麻生城
麻生城([島崎城 周辺城郭])
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麻生城の口コミ情報
2026年04月16日 里のシロクマ木工頭
3月31日 訪城
羽黒山公園にナビを設定するも羽黒山公園北側の住宅街に導かれてしまった。改めてナビを設定し直し、公園のトイレのある駐車場にたどり着く。資料では、公園の西側に城の痕跡があるようなのでまず道路を挟んだ西側に階段のある土壇を登る。北側に堀切があり堀に降りる、堀底を東に進むと駐車場から続く道路に出る、道路を北に歩くと左手に堀切が現れる、これが三重堀なのだろう、木々と下草に覆われて進入を拒んでいるようだ、そしてこの場所の雰囲気は暗い。
羽黒山公園側に進む、公園は整備されていて綺麗だ。公園は南北にあり丘のようだ、丘には数段の段があり、腰曲輪の名残りなのだろう、この腰曲輪を遊歩道が継なぐ、北側に進むと先端には、土塁の名残りのある郭があり、墓地となっている。公園の南、入り口あたりは道路を挟んで土塁があり、元は虎口があったのかなと思う、西側の土塁には城趾碑があり、「羽黒山公園は、鎌倉時代常陸大掾氏一族の行方家幹が築いた麻生城の跡で、戦国時代になると同族で抗争、島崎安定に攻められ滅亡する」とある。
北東の台地と北西の台地、V字に造られた城跡がどの様な縄張りが施されていたのか!と思うと残念です。
2022年03月28日 国府左京大夫城介
行方四頭麻生氏の居城
【歴史】
麻生氏が、天慶年間(938~947)若しくは鎌倉時代初期に築いたとされる。
麻生氏は大掾氏一族で行方四頭(小高氏、島崎氏、麻生氏、玉造氏)の一つではあったが、戦国時代になると島崎氏と対立し、天正12年(1584)に、島崎義幹によって麻生城は落城し、麻生常安(17代)は自刃し、麻生氏は滅びました。ただし、江戸崎土岐氏を頼って、落ち延びたとも伝わっています。その後、島崎氏が統治しますが、佐竹氏による南方三十三館により粛清されると、佐竹氏家臣の下川辺氏が在城するも、関ケ原合戦後、佐竹氏が転封されると、麻生城は廃城となった。
別名:羽黒城
【遺構】
島崎城の北西5.9kmに位置する標高24mの丘陵に築かれており、現在は羽黒山公園となっている。
V字をした形状の地形で、東側の公園部分が主郭と思われる。複数の腰曲輪があり、北側の海了寺へ降りるあたりに虎口が残っている。また、西側の常安寺の墓地付近には三重堀が残っており、内二条は麓へ落ちる竪堀となっている。
【感想】
主郭があまりにも広すぎるため、本来は複数の曲輪があったが、公園として整備する際に改変を受けたように感じます。しかし、この城の一番の見所は、常安寺側にある三重堀だと思います。常陸の城らしい見事な空堀です。一番北側の堀は墓地造成の際により大部分壊されていますが、他の二条は明瞭に残っており、途中からは竪堀として麓へと落ちています。竪堀の方は、倒竹と時間の都合で降りることはしていないので、どの辺りまで落ちているかは不明です。
【アクセス】
①レンタサイクル(潮来駅の観光案内所から約45分)
②バス(潮来駅又は延方駅から鹿行北浦ライン(1日4便)で筑波銀行麻生支店前で下車し、徒歩6分)
【写真】
1:腰曲輪
2:南側の虎口の跡か?
3:主郭
4:海了寺側の虎口
5:三重堀(南)
6:竪堀(南)
7:三重堀(中央)
8:三重堀(北)









