麻生城
麻生城([島崎城 周辺城郭])
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麻生城の口コミ情報
2022年03月28日 国府左京大夫城介
行方四頭麻生氏の居城
【歴史】
麻生氏が、天慶年間(938~947)若しくは鎌倉時代初期に築いたとされる。
麻生氏は大掾氏一族で行方四頭(小高氏、島崎氏、麻生氏、玉造氏)の一つではあったが、戦国時代になると島崎氏と対立し、天正12年(1584)に、島崎義幹によって麻生城は落城し、麻生常安(17代)は自刃し、麻生氏は滅びました。ただし、江戸崎土岐氏を頼って、落ち延びたとも伝わっています。その後、島崎氏が統治しますが、佐竹氏による南方三十三館により粛清されると、佐竹氏家臣の下川辺氏が在城するも、関ケ原合戦後、佐竹氏が転封されると、麻生城は廃城となった。
別名:羽黒城
【遺構】
島崎城の北西5.9kmに位置する標高24mの丘陵に築かれており、現在は羽黒山公園となっている。
V字をした形状の地形で、東側の公園部分が主郭と思われる。複数の腰曲輪があり、北側の海了寺へ降りるあたりに虎口が残っている。また、西側の常安寺の墓地付近には三重堀が残っており、内二条は麓へ落ちる竪堀となっている。
【感想】
主郭があまりにも広すぎるため、本来は複数の曲輪があったが、公園として整備する際に改変を受けたように感じます。しかし、この城の一番の見所は、常安寺側にある三重堀だと思います。常陸の城らしい見事な空堀です。一番北側の堀は墓地造成の際により大部分壊されていますが、他の二条は明瞭に残っており、途中からは竪堀として麓へと落ちています。竪堀の方は、倒竹と時間の都合で降りることはしていないので、どの辺りまで落ちているかは不明です。
【アクセス】
①レンタサイクル(潮来駅の観光案内所から約45分)
②バス(潮来駅又は延方駅から鹿行北浦ライン(1日4便)で筑波銀行麻生支店前で下車し、徒歩6分)
【写真】
1:腰曲輪
2:南側の虎口の跡か?
3:主郭
4:海了寺側の虎口
5:三重堀(南)
6:竪堀(南)
7:三重堀(中央)
8:三重堀(北)