那珂西城(なかさいじょう)
那珂西城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 茨城県東茨城郡城里町那珂西1958(宝幢院)
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 那珂通泰
築城年
- 久安5年(1149)
主な改修者
- -
主な城主
- 那珂氏、佐竹氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 県史跡(那珂西城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
長者山城(茨城県水戸市)[5.6km]
瓜連城(茨城県那珂市)[6.4km]
加倉井館(茨城県水戸市)[8.0km]
南酒出城(茨城県那珂市)[8.1km]
河和田城(茨城県水戸市)[10.0km]
見川城(茨城県水戸市)[10.5km]
額田城(茨城県那珂市)[10.7km]
水戸城(茨城県水戸市)[11.6km]
久米城(茨城県常陸太田市)[12.2km]
野口城(茨城県常陸大宮市)[12.4km]
那珂西城の口コミ情報
2022年06月06日 昌幸近江守更に吉
上入野城[那珂西城 周辺城郭]
城里(しろさと)町の上入野城。小松寺の背後、白雲山と呼ばれる比高100mの山上に築かれました。城の歴史は不明で、大掾氏から江戸氏と支配が移ったとされ、特に江戸氏の時代には佐竹氏との抗争が起き、境目の城として使われたのではないかと予想されます。
縄張はI郭を囲むように3つの郭が配され、北側に伸びた細尾根には複数の郭から成る出丸があります。郭内は薮で覆われている所が多いです。出郭から向かってI郭にぶつかった所に切岸があり、その上に土壇があるのですが、そこがどんな起伏になっているか見たかったですね。
郭間は深い堀で切られているのですが、橋が架けられた形跡はなく、移動は虎口から堀に降りて移動していたというのが印象に残りました。なので堀や切岸は見応えがありますよ。
車は麓の小松寺の駐車場に停めました。駐車場から登城路があるのですが気づかず、平重盛の墓の脇から登りました。踏み跡があるので迷わないと思います。登りきると出丸に出ます。I〜Ⅳ郭を見学した後、出丸の中間地点で下り道を見つけ、そこを下っていったらお寺の駐車場に着きました。
【写真の説明】
①出丸堀切その1
②出丸の土橋と堀切。出丸は高さの違う郭で構成されているのが特徴です。
③出丸堀切その2
④I郭-Ⅳ郭間の堀跡。
⑤Ⅲ郭切岸。
⑥II郭堀切。遊歩道として活用されています。
⑦I郭-II郭間の堀跡。
⑧I郭横堀。
2020年09月07日 華屋路三郎徹舟斉
那珂西城
門の左側に説明板、門の右側にある土塁の外側に沿って(未舗装の道)行くともう一枚の説明板。その横の階段を登ると大きな石碑があります。
2018年05月23日 昼酒
那珂西城
国道沿いに盛土の上に建つ祠がありますが、そこが土塁の角の部分だそうです
残りは昔削られて、治水工事に使われたとか
もったいない
2017年09月24日
那珂西城
境内を囲む空堀と土塁が素晴らしい。
地面がやや、湿っぽく思われ、往時は水堀だったか?
2016年08月12日 Nabeppu左馬頭
那珂西城
土塁と思しきものが寺(宝幢院)の山門の左右に確認出来ます。その土塁と思しき構造物の外側が空堀かもしれません。
山門に向って左側に案内板が設置されています。
車は山門の右側から寺内に入った正面です。