観音寺館

観音寺館([小坂城  周辺城郭])

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観音寺館の口コミ情報

2025年05月29日 マグロ常陸介祐平


威徳山福聚院観音寺は、嘉禄2年(1226年)の創建とされています。本堂は土岐原治頼が再建したとする大永5年(1525年)の棟札が残り、宝永3~4年(1706~7年)には本堂の大規模な修理と、本堂の旧材を使用した仁王門の再建が行われています。本堂の部材を再利用したとされる仁王門の旧材を炭素14年代法で測定したところ、鎌倉時代に切り出されたもの確認されたようで、鎌倉時代に建立された建築物が旧材を使用しながら修復・再建されながら現在まで伝わったようです(写真1,2枚目)。また、仁王門の礎石には五輪塔の部材が転用され、地下1.5~2mから宝篋印塔の部材が出土していることから(写真3枚目)土岐原氏と敵対した豪族が存在していたのかもしれません(勝手な想像です)。本堂、仁王門共に茨城県の文化財に指定されています。

お寺の東側(駐車場の脇)には、城郭的な構造が見られます。駐車場から短い階段を上がるとすぐに空堀が1条あり(写真6枚目)、その先には簡素な作りですが土塁を伴う空堀がL字型に見られます(写真7,8枚目)。武装した僧侶のものなのか、五輪塔の主のものなのか、土岐原氏や観音寺と関係の深い久野城の野口氏の支城的なものなのかわかりませんが、城郭的に感じられる構造物です。本堂の裏側や庫裡の裏側(写真4枚目)やその付近(写真5枚目)に土塁状の土盛りが見られますが、駐車場脇の遺構とは作りが異なり、堀も見られないことから、お寺としての構造物のように感じられます。

城郭としては少々地味ですが、寺院としては大変見応えがあります。

2022年11月03日 昌幸安芸守更に吉


牛久市にある観音寺館跡。隣に建つ観音寺の歴史と関係があるようです。

観音寺は、鎌倉時代の嘉禄2年(1226年)創建とされていますが、誰が創建したのかは不明です。大泳5年(1525年)に土岐原治頼(後の常陸土岐氏)が本尊の十一面観音の再興を行いました 。これは治頼の統治する場所と、その西方の勢力の小田氏との境界線を提示する意味を持たせるためでした。

さらに天正5年(1577年)に土岐治英は土岐越前守と共に観音寺の修復工事を行いました。戦国の世で緊張が続いたこの地の信仰的な安心感を持たせる意味もあったと思われます。土岐原氏(常陸土岐氏)が治めていた時代の石塔も多数発見されており、館跡は土岐原氏(常陸土岐氏)関連のものと考えたいです。

遺構は堀で囲まれた中に二段の郭があります。そして寺の端に土塁があるとのことです。土塁は見逃しましたが(笑)寺と仕切られているので、未整備の激ヤブとなっています。心の眼で見てください(笑笑)

【写真の説明】
①〜⑤は館跡の堀
⑥仁王門。江戸時代に本堂が修繕され、その時に出た古材で建てられた。後ろのイチョウの木が見事!
⑦本堂
⑧集められた石塔。1500年代のもので、土岐原氏(常陸土岐氏)が治めた時代と合致する。

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