馬坂城
馬坂城([太田城 周辺城郭])
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馬坂城の口コミ情報
2024年12月06日 ʀᴇᴅ副将軍
佐竹氏初代の佐竹昌義が築いた佐竹氏発祥の城🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。諸説ありますが、平安時代末期に佐竹昌義が築いたとされます。
佐竹昌義は、新羅三郎源義光(源義家の弟)の孫にあたり佐竹氏の祖とされる人物。常陸国久慈郡佐竹郷を父から継承し、1133年に天神林氏の馬坂城を奪い居城としたとも云われます。
二代当主の佐竹隆義は小野崎氏の太田城を奪って居城を移し、馬坂城は稲木氏の居城となりました。
その後、十三代当主の佐竹義俊の子である義成が天神林氏を称して馬坂城を居城としましたが、佐竹の乱において山入氏に与したため没落しました。
その後も改修を重ねながら使用された様ですが、1602年の佐竹氏の秋田移封に伴い廃城となりました。
見所
久慈川東岸の丘陵上に築かれています。
舌状台地を空堀で三つに区画された曲輪が東西に連なる連郭式平山城です。
西側から「西城」「御城」「押葉平」で構成され、御城が主郭とされ、押葉平が副郭、西城が当初の主郭であったとされます。
押葉平は宅地化によりほぼ消失。御城は上下二段の曲輪で耕作地となり大きく改変を受けていますが東西両側の空堀は残っています。
西城は残存度が高く、櫓台状の源氏塚は古墳の再利用です。源氏塚の西下には横堀が巡る曲輪が配されており見所です。
整備が行き届き、見学ルートもあります。
2023年02月28日 昌幸近江守更に吉
佐竹氏発祥の地として有名な馬坂(まざか)城。が、築城は藤原秀郷系列の天神林氏で初代佐竹昌義が奪い取ったものとのことです。そして二代隆義が常陸太田に移った後も、改修を重ねながら佐竹氏の秋田移封まで使われたと思われます。
縄張は比高35mの台地を、西城(初期の本郭)・本郭・押場平(副郭)の3つに分けた連郭式平山城です。保存会の方々の整備が素晴らしく、見学ルートの案内があり、その通りに進めば遺構すべてを見ることができます。
車は麓を通る県道61号日立笠間線沿いに専用駐車場がありますが、稲村神社の駐車場に停めることをおすすめします(4〜5台可)。道が平坦なのと、途中道路になった堀切を見ることができるからです。
【写真の紹介】
①本郭-押場平間の内堀跡
②本郭北側から見る堀切と切岸
③本郭-西城間の堀跡
④西城と物見台
⑤西城北に尾根を絶つ二重堀切
⑥西城-西城袖郭間の堀切
⑦西城袖郭には横堀がめぐらされる
⑧現在も湧き出ている水の手
2020年08月19日 龍馬備中守【】
茨城県の常陸太田市にある馬坂城♪
佐竹氏初代とされる佐竹昌義が築いた「佐竹氏発祥の城」となります♪二代・隆義の時代に太田城に居城を移してしまうので馬坂城は稲木氏の居城となりました♪その後14代・義俊の子である義成が天神林氏を名乗り居城した事もあり別名を天神林城と呼びます♪関ヶ原の戦い後に佐竹氏の秋田移封に伴い廃城となりました♪近隣には初代・昌義が佐竹氏の祈願所とした佐竹寺があります♪
佐竹氏の歴史は長く平安時代から強い勢力を誇りました♪治承・寿永の乱時に平家に合力した為に源頼朝に所領を没収されるも戦国時代、江戸時代と戦火を生き抜きます♪
秋田県に転封になるもその力を見事に発揮♪
現在の秋田知事様に至ります♪