神明城
神明城([中居城 周辺城郭])
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神明城の口コミ情報
2024年03月04日 マグロ常陸介祐平
甲斐武田氏12代信春の子、武田信久がこの地に移り神明城を築城したとされています。8代後の通信が木崎城に移るまで、常陸武田氏の本城だったようです。
国道から城域に入ると畑になっており、入りづらい雰囲気でしたが、農作業中の方に声をかけ見学させていただきました。女性の方でしたが、簡単な縄張りの説明もしていただき助かりました。
曲輪は南から三の丸、二の丸、本丸と並び、曲輪の間は広めの空堀(二の丸の周囲は箱堀?)で仕切られています。切岸は横矢掛かりも見られ、本丸付近は高さのある土塁が部分的に残っています。
常陸に落ち着いた信久ですが、「茨城県の中世城館」においても上杉禅秀の乱のおり、甲斐武田氏当主信満が自害し、弟の信久は下総に逃れ、常陸国行方郡武井郷に匿われたのが入部したきっかけとしていますが、甲斐武田氏の系図には無く、この地の地名が武田であることから、在地名を名乗った別系統の可能性もあるようです。南方三十三館主謀殺事件で生き残った子孫は、水戸藩で剣術指南役を勤めているようです。