久米城(くめじょう)
久米城の基本情報
通称・別名
- 竜貝城
所在地
- 茨城県常陸太田市久米町
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 大掾氏?
築城年
- 鎌倉時代?
主な改修者
- -
主な城主
- 大掾氏、久米氏(小野崎氏)、佐竹氏(北家)
廃城年
- 慶長7年(1602)
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
太田城(茨城県常陸太田市)[3.3km]
山入城(茨城県常陸太田市)[5.5km]
瓜連城(茨城県那珂市)[5.8km]
額田城(茨城県那珂市)[7.7km]
南酒出城(茨城県那珂市)[7.9km]
石神城(茨城県那珂郡)[11.3km]
那珂西城(茨城県東茨城郡)[12.2km]
野口城(茨城県常陸大宮市)[13.2km]
助川城(茨城県日立市)[14.8km]
多良崎城(茨城県ひたちなか市)[15.4km]
久米城の口コミ情報
2024年12月03日 伊豆守十郎
久米城
今回は時間の関係で、本城に繋がる鹿島神社の参道から西城との間にある堀底を通り、本城自体しか廻れませんでした。しかし、しっかりと整備された各曲輪、堀切やそれを見るためにの案内板など見学者に優しい保存会の方の配慮が、より城巡りを楽しく、概要が把握できる城攻めとなりました。写真は参道から見える本城の堀切。
2024年11月14日 ねこじる右京大夫
久米城
整備の行き届いた山城です。県道に城入り口看板あり。駐車場に杖と縄張り図もありました。勾配がキツイのは、最初の舗装された部分のみ後はさほどではないですが、杖をお借りして行かれた方が良いです。平成22年にお2人で整備を始められたという山城。いやはや凄いとしか言いようがありません。あちこちに丁寧な案内板、見応えのある切岸や堀切これは生きては帰れない。気がつけば2時間も滞在してました。リアおすすめです。整備に携わっている皆様に感謝
2024年08月21日 橘出羽守太郎政貴
久米城
木々の生茂る中ですが曲輪や切岸、堀切の配置が見事なつくりでした。
2023年11月24日 tower428磐城守
久米城
水郡線 常陸太田駅で攻略した方もいるようですが、私は常陸太田駅でレンタサイクルの借りて攻略しました。アップダウンがありますが、電動なので片道30分で到着できます。
行く途中にセブンイレブンがあり、そこでも攻略できた口コミがありましたが、そこまで行ったらきちんと城趾を見ようとリア攻めしました。気候の良い時にサイクリングをオススメします。
2023年06月22日 装鉄城大膳大夫乱怒
久米城
かなり広大な城跡で、二重堀切、土塁、横堀等各種遺構が見れました。麓に駐車場と案内板あり。広大な城跡を一周できる散策路が整備されています。
2021年10月26日 【籠城中】下野守智ぞう
久米城
国道293号線、久米西の十字路を大子方面へ、ちょっと走った右側に久米城ののぼりあり。駐車場になります✨5.6台は車止められます
駐車場には縄張り図と説明文が書かれたパンフレットあります!杖も!で、メッセージノートもありますんで、お帰りの際は想いのたけを書き込んでくださると久米城の発展に繋がりますので是非✨
鳥居をくぐって城に入りますが、大したことないように思われるかもしれませんが、けっこう道中キツイので迷わず杖借りる事をオススメします!
2021年05月05日 織田上総介晃司
久米城
県道166号沿いに駐車場があります。佐竹氏の家紋の幟が目印です。駐車場に縄張図があるのでゲットして登城しましょう。
東の城(本城)・西の城・南の出城・北の出城からなる広大な山城ですが、きれいに整備されているうえ順路板と案内板が至るところにあり迷うことも見落とすことも少ないでしょう。
私のおすすめは南の出城の横堀と二重堀切です。
見どころ満載で1時間以内のリア攻め予定でしたが、かなりオーバーして約1時間30分滞在しました。ポチ攻略で済まさずリア攻めお薦めの城です。
2人の有志の方からコツコツと整備を始められて今の状態にしていったと聞きます。
ありがたい事ですし頭が下がります。
2020年09月24日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
久米城
とにかく巨大な城郭です。地元の有志がコツコツと整備してくれているとの事ですが、ただただ頭が下がります。これでもか!と言うくらいの多くの堀切です。曲輪は一体いくつあるのか?ヘロヘロになりながら登りました。案内してくれた友に感謝!佐竹の力は凄まじい。
自分の知る限り、鎌倉時代の守護で、維新まで大名たり得たのは島津と佐竹だけのはず。名門中の名門の底力を痛感できました。
2020年07月08日 龍馬備中守【】
久米城
茨城県の常陸太田市にある久米城☆鎌倉時代に大掾氏が館を構えたのが始まりと伝えられてます☆その後は小野崎氏系の久米氏が代々居城します☆
更に時は進み佐竹義治の四男で佐竹義信を祖とする佐竹北家の居城となります♪佐竹北家は「北殿」と呼ばれ宗家の補佐をつとめました☆戦国時代初期には佐竹一族でもある山入城主・山入氏と対立します☆佐竹義治はその攻撃に備えて久米氏を部垂城へ移し子の佐竹義武を城主にしました☆攻める山入氏☆でも守りきれずに佐竹義武は戦死☆しかし父である佐竹義治は自ら出陣し城を奪還し山入氏を討ち取りました☆佐竹氏の秋田転封に従って廃城となります☆
とにかく堀切、堀切またまた堀切たまに、横堀からの三重堀切のそして土橋の城郭です☆良き城でありました♪