久米城(くめじょう)
久米城の基本情報
通称・別名
- 竜貝城
所在地
- 茨城県常陸太田市久米町
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 大掾氏?
築城年
- 鎌倉時代?
主な改修者
- -
主な城主
- 大掾氏、久米氏(小野崎氏)、佐竹氏(北家)
廃城年
- 慶長7年(1602)
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
太田城(茨城県常陸太田市)[3.3km]
山入城(茨城県常陸太田市)[5.5km]
瓜連城(茨城県那珂市)[5.8km]
額田城(茨城県那珂市)[7.7km]
南酒出城(茨城県那珂市)[7.9km]
石神城(茨城県那珂郡)[11.3km]
那珂西城(茨城県東茨城郡)[12.2km]
野口城(茨城県常陸大宮市)[13.2km]
助川城(茨城県日立市)[14.8km]
多良崎城(茨城県ひたちなか市)[15.4km]
久米城の解説文
久米城の口コミ情報
2025年05月07日 syokumi 内匠頭
久米城
スニーカーを履いて行ったのですが、城跡の神社までの坂道が思いの外傾斜が強く、しかも濡れた落ち葉が積もっていて足元が滑り、神社の10m手前で先に進むのを断念しました。あー残念。晴れが続いた後にチャレンジする事をお勧めします。
2025年04月05日 気分爽快武蔵守
久米城
リア攻めマップを見ると、駐車場がありちょっと山登りすれば良さそうな感じでしたが、駐車場にある縄張り図を見ると、しっかり見て回らないと勿体無い素晴らしい山城でした。
北の出城、西の城、東の城、南の出城と大きく四っつに分かれていますが、各所に案内板があり隅々まで見て回ることができます。
二重堀が随所にあり、城域が広大で見どころ満載でした。
①北の出城にある堀切
②東の城、西にあるV字谷。写真では伝わらない
③西の城、三の曲輪北にある土塁
④西の城、西端にある二重堀切
⑤東の城、東にある最大の堀切
⑥南の出城、北にある堀切
⑦南の出城、堀切と横堀
⑧南の出城、南の二重堀切
2024年12月03日 伊豆守十郎
久米城
今回は時間の関係で、本城に繋がる鹿島神社の参道から西城との間にある堀底を通り、本城自体しか廻れませんでした。しかし、しっかりと整備された各曲輪、堀切やそれを見るためにの案内板など見学者に優しい保存会の方の配慮が、より城巡りを楽しく、概要が把握できる城攻めとなりました。写真は参道から見える本城の堀切。
2024年11月14日 ねこじる右京大夫
久米城
整備の行き届いた山城です。県道に城入り口看板あり。駐車場に杖と縄張り図もありました。勾配がキツイのは、最初の舗装された部分のみ後はさほどではないですが、杖をお借りして行かれた方が良いです。平成22年にお2人で整備を始められたという山城。いやはや凄いとしか言いようがありません。あちこちに丁寧な案内板、見応えのある切岸や堀切これは生きては帰れない。気がつけば2時間も滞在してました。リアおすすめです。整備に携わっている皆様に感謝
2024年08月21日 橘出羽守太郎政貴
久米城
木々の生茂る中ですが曲輪や切岸、堀切の配置が見事なつくりでした。
2023年11月24日 tower428渡島守
久米城
水郡線 常陸太田駅で攻略した方もいるようですが、私は常陸太田駅でレンタサイクルの借りて攻略しました。アップダウンがありますが、電動なので片道30分で到着できます。
行く途中にセブンイレブンがあり、そこでも攻略できた口コミがありましたが、そこまで行ったらきちんと城趾を見ようとリア攻めしました。気候の良い時にサイクリングをオススメします。
2023年06月22日 装鉄城大膳大夫乱怒
久米城
かなり広大な城跡で、二重堀切、土塁、横堀等各種遺構が見れました。麓に駐車場と案内板あり。広大な城跡を一周できる散策路が整備されています。
2021年10月26日 【籠城中】下野守智ぞう
久米城
国道293号線、久米西の十字路を大子方面へ、ちょっと走った右側に久米城ののぼりあり。駐車場になります✨5.6台は車止められます
駐車場には縄張り図と説明文が書かれたパンフレットあります!杖も!で、メッセージノートもありますんで、お帰りの際は想いのたけを書き込んでくださると久米城の発展に繋がりますので是非✨
鳥居をくぐって城に入りますが、大したことないように思われるかもしれませんが、けっこう道中キツイので迷わず杖借りる事をオススメします!
2021年05月05日 織田上総介晃司
久米城
県道166号沿いに駐車場があります。佐竹氏の家紋の幟が目印です。駐車場に縄張図があるのでゲットして登城しましょう。
東の城(本城)・西の城・南の出城・北の出城からなる広大な山城ですが、きれいに整備されているうえ順路板と案内板が至るところにあり迷うことも見落とすことも少ないでしょう。
私のおすすめは南の出城の横堀と二重堀切です。
見どころ満載で1時間以内のリア攻め予定でしたが、かなりオーバーして約1時間30分滞在しました。ポチ攻略で済まさずリア攻めお薦めの城です。
2人の有志の方からコツコツと整備を始められて今の状態にしていったと聞きます。
ありがたい事ですし頭が下がります。
2020年09月24日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
久米城
とにかく巨大な城郭です。地元の有志がコツコツと整備してくれているとの事ですが、ただただ頭が下がります。これでもか!と言うくらいの多くの堀切です。曲輪は一体いくつあるのか?ヘロヘロになりながら登りました。案内してくれた友に感謝!佐竹の力は凄まじい。
自分の知る限り、鎌倉時代の守護で、維新まで大名たり得たのは島津と佐竹だけのはず。名門中の名門の底力を痛感できました。
2020年07月08日 龍馬備中守【】
久米城
茨城県の常陸太田市にある久米城☆鎌倉時代に大掾氏が館を構えたのが始まりと伝えられてます☆その後は小野崎氏系の久米氏が代々居城します☆
更に時は進み佐竹義治の四男で佐竹義信を祖とする佐竹北家の居城となります♪佐竹北家は「北殿」と呼ばれ宗家の補佐をつとめました☆戦国時代初期には佐竹一族でもある山入城主・山入氏と対立します☆佐竹義治はその攻撃に備えて久米氏を部垂城へ移し子の佐竹義武を城主にしました☆攻める山入氏☆でも守りきれずに佐竹義武は戦死☆しかし父である佐竹義治は自ら出陣し城を奪還し山入氏を討ち取りました☆佐竹氏の秋田転封に従って廃城となります☆
とにかく堀切、堀切またまた堀切たまに、横堀からの三重堀切のそして土橋の城郭です☆良き城でありました♪
歴史
久米城の築城主や築城年代等の詳細は不明だが、さかのぼると鎌倉時代に常陸平氏大掾氏が館を構えたのがはじまりだと伝わる。その後、藤原秀郷の後裔と伝わる小野崎氏の庶流久米氏の城となった。久米氏はやがて佐竹氏に属したため、佐竹氏の支城となった。応永14年(1407)、当主佐竹義盛が没すると、継嗣がいなかったため関東管領山内憲定の子義人(はじめ義憲)を養子に迎えた。しかし、これにより家中で反発が起こり、100年続く「山入の乱(佐竹の乱)」を引き起こす要因となった。
上杉禅秀の乱が起きると義人は鎌倉公方足利持氏方についたが、義人に反発していた佐竹氏の分家にあたる山入佐竹与義(ともよし)は禅秀方につき対立した。禅秀の乱が鎮圧された後も両者の溝は埋まらず、常陸国内では争乱が続いた。
その後、15世紀中頃、義人の孫にあたる佐竹義治は、対立が続く山入佐竹氏に対抗するため久米城主の久米氏を部垂城に移し、自身の子である義武を久米城に入れ山入佐竹氏に備えた。
文明10年(1478)、山入佐竹義知が久米城を攻撃。城主義武は討ち死にし、久米城は落城した。その後、義知が久米城に入り佐竹宗家の本城太田城を攻めるタイミングを窺っていたが、翌月、義治が久米城を奪還。義知を討ち取り、義武の弟にあたる義信を久米城に入れた。
この系統が佐竹北家となり、久米城は戦国時代を通して佐竹一族にとって重要な城として、改修整備を重ねながら存続したと考えられる。
慶長7年(1602)、佐竹氏の秋田移封をもって廃城になった。
遺構
久米城は大きく分けて、本城(東の城)、西の城、南の出城、北の出城、さらに城山北側の城下に分けられ、広大な城域を誇る。本城(東の城)は鹿島神社を中心としたエリアであり、鹿島神社が二の丸にあたり、その東北側に本丸が配置されている。本丸背後には堀切が施されており、この堀切を渡って東に向かう道があり、この道が佐竹氏の本城太田城へ繋がる道と推察される。太田城との距離は約5kmであり、この道が古い段階から連絡路として存在した可能性が高い。
また、本丸の南東には虎口があり、土塁に囲まれた折れを伴う構造をしていることから、格式を感じさせる。
なお、大手道は鹿島神社に至る参道の東側、階段状になっている郭を縫うようにして設けられていたと考えられている。
西の城は、本城(東の城)の西北方向にあたり、現在の中継所付近を中心とする。
主に3つの郭で構成され、北西の緩斜面の谷に対して防御性を高めるために構築されたと考えられる。谷に面した北西側に土塁を設けており、二重堀切を施し、尾根上の進路を遮断する意図も見て取れる。
北の出城は、西の城から北方に伸びる尾根に築かれている。北方約6kmの距離にある山入城を意識し築かれたと考えられる。尾根上には、堀切、土橋、物見台が残る。
南の出城は、本城(東の城)から南方向に伸びる尾根に築かれている。あまり起伏がない尾根のため、二重堀切など堀切が多用されている。堀切で進路を遮断し、さらに迂回させるための横堀が施されており、随所に厳重に守りを固めていることが見て取れる。この横堀伝いに進むと、土橋と虎口が設けられていて、南の出城の内部に入ることができる。久米城において横堀はこの一箇所のため、南の出城が最終段階で増築された可能性も指摘されている。
城下には「根古屋」「上宿」「中宿」「下宿」の字名が残ることから4つの区域に分かれていたと考えられ、城下は都市的な機能を持っていた可能性があるとの指摘もある。
丘陵上のそれぞれのエリアと城下をあわせると広大な城域であるが、地元保存会の整備によって全域の見学が可能となっている。
交通
・JR水郡線常陸大宮駅下車、徒歩約100分(約8km)・那珂インターから約17km
参考文献
・『関東の名城を歩く・北関東編』峰岸純夫、齋藤慎一、吉川弘文館、2011年。・『図説佐竹一族』茨城県立歴史館編、戎光祥出版、2025年。
・『久米地域の歴史 先人たちの偉業を後世へ』歴史友の会、2018年。