茂木城(もてぎじょう)
茂木城の基本情報
通称・別名
- 桔梗城
所在地
- 栃木県芳賀郡茂木町(城山公園)
旧国名
- 下野国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 茂木知基
築城年
- 建久8年(1197)
主な改修者
- -
主な城主
- 茂木氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 町史跡
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
千本城(栃木県芳賀郡)[5.5km]
村上城(栃木県芳賀郡)[6.3km]
西明寺城(栃木県芳賀郡)[10.8km]
森田城(栃木県那須烏山市)[11.8km]
野口城(茨城県常陸大宮市)[13.5km]
桑久保城(栃木県塩谷郡)[14.0km]
烏山城(栃木県那須烏山市)[14.5km]
舟戸城(栃木県芳賀郡)[15.2km]
笠間城(茨城県笠間市)[18.7km]
真岡城(栃木県真岡市)[18.9km]
茂木城の解説文
[引用元:Wikipedia「茂木城」の項目]
茂木城(もてぎじょう)は、栃木県芳賀郡茂木町にあった中世の日本の城。宇都宮氏の支族であった茂木氏の居城であった。
歴史・沿革
1180年(治承4年)宇都宮宗綱の次男・八田知家は源頼朝の蜂起に際の勲功によって、頼朝より茂木保の地頭職に補任される。
1192年(建久3年)に知家は三男・知基に地頭職を譲り茂木氏を名乗らせた。その茂木知基によって、建久年間(1190年 - 1199年)に築城される。
ただし、茂木氏の館は元々は荒橿神社の近くにあったとする説もある。この説を取った場合でも、1336年(建武3年)に足利尊氏に味方した茂木知貞(知基の玄孫)が一時南朝方に城を奪われているため、それ以前に築城されたのは事実とみられる[1]。
1556年に佐竹氏に攻められ茂木氏はこれに臣従、以後佐竹氏の影響下に入る。
1585年(天正13年)には天谷場の合戦で北条氏・結城氏らの連合軍によって1度は城を落とされているが、佐竹氏の援軍を得て奪回している。
1594年(文禄3年)に佐竹義重の命によって茂木氏16代・茂木治良は小川城へと移り、茂木氏の支配が終わる。
1595年(文禄4年)に佐竹氏に属する須田治則が城主となる。
1610年(慶長15年)に佐竹氏が秋田に移封となり、代わって細川興元が茂木に入り、城下に陣屋を設けたため廃城となった。
現在の状況
現在の茂木城跡は城山公園となっていて、曲輪・土塁・空堀が見られる。また、斜面の木々は間伐されており、良好な形状で保たれている。
構造
茂木城は山城である。
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茂木城の口コミ情報
2026年01月25日 クララはもう歩かない
小深要害[茂木城 周辺城郭]
下野国茂木保現況調査報告書④小深要害
茂木町の文化財地図によれば、新たに見つかった城だということだが、実際に見てみると、俺には城っぽいなあぐらいしか言えない。
まさか、町の文化財地図に登録するぐらいなんだから、然るべき研究者たちがしっかりと検証した成果なんだろう。城館に関する報告部分は、茨城城郭研究会の方たちが執筆しており、事業の主体は茨城大学である。
それにケチをつけるなんて、ありえないって言われそうだが、疑問に感じたんだから仕方ない。
新規に見つかった城館や平地居館のいくつかについて、報告書の縄張図を用いて、実際に見に行くと、微妙なのだ。
垂直に切り立つ断崖にある竪堀だなんて、もはや、ありえなさすぎて、笑っちゃうものもあるんだから仕方ない(リア攻めマップの山内小屋)。
小深要害は、縄張図の示しているであろう範囲を5周歩き回っても、とにかく微妙なのだ。本当に曲輪なのか、どう防御したいのか、なんだかイマイチ曖昧な感じなのである。もし、城であるなら、街道bを取り込んだ関所の城なんだろうか。短い解説文には城全体に対する見解や伝承の有無の記載がないから、モヤモヤしっぱなしである。
城のある場所は、昭和の頃には畑として使っていたと聞き込みで証言を得ている。また、遥か昔は、河岸があったのだろうか。昭和の頃は、那珂川でのサケの漁業もかなりさかんだったと聞いた。それがそのまま、中世に当てはまるとは言えないが、茂木と烏山とを山越えの古道がつなぐ、人や物が行き交う拠点にあった城とは言えそうだ。城だったならだが。また、この城の麓は宿と呼ばれるという。
古道だったという認識は麓の方にもあった。城へ登る切り通しの道の手前に、馬頭観音の石像物があったから、古道であることまでは疑わないでおくことにした。
城が畑として改変されたのかもしれない。たしかに畑にはいらないような立派な切岸があるように見える。aとAで二重堀みたいに見えなくもないけど、なんか変だ。たしかに、ここを城だと感じる人もいるのはわかる気もするが、俺には城っぽいところぐらいにしか見えない。
俺はここに行くことをオススメはしない。
なぜって、北側の遺構がないからだ。この縄張図の腹立たしいところは、堀切BCDが見当たらないことだ。解説文にもしっかり堀切BCDがあると書いてある。だけど、どこにあるかさっぱりわからないのだ。
2025年に公開された報告書なんだが、いったい、いつの時代に見に行ったんだ?殲滅したのか?風化したのか?
本当にわからないのだ。こんなにはっきり縄張図に書いてるんだから、このヤバい遺構を期待して見に行く人はいると思う。俺もその1人だ。
この報告書については、色々と疑問に思っている。掲載の他の茂木町の城でもなんだか縄張図に理解できない遺構があることを検証して書いてきた。
また、報告書の解説文では城内に今は麓にある神社があったとあるがこれも疑問。その神社は茂木町史には山頂にあったと書いている。城がある場所は、山の中腹でしかない。
そこで、確認のために山頂まで歩いて行くと、神社跡の礎石らしきものがゴロゴロあり、その周辺だけ、なぜか水が湧いているのか少しぬかるんでいた。神社の場所は町史の記載が正しいのではないか。それとも、何か根拠があって、神社が城内にあったとしているのだろうか。報告書にはその辺りが全く書いていないから、本当にわからない。
やっぱり、写真を撮る気がしなかった。馬頭観音すら撮るのを忘れて帰るぐらい、モヤモヤしたのだ。
茂木町は一部、微細な地形図が公開されていない地域があり、ここはその地域にあたるため、ボヤっとした赤色図からもBCDは判別できない。
縄張図のたぶんⅢかDらへんの写真(縄張図と現地がよく噛み合わないから、らへんとしか言えない)と山頂の何か建物の礎石?らしきものが散らばる場所。
縄張図は報告書より。
2026年01月11日 さよなら刑部少輔急行津軽
茂木城
駐車場までの道は一車線で、つづら折りのカーブの場所が少し広いので、すれ違いはカーブを利用するしかなさそうです。最後の折り返しは小型車ならば、慎重に運転すれば問題ないかと想います。奥の駐車場には案内板(2枚目)があります。
城山公園として整備されています。荒橿神社(3枚目、4枚目)は少し離れた場所にあり、城山公園と結ぶ道は狭い箇所(5枚目)もあり、この時期は溶けかけの霜に足を取られやすいので、注意が必要です。
城の南東に姫の望楼があります。望楼は四層であり、一層から三層までは木の階段、三層から四層までは木のはしごで上がれます。眺めはかなり良い(1枚目)です。
ただ、姫の望楼の説明板(6枚目)には、秋田県出身者には引っ掛かる表現が(笑)。茂木氏は、今の大館市十二所(南部藩との藩境)に転封されたようなので、やむを得ない措置かと思います。
なお、頑強な方の逸話としては、「鬼義重 布団」を検索してみてください。
2026年01月03日 クララはもう歩かない
城峰北城[茂木城 周辺城郭]
下野国茂木保現況調査報告書 ⑳城峰北城
ここは城峰城から尾根で繋がるからまとめて見るのが良い。
交通量の多い51号線の空きスペースに車を置いて、その斜面を直登するとよい。交通量が多いから、斜面を這う姿はかなり目立つが、それに耐えられれば、すぐに城峰城の小ぶりな堀切に出られる。
あるいは石造物が並ぶところから、笹藪と格闘するかどちらかだ。こっちは試してないが、ここからも行けそうだなと見ていた場所だ。
城峰城から城峰北城は、大した距離はないのにずっと城だと認識されていなかったようだ。こんな近い距離なのにと驚いた。小さな砦だから、伝承もなくなるんだろうか。
茂木町は、ごく最近になってから詳細な地形図が見られるようになった。この報告書の作成中は、ぼんやりとした傾斜量図やメッシュの粗い赤色図のみだったはずだ。コロナ禍も挟んで、調査がままならない時期もあったはずだ。
俺は、報告書の他の城にごちゃごちゃ書いたけど、詳細な地形図や伝承もないのに、おそらく山中に目星をつけてひたすら歩いて、こういう城を探し出してきたことにはとても敬意を表する。
これをわざわざ、読んでくれている方にもわかってもらいたい。
2024年度までは、今、見られるような地形図がなかったことを地元の俺はよくわかっている。
わかった上でいくつかの城については批判している。
城を探して検証して記録して世に出てきたこの報告書が凄いことをやっているのは間違いないんだ。
ぜひ、報告書を見てほしい。
ついでにヒマな人は、報告書の他の山城も傾斜量図だけで城があると判断できるかどうかぜひ試してみてほしい。また、それを見に行こうと思えるだろうか。
どれだけすごいことを成し遂げた報告書であるかわかるはずだ。
写真は城峰北城の堀Aと、城峰城の写真。
2026年01月03日 クララはもう歩かない
山内小屋城[茂木城 周辺城郭]
下野国茂木保現況調査報告書 ③山内小屋
住宅地だから写真は出さない。
那珂川に近い断崖にある住宅地と畑である。
断崖である。思った以上に高さがあり、鋭すぎて引いた。
断崖のギリギリの位置に土塁bなんか置くんだろうか。
たしかに遠目に見たら長い土塁に見える。何も気にしなきゃ見た目は最高だ。
だが、地形図を見て、実際に近寄ると、ため息が出るんだよ。
畑作業の産物じゃないのか?
あと二重?の竪堀C。
これがもう見に行くと、がっかりする。見に行くのはやめた方がいい。
こんな断崖に竪堀いらないだろ!!とキレたくなること間違いなし。
土塁aはあったけど、これも遺構なのかどうか?
土塁bに引いて竪堀Cでガッカリして、Aを見ていない。
見ていないが、もう見に行くことはないだろう。
そりゃあ、正解は発掘調査しなきゃわからんが、俺は現況なら城に見えない。
作図者とはよく話し合いたいものである。
そんなわけで、やはり、お住まいの方に聞き込みする気もわかなかった。
縄張図は報告書より。
2026年01月02日 クララはもう歩かない
神井城[茂木城 周辺城郭]
下野国茂木保現況調査報告書 ㉒神井城
ここは報告書の縄張図と全然違うから、本当に気をつけた方がいい。
何がどう違うか?
全て違う。
全てである。
見解の相違とかいうことではなく、全く違うのだ。
全く違う城の図面が載っちゃったとしか思えない。
そうじゃなきゃ、詐欺か捏造かインチキになってしまう…。
とりあえず、西から登ってみたが、いきなり縄張図の郭なんかないのだ。これが郭なのかと戸惑って正面を見ると、堀切はある…だけど土橋がない…とまあ、西から東まで、ないないないないと、唱えるばかり。
そんな感じである。
もしや、座標が違うのかと思い、北と東の尾根を全て歩いた(派生の尾根を含めて)が、縄張図の遺構はなし。
俺が見てきた。無駄足だから探し回らないように。
話は変わるが、東に行くほどに尾根上が平坦によくならされていく。
地形図で見える東の開けた平場に何となく見える凸凹は土塁…なんてことはなく、木材が積まれていて、林業をやめた感じか。
実は破壊されて何か遺構があったのかどうかだが、俺は何もなかったんじゃないかと思う。
それにしても、東側の奥のまっさらな状態は、東側から襲われる心配がなかったからだろうか。
何となく造りかけのような気もする。
勘だけど。
あと、こういう平場があると、避難城扱いにされそうでもあるが、それもどうだろうなあ。
北側の尾根の壊れたTVアンテナの手前の凸凹も林業の跡だろう。竪堀発見って言うのはやめてほしい。俺はあれを認めない。
報告書の縄張図の城はないが、尾根を三本の堀切で切ったいい城である。
繰り返し書いておくが、見に行く時は、決して報告書の縄張図を参考にしないように。報告書を鵜呑みにすると騙される。見に行く場合は、地形図を見ながら歩くこと。
添付は堀切の一つと報告書に記載の座標の神井城ではない謎の城の縄張図、その縄張図と合致しない感が一目でわかる神井城のCS立体図。
2026年になったが、この縄張図が差し替えになったかはわからない。
2026年01月02日 クララはもう歩かない
萬福寺[茂木城 周辺城郭]
下野国茂木保現況調査報告書 ②萬福寺(檜山雅楽佐居館)
上記、報告書によれば、
『茂木町史』5通史編Ⅰによると、寛正三年(1462)に檜山雅楽佐居館に浄土宗大黒山延命院萬福寺が再建されている。
とある。
日本語がわかりにくいんだが、居館跡に寺ができたってことだろう。
①参道周りの段々が切岸?
見解の相違だが、俺にはこれは切岸じゃない。
写真を撮る気にもならない。
だが、報告書は以下のように言い切っている。
寺の周囲に北側から東側にかけて、最大高さ2mの三段の切岸がみられる。
あれが切岸かよーって声に出るのである。
②寺の北側の竪堀がわからない。
これは見解の相違以前になる。
とにかく、わからないのだ。藪がすごくて、全くわからない。
縄張図どおりなら、かなり立派な竪堀であるがどこにあるのかわからないのだ。と言って、藪に入って探す気にもならない。藪が嫌だからというか、やる気がわかなかった。写真を撮る気にもならなかった。
誰か縄張図どおりの竪堀がわかったなら、ピンポイントで座標と写真をぜひお願いしたい。
※⑩牧野古屋(リア攻めマップ上は、牧野小屋城で入っている)でも書いたことだが、この縄張図は、いったい、いつ作図したものなのか?
ついでに竪堀があると予想される場所と墓地の段差の距離感も、縄張図と現況ではなんだかめちゃくちゃなことになっているのも付け加えとく。
③段差は確かにある。
報告書から引用する。
寺域内には北側の墓地に50cm程の段差が西に約5m伸びている。この段差が北側で無くなっていることから、この段差が居館の範囲を示しているのかもしれない。
ああ、たしかに段差はあるわ。
段差はありましたけど、これって墓地によくあるものなんじゃないの?
そんな段差の写真をつけておく。
本当にこれはまさに間違いなく段差である。
遺構かどうかはちょっとねえ、なのである。
縄張図は報告書より。
2026年01月02日 クララはもう歩かない
牧野小屋城[茂木城 周辺城郭]
下野国茂木保現況調査報告書 ⑩牧野古屋
調査報告書とは名称が異なるから、入力した人に直してほしい。もしかしたら、何かに基づいて入力した可能性もあるから、活かしておく。
住宅地になるため、写真は出さない。
ここは縄張図と現況が異なる。異なりすぎていてヤバい。
・土塁aがない!
土塁aを眺めるために郭Ⅰの民家に入らず道路から見たが見当たらない。物置があるように見えた。
場所を変えて同じ民家の北側の道路から畑越しに見てみたがないのだ。どこにもない。
縄張図どおりなら、かなり立派な土塁が見えるはずである。土塁の位置には、民家の敷地にあった物置が見え、畑と敷地の段差があるのみ。
その段差をして、土塁跡だとか切岸だとか言うのはやめてほしいレベルである。
・土塁bもないじゃん。
むしろ、民家の真裏に土塁らしきものがある。
もし、縄張図の土塁bと描き間違えたなら、この作図者はかなりヤバい人だろう。
ただ、民家の真裏の土塁らしきものが、土塁かどうかは怪しいと思った。立派な土盛りのため、土塁だと思いたくなるが、お住まいの方の証言や資料の根拠が示されないと見た目だけだと微妙に思う。
これはいつ描いた縄張図なのか?
もしくは、
いつの時代の遺構を描いた縄張図なのか?
この報告書の縄張図には全て作図した日付がないからわからない。と言って、古い航空写真を見ても土塁はよくわからない。
お住まいの方に聞き込みする気にもならなかった。
土塁aがあるはずの畑の広さすら違うのだ。
果たして、今いる場所があってるのかさえしばらく悩んだぐらいだ。
縄張図は報告書より。
2026年01月02日 クララはもう歩かない
牧野砦[茂木城 周辺城郭]
下野国茂木保現況調査報告書 ⑨牧野砦
那珂川を見渡せる位置にある。水運管理の城だろう。
Ⅰの郭から北側へ段々と下るところは、眺めていると二重堀切だったように見えなくもないんだが、さすがに縄張図には描けないし、掲載の縄張図は違う捉え方をしている。それが間違ってはいない。
堀切かどうか怪しい北側部分も縄張図にある『堀切?』に同意だ。
県道338号線が遺構を壊したかどうか?
気乗りしないから調査せず。
写真は堀切AとIIにある祠の残骸。
2025年10月19日 今左馬頭日
茂木城
本丸前まで駐車場が整備されていて止めることは問題なかったです。ただ駐車場までの坂道は急でちょっと怖かったです。ただ、山頂の眺めはとても良かったです。
2025年09月21日 ねこじる武蔵守
茂木城
茂木城 やたら車が多いと思ったら9月25日から10月5日まで彼岸花ウィークだそうです。城山公園に55万本の彼岸花。21日まだ開花はちらほら。お城の駐車場まで急坂の激狭道。すれ違いもギリなので行かれる方気をつけてください。
2025年07月10日 武蔵守のむげん
茂木城
かなり細いつづら折りの車道を登ると頂上に広い駐車場あり。高い土塁と空堀が状態よく残っています。出丸周辺が一番の見どころかと。また物見櫓状の建物からは、茂木の街並みが一望できました。
御城印は下山してすぐにある大町という交差点脇にある、ふみの森もてぎで購入できます。が、定休日が月曜日で、私は運悪く購入できませんでした。御城印狙いの方はご注意です。
2024年03月05日 二式水戦改武蔵守
本丸[茂木城 遺構・復元物]
茂木知基が建久3年(1192年)築城し、1610年に廃城になるまで約400年間に渡り茂木氏の居城になっていました。茂木城は別名桔梗城といわれています。と、案内板に書かれています。桜の季節には綺麗な休憩スペースになりそうです。
2023年10月02日 マグロ常陸介祐平
茂木城
公園として綺麗に整備されていますが、案内板の図のように遺構は守られており、大変見やすいお城です。
彼岸花の名所で、強い雨の中でも日曜日ということもあり大勢の方が訪れていました。蝋梅、桜、紫陽花など季節のお花も楽しめるようです。
2023年10月01日 マグロ常陸介祐平
高岡出城[茂木城 周辺城郭]
高岡城の西300m程にある出城で、田ノ神日枝神社が建っています。単郭と思われます。郭の入口は虎口のように感じられます。突然の雨にあい、お隣の高岡城は次の機会となりました。
近くにある安楽寺は、大仏殿があり、背伸びをすると曇ったガラスの先に県文化財の立派な大仏様を拝むことができます。
2023年06月12日 あきくん
茂木城
城山公園の駐車場までの道のりは狭く、一ヶ所一回では、乗用車が曲がりきれない所があります。
2023年04月23日 陸奥守新九郎
茂木城
見事な堀切により、各曲輪が独立した一揆型な感じを受ける城郭です。本丸からの眺望もなかなか。近くの荒櫃神社の三重塔残欠初重は悲しい姿ではありますが、一見の価値ありです。
2023年02月01日 源山城守ポンコ2…
案内板[茂木城 碑・説明板]
いくつかのサイトに、千人溜を囲うように郭がつくられてるというのを目にし、珍しいタイプやなと登城しました。
駐車台数はかなり余裕があり、スポット登録した案内板至近の駐車場が最も多く台数が確保されてます。道は細く切返しがいる箇所あるものの、ペーパードライバーの私でもこの駐車場に辿り着けました。縄張図など用意忘れても、アップしたこの案内板を撮っておくと城内徘徊に役立ちます。
城内の中心位置は、案内板ある駐車場隣接の一段低い千人溜を中心に、南東に出丸、南西に比高が一番高い本丸、北西にニノ丸、北に三ノ丸、北東に総構が堀切で独立して設けられており、総構と出丸の間が低く、大手門や馬場がございました。
本丸は、郭内に遊具がありますが、虎口や土塁が残り、土塁上から堀切を見下すとなかなかな鋭さがかわります。幅が広めの土塁には、望櫓などありました。千人溜の本丸側の木橋を歩いて進むと、ニノ丸や今も水を湛える鏡が池があり、ニノ丸をよじ登りましたが、杉林で内部はよくわからずでした。
千人溜の溜池跡に戻り、三ノ丸や総構を目指しましたが、藪がそこそこで断念し、馬場経由で出丸の周囲を散策。こちらは木屑が敷かれ歩きやすく、南東隅に姫の望楼という名の展望台かあり、ここからの眺めに街道を押えてるのがわかりました。出丸は郭としては小規模で、蔵などで使われてたようです。
公園として整備されてますが、遺構は比較的確認でき、個人的にお手軽に登城できる城趾で、思ってた以上によかったです(がっつり系志向の方には期待ハズレかも)。徘徊時間は50分ほどでした。
2022年08月23日 FUKU
茂木城
たばこ神社に辿り着きました。(城山公園内)日本はやおろずの神を崇拝するので、へぇ~と思いましたが、御神体は何になるんだ⁉️小高い所に居ましたが暑いですねぇ☀️でも丁度SLの汽笛が聞こえ心地好い気持ちとなりました。
2022年08月02日 織田上総介晃司
茂木城
本丸近くまで車で行けて広い駐車場がありますが、道中の道は狭く、一ヶ所必ず切返しが必要なカーブがあります。
公園として整備されてますが随所に遺構が残されております。
茂木にはツインリンクもてぎがあり国内レースが開催されてます。
以前はインディカーシリーズ(旧CART)が開催されて後にインディ500で優勝した佐藤琢磨も走った事があります。
2022年04月16日 河東釆女佑清將
茂木城
城山公園としてとてもキレイに整備されています。
2022年02月08日 大膳大夫しろし
茂木城
公園整備がされていてとても見やすく物見櫓が楽しいです。二の丸、三の丸の方までハゲチャピンにしてくれるともっと楽しいくなると思います。
2022年01月10日 こく
茂木城
三連休の中日に行きましたが凄く空いててゆっくり見学出来ました。桜の木が綺麗に整備されているから桜の季節にまた来たいと思います。
2021年12月09日 すわろー主税頭一想
茂木城
そこそこ急坂ですが車で登れますし駐車場もあります。でも道幅が狭いので対向車来たら辛いと思います💧。眺めは良いです。
2021年10月24日 伯耆守ケロロ
茂木城
真岡鉄道で。駅から迷わず到着。きれいに整備されていて、歩いて気持ち良いです。広くて飽きません。本丸から見晴らし良く、城下一望、更に男体山も見えました。茂木駅はSLの終点なので、汽笛が聞こえてきます。ちょっと感動ですよ^ ^
2021年06月07日 トロルA
茂木城
茂木駅から程近く、城山公園までは車でもアクセスできます。人間の散歩や犬の散歩も多い。
2021年05月05日 石田左近衛大将いしのすけ
茂木城
茂木市内の城山公園がそのまま茂木城だったようです。私はバイクで行きましたが、軽以外だと、途中切り返しが必要なコーナーがあるので、気をつけて行った方がいいです。降りてくる車もいますので。主郭部分は公園になっていて、家族連れが結構来てました。犬の散歩などもしてる人もいました。公園から一段あがると土塁、空堀の様子がよくわかります。茂木の街並みもみえ、休日だと、真岡鐵道の蒸気機関車の汽笛が聞こえたりします。
2021年05月02日 つか征夷大将軍ぽ
茂木陣屋跡の碑[茂木城 碑・説明板]
碑が建っているだけで説明文等も有りません。
2021年03月08日 蘆原 右近衛少将 瑞豊
茂木城
公園として整備されているので、比較的散策しやすいお城です。しかし、二の丸、三の丸にはアクセス不能なので、かなりの覚悟と装備が必要でしょう。
2020年10月19日 真田太政大臣謙信玄
茂木城
思っていたよりもしっかりした城で、見応えのある所でした。
2020年09月30日 右近衛中将アラタさん
茂木城
車で城山公園まで上がりましたが、やや道が狭く対向車とのすれ違いはギリギリの感がありました。
駐車場は広く停めやすかったです。
城域がしっかりと残っているので見応えは充分。 彼岸花の群生地ということで、登城時は観光の方が多かったです。
2020年09月13日 MY
茂木城
今は公園として綺麗に整備されています。ただし途中の道路が狭く、急カーブの所があるので注意が必要です。
2018年11月04日 マンボウ
茂木城
良い意味で整備が行き届いており好感度高し
縄張りがはっきり分かります
櫓もあって景色と見張り役気分を味わえたり大満足でした
2016年06月11日 大山祇武蔵守明希
茂木城
茂木町民に感謝! 綺麗な公園となっていますが、遺構はしっかり残ってます。
野鳥の囀ずりのみならず、SLの汽笛とブラスト音が聞こえる城跡で、来た甲斐がありました。
2015年04月07日 野呂利左衛門督休三
茂木城
伝承では鎌倉初期の建久年間築城とされるが、確実な史料では南北朝時代。ただし今の場所にあったかどうかは疑問が出されている。
それはともかく、実際の城域は、今の城址公園の北側の羽黒神社辺りまで城址公園もう一つ分広がっている。
当時の大手道は現在出丸と呼ばれているところの北側の谷筋だったらしい。
車でⅠ郭近くまで登ることができる。車道以外にも遊歩道があり、桔梗橋付近などに登り口がある。
地元では桜の名所。
2015年02月25日 コロ助
茂木城
茂木駅から徒歩15分で到着。
土塁や曲輪を活かした公園になっています。公園なのできれいに整備されているし、山城としての遺構もよく残っているし、とても良かったです。空堀から見上げる土塁にトキメキました。
すごく素敵な所なのに、日曜日にも関わらず人が殆ど居なくて、かなりのんびり出来ました。眺望も良く、綺麗な夕日を眺められました。
2014年12月23日 武蔵守道灌?!
茂木城
城山公園…公園って聞くと、何だか公園化された時にかなり遺構が壊されてしまってるのでは?…と考えてしまいがちですが、この茂木城址…多少手は加えられてるものの、かなり良好な保存状態です♪山頂に駐車場がありリア攻めも楽々です(笑)山頂の本郭、また空堀を隔てた出丸からの眺望は、とても気持ちよかったです♪何だか何回か繰り返し訪れてみたくなるような素敵な城址公園でした。
2013年12月10日 田部朝臣土持安房守
茂木城
町指定という、予算の限られた指定のレベルを考えれば、十分以上に整備されています。
駐車場もかなり充実していて城の中心部分まで舗装道路を登っていく事ができます。
敷地内の眺望が非常に良く、攻め寄せられた時、どのような兵力配置をしたのか、目に見える様な素晴らしさです。
山城としての防御設備の技巧などが見て取れ、敵兵の誘導経路等がはっきりわかるので、車でのアクセスと合わせると山城初心者にはうってつけだと思います。
まぁ本丸の遊戯施設はご愛嬌。あの程度設置することで「公園」として成立して整備できるのであれば、むしろ他の城跡もどんどんやってほしいといった所。
2013年03月04日 鳳雛@SASLove
茂木城
車で山頂まで行けます。駐車場あります。
対向車いたらきついですけど
2010年06月13日 μ1030SW
茂木城
茂木町から案内版もあり行きやすい。
公園として整備されています。
茂木城の周辺スポット情報
堀切(遺構・復元物)
千人溜(遺構・復元物)
鏡が池(遺構・復元物)
横堀(遺構・復元物)
二重堀切(遺構・復元物)
大手口(遺構・復元物)
本丸切岸(遺構・復元物)
櫓台(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
本丸土塁(遺構・復元物)
空堀(遺構・復元物)
出丸跡(碑・説明板)
茂木陣屋跡の碑(碑・説明板)
案内板(碑・説明板)
石碑(碑・説明板)
高岡出城(周辺城郭)
小井戸光福山砦(周辺城郭)
小井戸堀の内館(周辺城郭)
神井館(周辺城郭)
神井城(周辺城郭)
坂井御城(周辺城郭)
後郷砦(周辺城郭)
牧野小屋城(周辺城郭)
牧野砦(周辺城郭)
小深要害(周辺城郭)
飯野城(周辺城郭)
青梅砦(周辺城郭)
茂木林城(周辺城郭)
城峰北城(周辺城郭)
城峰城(周辺城郭)
山内雷神館(周辺城郭)
萬福寺(周辺城郭)
山内小屋城(周辺城郭)
金毘羅山城(周辺城郭)
小家台城(周辺城郭)
大峰山城(周辺城郭)
能持院裏山砦(周辺城郭)
金山古関(周辺城郭)
鮎田要害(周辺城郭)
高岡北城(周辺城郭)
北高岡西砦(周辺城郭)
北高岡東砦(周辺城郭)
荒橿神社(寺社・史跡)
能持院(寺社・史跡)
増井の阿弥陀堂(寺社・史跡)
八雲神社(寺社・史跡)
御嶽神社(寺社・史跡)
たばこ神社(寺社・史跡)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
姫の望楼(その他)
知基橋(その他)
残念桜(その他)









