桑久保城(くわくぼじょう)
桑久保城の基本情報
通称・別名
- 桑窪城
所在地
- 栃木県塩谷郡高根沢町大字桑窪字宿
旧国名
- 下野国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 桑窪秀春?、谷口筑前守?
築城年
- 建久年間(1190〜1199)
主な改修者
- -
主な城主
- 桑窪氏、谷口(矢口)氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 町史跡(桑久保(桑窪)城)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
森田城(栃木県那須烏山市)[6.6km]
村上城(栃木県芳賀郡)[8.0km]
千本城(栃木県芳賀郡)[8.9km]
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烏山城(栃木県那須烏山市)[9.9km]
飛山城(栃木県宇都宮市)[10.3km]
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勝山城(栃木県さくら市)[11.3km]
倉ヶ崎城(栃木県さくら市)[12.3km]
茂木城(栃木県芳賀郡)[14.0km]
桑久保城の解説文
桑久保城の口コミ情報
2025年03月10日 マグロ常陸介祐平
宇津氏館(高根沢陣屋)[桑久保城 周辺城郭]
子供の夜泣きや疳の虫の薬として有名な「宇津救命丸」の工場が、宇津氏の館となります。会社のホームページには、宇津家は宇都宮氏の殿医で、藤原氏の流れを汲み、宇都宮家とは縁戚にあった説もあるとしています。宇都宮国綱が改易になるとこの地に帰農し、元和年間の製薬の古文書が残されていることから、それ以前から製薬に携わっていたことは確実です。また、宇津の名字は宇都宮氏から拝命したもので「うつ」と読みますが、「うづきゅうめいがん」は、テレビCMでうつでは聞き取りにくいことから読みを変えたとのことです。
江戸時代に書かれた宇都宮氏の旧臣帳には、「山木上総守子孫宇津権右衛門」としており、勝手な推測ですが、塩谷氏の家臣で宇津野村(塩原町)出身の山本上総守と関係があるように思われます。
延享4年(1747年)になるとこの地が一橋徳川家の知行地となり、宇津氏が代官を拝命し、屋敷は陣屋となっています。
入口のある南側には水堀があり、南東の角には土塁が見られます。内部は工場となっている為に入ることは出来ません。「野州上高根沢村西根郷宇津権右衛門屋敷之図」と「野州塩谷郡上高根沢御陣屋之図」の絵図が残っていますが、水堀の位置は現状と近似しています。
館の向かいには、町指定文化財の宇津薬師堂があり、周囲には土塁が見られます。
2025年02月11日 マグロ常陸介祐平
桑久保城
建久年間(1190~1199年)年間に桑窪修理助秀春か谷口(矢口)筑前守が築城したとされるようです。芳賀町にある稲毛田城の支城と伝わり、正平年間(1346~1370年)に稲毛田城が宇都宮氏により落城した際に自落した八木要害は、桑久保城の可能性が高いようです。谷口(矢口)氏は、戦国末期には宇都宮氏に属し、お城は那須氏に対抗する最前線だったようです。
お城は空堀と土塁に囲まれたほぼ単郭で、南側の虎口には外側にも土塁状の土盛りが見られ(説明板では馬出としている)、すぐ東には横矢構造をもち、北側の小さな虎口の片側は櫓台状の高台となるなど技巧的な造りとなっています。
お城の南東部には櫓台のような土壇があり、傍らには江戸時代以降の谷口氏のお墓が並んでいます(写真1枚目)。
大きなお城ではありませんが、遺構状態は良好で、大変見やすいお城です。
2025年02月10日 マグロ常陸介祐平
高根沢城[桑久保城 周辺城郭]
宇都宮氏7代目景綱の弟盛綱の子の泰貞を祖とする高根沢氏の居城です。益子氏の系図にはでは益子正宗から派生しているようですので、系統が途中変わった可能性もあるようです。観応2年の足利尊氏と直義による薩埵峠の戦いで尊氏側として宇都宮氏綱に従い参戦し討死した高根沢兼吉が初代城主と伝わるようです。その後、宇都宮氏改易まで宇都宮氏の支城として高根沢氏が守っていたと考えられているようです。
お城は川に面した崖の上のホンダテストコースのある台地上にあったようですが、昭和30年代の開墾と昭和53年のテニスコート建設によりほとんど破壊されてしまったようです。発掘調査では台地上を南北に延びる幅が約5.7m、深さ2.5mの堀が検出されたようで、1km以上離れた長命寺(写真8枚目)の手前まで続く細長く巨大な曲輪をつなげたお城だったようです。以前は石碑の先から台地上に登れたようですが、現状は登れるような感じではありませんでした。石碑付近にも横堀状の溝が見られますが、用水跡でしょうか。
近くにはバイク神社として知られる安住神社が鎮座しています(写真6,7枚目)。
2025年01月12日 ʀᴇᴅ副将軍
桑久保城
那須氏に備えた宇都宮氏の防衛拠点⚔
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。歴史は古く建久年間(1190年〜1199年)に桑窪秀春により築かれたとも谷口筑前守によって築かれたとも云われ定かではありません。
稲毛田城の支城であったとされますが、1361年に宇都宮氏綱により稲毛田城は落城し、桑久保城も落とされたとされます。
その後、宇都宮氏の拠点となり、戦国末期には那須氏に対する備えとして機能したとされます。
見所
舌状丘陵の南端に築かれており、現在は公園として整備されています。
主郭は南西部を除いて土塁が巡り、外周を空堀が巡ります。南北に虎口が開口し南虎口には土橋が架かり、南東隅は横矢が掛かるように櫓台が張出しています。
小規模ながら明瞭に城郭遺構が残るオススメ城です。
2022年10月23日 【】修理大夫こーへー
桑久保城
宇都宮氏が支城とした単郭の平山城として週間日本の城150号に紹介されています。駐車場が無く諦めていましたが近くまで行った際、城の近くの方が車を停める場所を紹介して頂き、城を見学させて頂きました。ちなみに城の虎口手前までは小型車で行けそうですが車道の幅が微妙かと。遺構は単郭ですが技巧的な縄張りの遺構を鑑賞出来ました。
2022年06月28日 大膳大夫しろし
桑久保城
畑に使っていた本丸ををわざわざならしてキレイにしてありました。
2020年09月30日 尾張守アラタさん
桑久保城
駐車場がないので、邪魔にならなそうな場所に路上駐車させてもらいました。
桑久保城の目印があり小道を歩いて数分、民家と耕地の中に遺構がありました。
土塁と空堀跡、本丸(耕作地になっている様子)を一通り眺め、急いで車に戻りました。
小ぶりながら遺構の整備がされていました。
2016年11月12日 ⛫武蔵の越前守の謙
桑久保城
案内板が新しくなり、見やすくなりました。
2015年10月23日 まー刑部卿
桑久保城
城跡までだと途中、軽自動車通れなさそうな幅の狭い道になるので城址入口に駐車。堀と土塁は明瞭に残ってた。
2014年09月29日 ⛫武蔵の越前守の謙
桑久保城
徳明寺裏側の台地に築かれた城です。本曲輪を中心に空堀と土塁が廻らしてあります。
特に南側虎口土橋に対する本曲輪東側土塁の突出部からの横矢は強力かと思います。
遺構の状態も良好です。
桑久保城の周辺スポット情報
桑窪城址碑(碑・説明板)
桑久保(桑窪)城跡説明板(碑・説明板)
高根沢城(周辺城郭)
宇津氏館(高根沢陣屋)(周辺城郭)
案内板(関連施設)
築城は桑窪修理助秀春か谷口筑前守であると伝わる。
歴代城主は在地の谷口氏で、戦国時代末期には宇都宮氏の支城となった。