南酒出城(みなみさかいでじょう)
南酒出城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 茨城県那珂市南酒出
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 佐竹義茂
築城年
- 鎌倉時代
主な改修者
- -
主な城主
- 南酒出(佐竹)氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
額田城(茨城県那珂市)[2.7km]
瓜連城(茨城県那珂市)[4.7km]
石神城(茨城県那珂郡)[7.5km]
太田城(茨城県常陸太田市)[7.8km]
久米城(茨城県常陸太田市)[7.9km]
那珂西城(茨城県東茨城郡)[8.1km]
多良崎城(茨城県ひたちなか市)[8.7km]
長者山城(茨城県水戸市)[9.3km]
武田氏館(茨城県ひたちなか市)[11.1km]
水戸城(茨城県水戸市)[12.0km]
南酒出城の口コミ情報
2025年04月21日 ʀᴇᴅ副将軍
南酒出城
佐竹氏一族の南酒出氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。諸説ありますが鎌倉時代に佐竹義茂により築かれたと云われます。
1221年の承久の乱の戦功として、四代当主の佐竹秀義の子である佐竹義茂に南酒出の地が分知され、南酒出氏を称して南酒出城を築いたとされます。
その後、南酒出氏は美濃山田郷の地頭として赴任すると、同じ佐竹一族の東義堅が酒出氏を名乗り南酒出城に入ったとされます。
1591年に佐竹氏が額田城を攻めた際に築いた付城との説もありますが、かなりの土木量があり一時的な陣城とは思えないため、南酒出城は戦国時代末期まで長らく佐竹氏の支城として機能していたと感じました。
1602年に佐竹氏が秋田へ転封となると廃城となった様です。
見所
久慈川南岸の台地上の北東端に築かれています。
南東端に主郭を置き、西に二郭、三郭、北に四郭、五郭を配し、蒼龍寺の境内も城域であった様です。
主郭は周囲に土塁が巡る方形で、北から西を空堀で遮断。西側は土橋が架かり二郭に繋がります。
二郭の西側も土塁と空堀が良好に残っています。
2024年05月02日 ハム子掃部頭
南酒出城
保存会の方達の手入れが月に1回入ってくれて雑草等適度に刈られてます。おかげで遺構が見やすいです
2022年09月13日 里のシロクマ右衛門佐
南酒出城
蒼龍寺の駐車場を利用させて頂きました。蒼龍寺を含む一帯か城跡。前回来た時は、ご葬儀があり遠慮しつつ訪城しました。入り御城を深い堀と土塁で防御、ニ郭とは土橋と結ぶ、土塁と堀の土の城、佐竹氏らしい城。お寺の御堂に、南酒出城保善の会の皆様が保全に努力されている記事が貼られていました、感謝してお賽銭を入れました、
2021年12月01日 大膳大夫しろし
南酒出城
三の丸は、今も居城として使用されていました。
2017年09月24日
南酒出城
地元有志のみなさんの手により、手入れされて、深い空堀と土塁が素晴らしい。
隣接するお寺で、パンフレットがもらえます。
2010年06月20日 半日皇帝下野守
南酒出城
隣接する蒼龍寺に一言断って車を停めさせていただきましたm(__)mお城の資料までいただき、大変ありがたかったですm(__)m
土塁や空堀や土橋がハッキリ分かるように残されており、見応えは十二分o(^-^)o