河内城
河内城([野口城 周辺城郭])
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河内城の口コミ情報
2025年11月16日 ᴿᴱᴰ副将軍
鳥子江戸氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
河内城(こうとじょう)と読みます
築城年代等の詳細不詳。十五世紀中頃に江戸通治により築かれた鳥子江戸氏の居城とされます。
江戸氏は藤原秀郷を祖とする那珂氏の系譜であり、1336年に瓜連合戦で北朝方の佐竹氏に攻められ那珂氏は滅亡しましたが那珂通辰の子の那珂通泰は生き残り江戸郷に封じられ江戸通泰を称したのが始まりとされます。
江戸通高は佐竹氏に従い、佐竹義篤の娘を娶り重臣となります。
その後、江戸氏は水戸の河和田城に移り、応永年間(1394年〜1428年)には江戸通房は大掾氏を攻め寄せ水戸城を手に入れます。江戸通房の次男である江戸通治が当地に移り、鳥子江戸氏の祖となり築いたのが河内城と云われます。
下野国との境目に位置し、那須氏に備えた佐竹氏の前線基地として機能しました。
佐竹氏と江戸氏の関係が悪化し、1591年に佐竹氏が江戸氏本家の水戸城を攻めた際にも鳥子江戸氏は佐竹氏に属しており、1592年の朝鮮出兵の際にも佐竹義宣に従い江戸通憲は朝鮮に渡っています。
1602年に佐竹氏が秋田に転封となると鳥子江戸氏も秋田へ伴い、河内城は廃城となりました。
見所
鷲子宿の北側にあたり、馬頭街道に面した標高270mの尾根端部に築かれています。
南西へ伸びた尾根上に築かれており三段の郭で構成。
主郭は北東の最高所で背後の堀切に面して土塁があり、南西に二段の郭を配し稲荷神社が祀られ、周辺には腰郭が配されています。
北東背後は堀切を挟んで郭があり、その先は更に堀切で遮断。堀切の規模は深さ5m、幅6mほどあり、まずまずの大きさです。
行き方は、稲荷神社が祀られており参道が整備されています。比高は約50mくらいです。
南西麓の道路沿いに案内板があり周辺に駐車。東へ少し歩くと参道があります。









