那珂西城(なかさいじょう)

那珂西城の基本情報

通称・別名

所在地

茨城県東茨城郡城里町那珂西1958(宝幢院)

旧国名

常陸国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

那珂通泰

築城年

久安5年(1149)

主な改修者

主な城主

那珂氏、佐竹氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(那珂西城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

長者山城(茨城県水戸市)[5.6km]
瓜連城(茨城県那珂市)[6.4km]
加倉井館(茨城県水戸市)[8.0km]
南酒出城(茨城県那珂市)[8.1km]
河和田城(茨城県水戸市)[10.0km]
見川城(茨城県水戸市)[10.5km]
額田城(茨城県那珂市)[10.7km]
水戸城(茨城県水戸市)[11.6km]
久米城(茨城県常陸太田市)[12.2km]
野口城(茨城県常陸大宮市)[12.4km]

那珂西城の口コミ情報

2022年07月27日 水天一碧
成沢要害[那珂西城  周辺城郭]

2022年1月に水戸市で発見されたお城です。水戸市にまだこんな城があるのかと驚いたかなり大きな城郭です。
成沢要害と名付けられていますが、山の北西側の西城と北東側の東城の二つに分かれています。

このお城がある地域は、佐竹氏と江戸氏の境目の地域になります。
南北朝の騒乱以後は佐竹氏の支配地域でしたが、山入の乱で佐竹氏が弱体化した頃は、江戸氏が押さえていたとされています。
成沢要害の近くにある入野城(上入野城で登録あり)も江戸氏のお城でしたが、この地域で佐竹氏と江戸氏で合戦があった後にどちらに帰属したのかはよくわからないそうです。
成沢要害は、入野城が江戸氏の城であるなら、長者山城など江戸氏の支配拠点から成沢要害を経て入野城とをつなぐ城と考えられるし、入野城が佐竹氏の城であるならば、江戸氏が入野城を牽制するために作ったと考えられるようです。

伝承がない城なら、土木っぷりで何かわかるかも🤔と思い、江戸氏と佐竹氏の城をそれなりに歩いてきた勘と、両者への沢山の愛情を頼りに見に行きました。

小さいながらも丁寧な堀切には江戸氏を感じるけれど、くっきりとした大きな堀切にはやっぱり佐竹氏の仕事を感じますがちょっと違う気も。西側の堀切へ向かう途中に眼下を覗き込むと藪越しですが、佐竹氏にしては綺麗で細やかな段曲輪が見える…。両方に使われていたように思えて、元々は江戸氏の城を佐竹氏が改修?とかあちこちの堀切をぐるぐる歩き回りながら、色々考えてしまいました。
ただ、西城と東城を隔てる大きな堀切だけは、佐竹氏の仕事だと思いました。
それじゃあ、西城と東城の関係ってどうなるんだろうとかもう書ききれないです😂
本城と出城じゃなくて、別々の城なのか?
伝承がないから妄想し放題です。これがまた楽しいんですよねえ。

技巧がないつまらないただのクソ藪だとかいちいち文句を言うような人じゃなく、どんなお城でもバカにせず、その地域の歴史と抱き合わせで楽しんでくれる…お城愛のある方たちとじっくり検討したいお城です。

2022年06月06日 昌幸近江守更に吉
上入野城[那珂西城  周辺城郭]



城里(しろさと)町の上入野城。小松寺の背後、白雲山と呼ばれる比高100mの山上に築かれました。城の歴史は不明で、大掾氏から江戸氏と支配が移ったとされ、特に江戸氏の時代には佐竹氏との抗争が起き、境目の城として使われたのではないかと予想されます。

縄張はI郭を囲むように3つの郭が配され、北側に伸びた細尾根には複数の郭から成る出丸があります。郭内は薮で覆われている所が多いです。出郭から向かってI郭にぶつかった所に切岸があり、その上に土壇があるのですが、そこがどんな起伏になっているか見たかったですね。

郭間は深い堀で切られているのですが、橋が架けられた形跡はなく、移動は虎口から堀に降りて移動していたというのが印象に残りました。なので堀や切岸は見応えがありますよ。

車は麓の小松寺の駐車場に停めました。駐車場から登城路があるのですが気づかず、平重盛の墓の脇から登りました。踏み跡があるので迷わないと思います。登りきると出丸に出ます。I〜Ⅳ郭を見学した後、出丸の中間地点で下り道を見つけ、そこを下っていったらお寺の駐車場に着きました。

【写真の説明】
①出丸堀切その1
②出丸の土橋と堀切。出丸は高さの違う郭で構成されているのが特徴です。
③出丸堀切その2
④I郭-Ⅳ郭間の堀跡。
⑤Ⅲ郭切岸。
⑥II郭堀切。遊歩道として活用されています。
⑦I郭-II郭間の堀跡。
⑧I郭横堀。

2021年07月12日 水天一碧
飯富長塁[那珂西城  遺構・復元物]



飯富長塁は、車窓から楽しめる二重堀です。
江戸氏の家臣が築いたとされ、佐竹氏との領地の境目付近にあたる位置にあります。

県道51号線沿いにあり、車窓からよく見えます。写真で出したのは一部分でしかなく、台地の端の辺りまで、断続的に堀が続いていきます。

飯富長塁の場所です。

水戸北ICからGoogleマップにある梅元食堂さん(水戸市成沢町947-2)へ向かって県道51号線を走ります。梅元食堂さんに向かう交差点に沿うようにあります。リア攻めマップの入力位置がそれです。場所が場所だけに駐車できません。しかも日中はかなり交通量も多く攻めたスピードで走ってきます。
車から降りて眺めるのは、深夜もしくは早朝に、確実に安全で邪魔にならない場所に止めて歩いてくるしかないです。

付近の城と組み合わせて見るなら、那珂西城と長者山城です。どちらの城もすごくよく掘っていて感動しますが、その二城を見た後でも、見劣りはしないです。いきなり交差点に現れる二重堀と土塁を車窓ごしに楽しんでいただきたいです。

口コミとは別に写真を出していますから、参考にして下さい😊

※おまけ(写真①②③④について)

飯富長塁と接続していたかもしれないという神生長塁です。農地の基盤整備でほとんどが殲滅し、写真に出した箇所付近に少し残るだけのようです。
「これはヤバい!飯富長塁と神生長塁の全てを見てみたい!」という熱い需要は自分以外の方には全くないと思うので、場所の詳細は省きます。
自分は長塁が接続していたであろう箇所まで遠くから妄想しながら歩きました。畑、最高でした(笑)

写真① 林の手前に土の盛り上がりが二つ見えるのが土塁です。写真右側の土の盛りも土塁です。点々としていますが繋がっていたのがわかります。
写真②④ 林寄りの土塁に近づいてみました。土塁の向こう側には堀があります。
写真③ ①に写っていた右側の土塁と堀です。奥に土塁が見えていて真っ直ぐに繋がっていたのがわかります。線を引きたい😂

2021年01月19日 水天一碧
上入野城[那珂西城  周辺城郭]



上入野城は平重盛の墓所がある小松寺の背後の白雲山にあります。軽く直登するだけで、充実した遺構がすぐに見れちゃうお城です。

小松寺の坂を登ると見える砂利の駐車場から、何となく踏み跡がついて見えるところから入ります。
踏み跡を見つけつつ、直登気味に辿ると、平場に出ます。そこを右手に行くと平坦な尾根が続いて出丸に行きます。左手に行くと、最初に浅い堀切があり、主郭はすぐです。

主郭を中心に東西南北の尾根に遺構が展開しています。特にお手入れはされておらず、冬でも青々とした低い樹木に覆われています。
主郭と二郭を隔てる大きな堀切を見たときには、感動しました。
先人様のお写真を見ても、それほど大きな堀切には見えず、全く期待していなかったので、固まりました。必見です。
山頂にあるとは思えないくらい広い曲輪の内部や土塁を追うのは少し苦労しましたが、遺構の残り方は良好だと思います。
この江戸氏の城は佐竹氏とはまた違う独特の土木ぶりが楽しめます😊

最後に、平清盛の長男である重盛の墓所がなぜこの地にあるのかについては、小松寺の案内板から抜粋です。
『平重盛公は、清盛の長子で治承元年(一一七七)左大将内大臣となり小松邸宅に住居し小松内府といわれていた〜重盛公の腹心平貞能は、平家の滅亡に際してひそかに遁れて高野山に登り、重盛公の遺骨をかかえて関東の同族常陸大掾義幹をたよってこの地に落ち、埋葬されたものである』


※城がキレッキレに素晴らしい江戸氏について
元々、水戸近辺は大掾氏の支配地域でしたが、どさくさに紛れて江戸氏が水戸城を奪取してからは江戸氏の支配地域に。江戸氏は佐竹氏から一門という待遇を受けていましたが、関係が悪化した時期に、この城がある地域で合戦もありました。和睦した後、再び佐竹氏に従い、江戸氏は戦果をあげ続け、勢力も最大限に拡大していきます。
やがて佐竹氏からの水戸城明け渡しの要請を拒否して、決戦の日を迎え、遂にその野望も終わる流れなんですが…参考まで。

2020年09月09日 水天一碧
那珂西城



那珂西城は、那珂川の近くの台地上にあるお城で、今は宝憧院というお寺になっています。
お寺への入り口が狭く見えますが運送会社のトラックも入りますからご安心を。駐車場は寺院内にあり広いです。

鎌倉時代に那珂氏により建てられたお城でしたが、この地域が佐竹氏の支配下に置かれたときにさらに整備され、佐竹氏の移封時に廃城となったそうです。

三郭から成るこのお城の1番の見所は、大きな一郭を囲む、特に(北)東側のダイナミックな空堀だと思います。深さは4〜5mはあり、場所によってはそれ以上あると思います。幅も相当なものです。
竹藪はのぞかれていて、美しい空堀をじっくりと眺めて歩き回れるようなお手入れがされており、とてもありがたいです。

2020年09月07日 華屋路三郎徹舟斉
那珂西城



門の左側に説明板、門の右側にある土塁の外側に沿って(未舗装の道)行くともう一枚の説明板。その横の階段を登ると大きな石碑があります。

2018年05月23日 昼酒
那珂西城

国道沿いに盛土の上に建つ祠がありますが、そこが土塁の角の部分だそうです
残りは昔削られて、治水工事に使われたとか
もったいない

2017年09月24日 
那珂西城

境内を囲む空堀と土塁が素晴らしい。

地面がやや、湿っぽく思われ、往時は水堀だったか?

2016年08月12日 Nabeppu左馬頭
那珂西城

土塁と思しきものが寺(宝幢院)の山門の左右に確認出来ます。その土塁と思しき構造物の外側が空堀かもしれません。
山門に向って左側に案内板が設置されています。
車は山門の右側から寺内に入った正面です。


那珂西城の周辺スポット情報

 飯富長塁(遺構・復元物)

 戸村城説明板(碑・説明板)

 上入野城(周辺城郭)

 江戸城(周辺城郭)

 安川城(周辺城郭)

 成沢要害(周辺城郭)

 藤井城(周辺城郭)

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