神崎城(東の城)
神崎城(東の城)([阿波崎城 周辺城郭])
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神崎城(東の城)の口コミ情報
2023年12月03日 国府左京大夫城介
利根川沿いに築かれた千葉では珍しい一城別郭の城
【歴史】
鎌倉時代の中頃に、神崎師時(千葉常胤の曾孫)が築いたと伝わる。
神崎(こうざき)氏は千葉胤正の七男の家系で、宝治合戦(1247年)の後に、神崎師時が香取郡神崎庄を賜ったことから、神崎氏と名乗るようになった。室町時代になると、千葉氏の直臣となっており、上杉禅秀の乱や永享の乱などに参戦している。小田原征伐の時には、千葉氏に従い、湯本口を守っている。
小田原落城後の神崎氏の動向は不明だが、江戸時代中期に千葉氏の再興活動をしていた千葉祥胤が、下総大須賀郷を訪れた際に、神崎胤資と面会しており、その際に神崎氏の家系図を与えたという。
【遺構】
神崎城は「東の城」、「中の城」、「西の城」で構成された一城別郭の城で、南側の田向城、西側の小松城が出城としての役割を担っており、その範囲は東西1.5km、南北1.5kmにも及ぶ。
「東の城」は下総神崎駅から北西約650mにある台地(標高30m/比高25m)に築かれており、一番最初に築いたと推定されている。
遺構は曲輪、腰曲輪、土塁、空堀があり、3城の中で最もよく残っている。空堀は堀底道として用いられており、現在も遊歩道として用いられている。また、空堀の東には土塁と竪堀を置くことで、空堀に入る口を狭めている。主郭の北側から西側にかけて土塁があり、中の城方面から攻めてこられた場合に備えている。
「中の城」は下総神崎駅から西に約850mにある台地(標高30m/比高25m)に築かれている。
遺構は曲輪、腰曲輪、空堀、櫓台が残っている。櫓台は古墳を利用したものではあるが、北側にある空堀からはやや死角となっている。中の城の南側麓には神宮寺があり、その付近の鞍部には土橋を有する空堀があったようだが消滅している。
「西の城」は下総神崎駅から西に約1kmにある台地(標高36m/比高30m)に築かれている。
城域は3つの中で最も広いが、現在は「わくわく西の城」という公共施設により遺構の多くは消滅しており、土塁が僅かに残る程度である。また、西之城貝塚という縄文時代の遺跡も残っている。
【感想】
千葉県内ではかなり珍しい一城別郭の城で、出城を含むとかなり広大な城郭です。城内を横断するように空堀を使った遊歩道があるため、比較的見学しやすいです。一方で、遊歩道から外れた所は藪が茂っている箇所もあったり、中の城のように畑になっている箇所もあるので、見学する際は気を付けてください。
東の城は遺構がかなり良く残っており、特に空堀は深さと幅もかなり大きく立派なものです。折れや虎口、馬出っぽい曲輪、竪堀などがあり、戦国時代に改修されていることが分かります。ただし、稲荷神社がある主郭部分や腰曲輪部分は藪があり、遺構が分かりにくいです。
中の城は北側の空堀と腰曲輪、古墳を利用した櫓台があり、北側の防御が重きを置いてます。また、麓にある神宮寺には「神宮寺文書」というものが残っており、千葉県では貴重な中世の史料だそうです。現在は県立中央博物館大利根分館に保管されているとのことです。
西の城は公共施設があるため、往時の姿が全く分からなくなっているのが残念です。
【アクセス】
下総神崎駅から徒歩10分で、東の城に着く。
車の場合は「わくわく西の城」の駐車場を利用するとよい。
【写真】
①遠景(左から東の城・中の城・西の城)
②空堀(東の城)
③土塁(東の城)
④空堀(中の城)
⑤櫓台(中の城)
⑥西の城入口
⑦神宮寺