍藤原秀郷の流れを汲む藤原通直後裔の川野辺通直により築城され、以来、野口城は通直の後裔川野辺氏が世襲にて領有した。別称を川野辺城ともいう。なお、通直の兄は太田城を築城して太田通延と名乗り、子孫は小野崎氏となっている。

平安時代以降、常陸国北部は那珂で武門として名高い清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む佐竹氏と藤原秀郷の流れを汲む藤姓の両武士団が勢力を誇り、野口城は藤姓川野辺氏の拠点の役割を果たした。

南北朝時代に入り、川野辺資鎮は川野辺氏の庶家ながら有力な武士として台頭した瓜連城主の那珂通辰に従い、南朝方として活躍し佐竹氏に対抗したが、那珂通辰が敗死すると、川野辺氏も衰退し、穴技の地に退き、野口城は佐竹氏に明け渡された。

以後、野口城は佐竹氏の庶家野口氏により領有された。しかし、1540年(天文9年)、野口幹成が常陸守護佐竹義篤に背き敗北すると、幹成旧臣たる野口四天王らは佐竹氏に帰順、野口城は廃城となった。

現在は城址のみ残る。

野口城の口コミ情報

2023年07月25日 けー@ぷりめてぶな城
部垂城[野口城  周辺城郭]



常陸大宮市史資料編2の刊行に合わせて、常陸大宮市で行われたシンポジウムにて、部垂城の最新の縄張図が公開された。それに基づいて歩いた。最新の縄張図では、主に北側に残る遺構が追加されている。

①御城橋から登る。橋には、御城橋という名前や昭和九年の文字が彫られている。この水路で北側斜面の遺構は分断されている。
ちなみに、ただの水路ではなく、岩崎江堰※という水路で、近世の遺構になる。
②③というわけで、水路で分断された竪堀。水路がない状態を想像して鑑賞。なかなかえぐい。
④⑤かわいい御城橋を渡ると、登城路はおなじみの堀底道。
⑥⑦青々とヤブしている。クランクした登城路は土塁がしっかりあって横矢をかけている。写真で見るより、しっかりとクランクを体感して歩ける。ぜひ、冬に歩いてみてほしい。
⑧この登城路を登りきると、小学校と松吟寺の間の堀に繋がる。小学校の奥に見える竹藪の辺りから宅地を抜けていたようだ。松吟寺は写っていないが、宅地の更に奥にある。

※岩崎江堰の工事をしたのは、永田茂衛門と勘衛門の親子です。永田茂衛門と勘衛門は、甲州黒川で金山開発に当たっていた「金山衆」だったといわれている。永田家に伝わる由緒書には、先祖が甲斐武田氏の家臣であり、武田氏の滅亡後は徳川家康に仕え、金山採掘者と共に各地の合戦に赴き、多くの手柄をたてたとの記載がある。

常陸に来た永田茂衛門父子は町屋金山で開発にあたっていた。金山採掘で用いる測量や掘削の高い技術が見込まれ、久慈川と那珂川を堰き止めて、水路を引き、耕地を広げるという大規模な治水工事に抜擢された。

工事を指揮したのは、望月恒隆で、武田氏の名跡を継ぎ、水戸城主として赴いた武田信吉に仕えていた甲斐武田氏の旧臣だ。信吉が亡くなった後も水戸に留まり、土木工事や農政の発展に尽力して、水戸藩政の初期を支えた。

詳しくは、市の資料館で販売中の「図説永田茂衛門親子と三大江堰」をぜひ。

甲斐武田氏は常陸が発祥の地だが、めぐりめぐって、色々な形でまた常陸の地に繋がっているところがちょっと面白いし、部垂城に来たらそれも知ってほしいと思い、口コミを書き直してみた。

2023年03月09日 昌幸近江守更に吉
宇留野城[野口城  周辺城郭]



常陸大宮市にある宇留野城。平安時代天禄年間(970-973)に宇留野五郎時景が築城しました。宇留野氏は佐竹氏家臣となり、慶長7年(1602)の佐竹氏秋田移封に同行。その際に廃城になりました。

縄張はI郭(御城)・II郭(中城)・III郭(外城)から成る連郭式の城で、後に手狭になり谷向こうの西側台地に4つの郭を設け拡張しています。西側台地は現在宅地となり遺構はあまり残っていません。I郭には宇留野氏の氏神である日向神社があります。

車で日向神社まで行くことができます。道が狭くて大型車だと躊躇するかも知れませんが行けますのでご安心を。

【写真の説明】
①I郭に建つ日向神社
②I郭に架かる土橋
③I郭-II郭間の空堀
④II郭。土塁に囲まれる
⑤II郭の横堀
⑥II郭には腰郭が備わる
⑦III郭には高い土塁が残る
⑧II郭-III郭間の空堀

2022年12月09日 昌幸近江守更に吉
小舟城[野口城  周辺城郭]



小舟城は小舟川沿いにある下野との境目の城です。
鎌倉時代に高沢氏が築き、同氏が鷲子(とりのこ)に移った後は、小瀬(おせ)氏の支城となり、家臣の内田氏が城主を務めました。

城は居館部と詰の城とで構成されます。
居館部の最高所は吉田鹿島神社が、寺跡には小舟公民館が建ちます。
詰の城は堀で断ち切った3つの郭と出郭だったとされるⅣ郭があり、各郭はそれほど広くなくまさに非常時の城という感じです。
I郭から吉田鹿島神社へ向かって伸びる段郭と迎撃用の塹壕があるようなのですが、今回は見逃してしまいました。

車は小舟公民館に停めさせて貰いました。
ここなら周回でき、右回り(公民館の裏を登りⅣ郭に至る)でも左回り(神社経由でⅡ郭に至る)どちらでも訪問することが可能です。

【写真の説明】
①吉田鹿島神社の鳥居をくぐると居館跡に。右手が詰の城。
②神社が居館部の最高所。ここに至るまでいくつもの段郭を登っていく。
③尾根を伝ってくる敵を遮る二重堀切。下から。
④上から見た二重堀切。
⑤I郭背後の堀切。
⑥I郭切岸。
⑦かなり埋まっているが、I郭堀切からの
⑧竪堀

2022年12月05日 昌幸近江守更に吉
小瀬城[野口城  周辺城郭]



緒川と舟川に挟まれた山陵にある小瀬(おせ)城。特に緒川の流れでできた崖が天然の要害を感じさせます。
佐竹一族の佐竹義春がこの地を賜り小瀬氏を名乗りました。この地域は佐竹氏の対那須地方の重要な地で、小瀬氏はそれに応えるように250年もの間善政を敷きました。

縄張りは南北1キロにも及ぶ直線的な連郭式山城です。1郭を中心に南側に4つの郭(2,3,4,7郭)と北側に2つの郭(5,6郭)を配していて、近隣の城の中では大きく、ここでもやはり重要な地だったことが分かります。

付近は1車線の道で車を停める場所に悩むのですが、回避スペースが何箇所かあり、停めさせて貰いました。グループで訪城する場合は乗り合わせ必須です。
7郭には電波塔が立っていて、そこを目指して歩いていきます。城内はアップダウンが少なく、切岸の向こうに見える1郭が見えた日には感動モンで、いわゆる「コスパの良い」城かと思います。

まずは1郭より南側(2,3,4,7郭)をご紹介します。

【写真の説明】
①遠景。飛び出した木と重なるように電波塔が建ち、そこが7郭。
②7郭堀切。堀底から。
③4郭堀切。上から。
④4郭堀切は竪堀となる。
⑤4郭は土塁に囲まれた十分な空間が確保されている。
⑥細尾根につくられた堀切と土橋
⑦2郭から3郭を見る。
⑧4郭-3郭間の堀切。南側ではこの堀が1番深い。

2022年12月05日 昌幸近江守更に吉
小瀬城[野口城  周辺城郭]



続きまして1郭より北側(5,6郭)の遺構です。

【写真の説明】
①1郭背後の切岸
②5郭の堀切と土塁
③5郭-6郭間の竪堀
④5郭の土壇
⑤6郭堀切。北の終端にあたる。
⑥終端から6郭を見る。

2022年11月29日 昌幸近江守更に吉
高沢向館[野口城  周辺城郭]



高沢向館(たかざわむかいだて)は高沢城の北にある城です。より下野に近い位置から物見のような役割だったと思われます。
単郭に腰郭、正面は竪堀と横堀、尾根続きの背後は3条の堀切があります。

アクセスは高沢城から尾根伝いで行くことができます。鉄塔を越え、木の伐採場目指して歩いて下さい。竹が刈られて道ができています。伐採場にぶつかったら右折し尾根を下ってください。進むと背後の堀切に出会えます。(約15分)
城サイトで有名な余湖さんのHPでは、麓の墓から登城したと書かれていますが、現在はそちらからはアクセスできません。おそらく伐採場の所有地となっているからか、無断進入できないように獣避け柵で囲われ、さらに国道から入る橋にゲートが付けられているからです。
城内部も伐採場の所有地と重なっていると思われ、分断するように有刺鉄線が張られています。ケガしないようにご注意下さい。

【写真の説明】
①尾根を伝い最初に出会う堀切3
②堀切2
③堀切1。これが主郭背後。
④堀切1そばには沢から侵攻に備えるため、土塁に囲まれた郭が設けられる。
⑤腰郭
⑥主郭
⑦正面竪堀(草が生えている所)
⑧正面横堀

2022年11月25日 昌幸近江守更に吉
高沢城[野口城  周辺城郭]



高沢城は緒川沿いの街道(現国道293号)と緒川に合流する支谷がぶつかった地点に築かれた城です。支谷の西は那須氏の本拠地である烏山城があり、重要な地でした。

築城者は源氏の子孫高沢氏です。高沢氏信が親鸞の門下生になったのをきっかけに代々仏門に帰命し、結局高沢氏は武士を廃業し照願寺の住職となりました。
しかし那須氏と隣接したこの地、戦国時代には佐竹配下の城として再整備されたようです。

縄張りは主郭に二段の腰郭・横堀と竪堀を組み合わせています。西側は二重堀切により尾根からの侵入を防ぎ、そこから繋がる主郭虎口付近が技巧的で高沢城1番の見どころかと思います。
保存会の方々が2年ほど前から本格的に整備し、案内板と縄張図が準備され大変見やすくなっています。10台以上停められる駐車場があります。これから山城を勉強したいという方にはもってこいですよ!

※初見は現地説明会だったので、そんなに自由気ままに見られる訳ではなく… 10日後に再訪問しました。

【写真の説明】
①登城して最初に出会う東端の堀切。尾根を伝い主郭へ向かう。
②主郭横堀その1
③主郭横堀その2
④腰郭から主郭を見る。
⑤尾根を進む。奥に見えるのが西端の物見。
⑥二重堀切。
⑦二重堀切うちの1条。鋭い薬研堀。
⑧二重堀切の写真右側は主郭虎口。折れてからの坂虎口。技巧的です。

2022年11月20日 昌幸近江守更に吉
前小屋城[野口城  周辺城郭]



前小屋城は、東に久慈川を望む比高20mの台地に築かれた城です。

築城者は秀郷流藤原氏系の那珂氏の分流で、のちに佐竹家臣となる平沢丹後守通行と伝えられています。平沢氏滅亡後は佐竹一族の小場氏5代義忠の弟、義広が小場家家老として分家し、前小屋氏を名乗り居城しました。前小屋氏は重臣として活躍し、佐竹氏の秋田移封に同行し城は廃城となります。

縄張りは南北にI〜Ⅳ郭が並び、I郭の西に馬出しとされるⅤ郭を備えた連郭式平山城でした。現在はI郭は種生院 (泉正観世音 )が建ち、II〜Ⅳ郭は宅地化と耕地化でわずかな遺構を残すのみですが、Ⅴ郭は遺構が明瞭に残り当時の様子を垣間見ることができます。V郭の堀底周回だけでも山城好きなら十分楽しめますよ。それなりに薮ってますし夏は間違いなく蚊の宝庫だと思うので、冬場の訪問がオススメです。

あと先人がおっしゃってる通り、木橋は朽ちていて封鎖されてます。橋を使うにしても使わないにしても足元はしっかり踏ん張れるものにしてください。

*車は種生院(泉正観世音)まで来ることができます。

【写真の説明】
①〜⑥堀底周回
⑦V郭に架かる土橋と堀
⑧Ⅲ郭-Ⅳ郭間の土塁の一部と堀跡。堀跡は下へ通ずる道となっている。

2022年07月04日 大膳大夫マイリバ
鹿島清房五輪塔[野口城  寺社・史跡]



常安寺卍の門前に建立されている五輪塔には市の指定有形文化財であることは表示されていますが、由来に関する記述はありません🤔

が、傍の塔婆には「鹿島清房」の名が記されており、山方城下で殺害された鹿島城主の魂を弔うためのもの🙏であることが窺えます

ちなみにこの五輪塔、かつて山方城下の嘆願橋付近に建立されていたものを移転👷‍♂️したものだそうです

嘆願橋の謂れは領民が山方城主に嘆願する場であったとされていますが、ひょっとすると鹿島氏が斬られる前に助命嘆願した場所だったのかもしれませんね🥺


〜以下、常陸大宮市文化財マップより〜

天正19 年(1591)佐竹義宣はいわゆる「三十三館仕置」により常陸の統一を成し遂げたが、その過程で山方で殺害した鹿島城主・鹿島清房(清秀が正しいとも)父子の墓として建立したもの。高さ約2m。

2022年06月08日 昌幸近江守更に吉
御前山城[野口城  周辺城郭]



城里(しろさと)町の御前山(ごぜんやま)城。鎌倉時代の築城とされていますが、いろいろな伝承があり詳細は分かっていません。

縄張りは那珂川(東側)を利用した後ろ堅固の城で、山側(西側)からの侵攻に備えた食い違い虎口とそれに伴う土塁が2ヶ所あり、よく残っていてこの城の見どころになっています。

麓の道の駅かつらに駐車可能。そこから御前山ハイキングコースの東登山口から登りましょう。登り切ると主郭裏です。

【写真の説明】
①食い違い虎口1
②虎口1の土塁
③虎口1手前には土橋・空堀もある。
④虎口1空堀
⑤食い違い虎口2
⑥虎口2の土塁
⑦虎口2を土橋上から見る。
⑧物見郭近くの土橋・堀切

2021年04月29日 国府左京大夫城介
伊勢畑要害[野口城  周辺城郭]



御前山城と同じ尾根にある城

【歴史】
築城年代、築城者共に不明。

【遺構】
御前山城の西3kmほどに位置し、比高80mほど山稜に築かれており、現在は青少年旅行村というキャンプ場となっている。御前山城と同じ山稜に存在し、御前山城からはハイキングコースで向かうことができる。
単郭ではあるが、主郭はかなり広く不自然な段差が存在している。キャンプ場になってはいるが、遺構自体はほとんど壊されておらず、主郭を囲むように土塁や横堀、腰曲輪が残っている。

【感想】
御前山城はかなり技巧的な造りをしていたが、この伊勢畑要害は単純な単郭となっている。とはいえ、城塁自体はかなりしっかりと造られていることから、臨時的な陣城の色合いは薄いと思われます。加えて、主郭自体はかなり広いのでそれなりの兵力を置くことができます。また、御前山城自体が山の東端に存在しており、西端からの尾根沿いの侵攻には弱いです。その弱点を防ぐための造られたのではないでしょうか。
キャンプ場ということで、頂上まで容易に車で行くことができ、下草等もある程度刈られているので、遺構はかなり見やすくなっています。ただ、流石にカメラを持ってウロウロするとかなり怪しい人間にしか見えないのが難点です(笑)

【アクセス】
水戸駅北口から長倉行き等に乗り、「青少年旅行村入口」バス停で下車し、徒歩で30分。
御前山城からハイキングコースを利用した場合は、約1時間。県道で向かった場合は、約45分。

【写真】
1:南側土塁
2:腰曲輪
3:虎口
4:主郭内
5:横堀(藪で分かりにくいですが)
6:西側の城塁

2021年04月14日 龍馬備中守【】
山方城(御城)[野口城  周辺城郭]



茨城県の常陸大宮市にある山方城♪
佐竹氏の重臣であった山方盛利の居城として知られています♪別名を御城と呼びます♪

往時・佐竹氏の所領だった城郭は川をのぞむ舌状台地上に立地していて西側には高舘山、南側には皆沢川が流れる要害地☆佐竹氏の城郭の環境的な特徴が良く出ています☆北側に構える伊達政宗、白河結城氏の侵略に備えました☆

関東管領・上杉憲定の子義憲が佐竹氏を継いだ時に後見として美濃山方から常陸に入った上杉一族の山方能登守盛利が居城としたと伝わります☆
その後、15代目の佐竹義治の第五子である東政義の居城となりましたが、東氏は小里エリアにに移りました☆

櫓が復元されている台地東端が主郭(御城)になっていて、そこから西に向かって中の城、更に外城が形成されています☆

この主郭(御城)中ノ城、外城が日常の居館になっていて西側にそびえる高舘山は山城部分の詰め城となります☆山中の城郭は連郭式になっています☆

御城の南麓は今でも根古屋という字名で呼ばれてます☆家臣の居住区だったのでしょう♪根古屋地内の皆沢川にかかる橋は嘆願橋と呼ばれ、城内に入る事を許されなかった庶民は城の手前のこの橋で 嘆願をしたと伝わります☆

2021年03月27日 国府左京大夫城介
野口城

公共腰機関でのリア攻めについて

水戸駅北口の7番乗場から、「野口」「長倉」「ツインリンクもてぎ」行きのどれかのバスに乗って、「那珂川大橋」バス停で下車し、バス停のある交差点近くのウエルシアの脇から徒歩5分程で野口城に着きます。
バスの本数は毎時1本あり、料金は680円、水戸駅から1時間程かかります。

2021年03月02日 昌幸近江守更に吉
檜沢城[野口城  周辺城郭]



先人の口コミを見て気になり登城した檜沢城(ひざわじょう)。
過度な整備はされず、当時の面影を感じながら見学できます。
個人的には居館上の段郭群と、主郭背後の二重堀切が『守ってる感』が出ており、好きな遺構です。
※途中ロープを使っての登城があります。手袋は必須アイテムです。

【写真の説明】
①居館跡
②居館背後にある段郭群
③主郭までの道はこんな細尾根を歩くことも…
④尾根を見事に割いた堀切
⑤主郭と腰郭
⑥主郭最上部にある土塁に囲まれた空間
⑦主郭背後の二重堀切
⑧腰郭から見る二重堀切

2021年01月03日 JUN
野口城



お正月の気分転換の散策には、丁度良い城跡です!歴史的に観ると、那珂川を管理する為には佐竹氏が必要なのも判りますし、戦国大名として成立すれば城ごと排除するのも仕方無しと思いました。

2020年08月16日 龍馬備中守【】
檜沢城[野口城  周辺城郭]



茨城県の常陸大宮市にある檜沢城♪檜沢城は最近その存在が明らかになってきた城郭です♪この地方の西隣に勢力を持つ那須氏の一族が治める烏山城が直線距離で約17km先にあり佐竹氏と那須氏は幾度かの攻防戦を行っています♪
佐竹氏の城郭は領地支配の為の城というより対那須氏用の軍勢の宿城、集合地として檜沢衆が詰めて佐竹氏が烏山の那須氏領に進軍するルート上に築かれた番城の一つでしょう♪

2017年05月11日 
野口城

車で向かい、駐車スペースを求めて、城跡標柱前を通りがかると、首輪のない放し飼いの犬が車に吠えかかってきて、危なくてしょうがない。マナーの守れない輩は、飼い主の資格なし。しつこく付きまとってくるので、見学できず。腹癒せに近くの東野城跡を攻めてやりました(笑)

那珂大橋を渡った城里町側の御前山も城跡です。

2016年11月26日 まー刑部卿
野口城

マップの位置通りナビに登録したら行けました。案の定、駐車場は見つからず案内板の前の道を進み県道21号線とぶつかる手前に車1〜2台ほどのスペースが見つかり駐車。また畑がある城跡側にも一台ほどのスペース有り。案内板を上っていくと標柱と説明板がある。直進し竹藪のある郭を抜けると空堀と堀切が見える。堀切を撮影したい場合、先程の説明板に戻り左手方向の道を行くと撮影出来ます。

2013年03月04日 鳳雛SASlov優彩
野口城

近くに長倉城跡もあるので、載せました。

攻略対象になっていませんが

2010年06月08日 半日皇帝下野守
野口城

かなり分かりにくい場所にあるので、地元の年配のかたに場所を聞きながら行くことをお勧めします。

野口城の周辺スポット情報

 桧沢古館(遺構・復元物)

 高館城標柱(碑・説明板)

 檜沢城城址案内板(駐車場)(碑・説明板)

 氷之沢館標柱(碑・説明板)

 金剛院歌碑(義公観桜歌碑)(碑・説明板)

 檜沢城登城口(碑・説明板)

 部垂城(周辺城郭)

 宇留野城(周辺城郭)

 前小屋城(周辺城郭)

 川崎城(周辺城郭)

 小場城(周辺城郭)

 檜沢城(周辺城郭)

 小舟城(周辺城郭)

 小瀬館(周辺城郭)

 大山城(周辺城郭)

 石塚城(周辺城郭)

 御前山城(周辺城郭)

 孫根城(周辺城郭)

 山方城(御城)(周辺城郭)

 伊勢畑要害(周辺城郭)

 高沢城(周辺城郭)

 高沢向館(周辺城郭)

 東野城(周辺城郭)

 高久城(周辺城郭)

 高館城(周辺城郭)

 小瀬城(周辺城郭)

 平治館(周辺城郭)

 穴沢館(周辺城郭)

 八幡館(周辺城郭)

 小倉城(周辺城郭)

 高渡館(周辺城郭)

 檜山要害(周辺城郭)

 上岩瀬館(周辺城郭)

 鷲子砦(周辺城郭)

 錫高野城(周辺城郭)

 照山館(周辺城郭)

 下圷館(周辺城郭)

 那賀城(周辺城郭)

 川崎向館(周辺城郭)

 檜山要害城(周辺城郭)

 国長八幡館(周辺城郭)

 松之草入山砦(周辺城郭)

 油河内館(周辺城郭)

 大岩古内館(周辺城郭)

 大岩城(周辺城郭)

 大岩関沢館(周辺城郭)

 長倉城(周辺城郭)

 鹿島清房五輪塔(寺社・史跡)

 常秀寺跡(寺社・史跡)

 長倉城駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

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