益子古城
益子古城([西明寺城 周辺城郭])
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益子古城の口コミ情報
2025年12月29日 マグロ常陸介祐平
紀貫之の子孫ともされる、本姓紀氏の益子氏のお城です。平安時代後期にはこの地に根付き、代々宇都宮氏の重臣として活躍しています。戦国時代勝宗の代になると、他の芳賀氏などの宇都宮氏の家臣との対立から、宇都宮氏を離反し、結城氏配下の水谷氏と結ぶなど独立した動きをするようになります。その後は帰順と離反を繰り返し、独自に武田信玄と結び上野に出兵し、信玄から感状を賜り、宇都宮氏に帰順すると勝頼戦い、内藤昌月と跡部勝資を敗走させ、宇都宮国綱から感状を賜っています。
家宗の代になると、領地を接する笠間氏と争うようになり、主君宇都宮国綱とも対立します。天正17年(1589年)になると芳賀氏らの軍勢により益子古城は詰城の西明寺城とともに落城しています。家宗は討死したとも、浅野長政の客将となり和歌山で無くなったともされるようです。
お城は本郭・東郭・西郭・南郭・北郭の5つの郭で構成されており、発掘調査で本郭(写真1,2枚目)からは主殿とそれを囲む10棟の建物址、各郭からも建物址や井戸などが検出されています。建物の規模や配置、遺物の陶器や中国製磁器から、戦国時代に約50年間存続したことが判明しており、天正17年に落城した益子氏のお城はこのお城と考えられるようです。
公園として整備され改変された部分も多いようですが、東門前の主郭の空堀は、ジェットコースターのような段差があり、南郭・東郭・北郭を仕切り、西郭北側の腰郭(写真5枚目)まで続く、面白い構造でした(写真3,6,7枚目)。また、後世のものかもしれませんが、西郭の南側から西側にかけて土塁(写真4枚目)が見られます。
東郭には益子焼の人間国宝だった濱田庄司氏が住んでいた旧濱田庄司邸(写真8枚目)が残り、登り窯も見られます。また、東門の中は益子焼が展示されています。
2023年07月16日 見城
益子焼に誘われて訪れた街道を歩くと、街道の地名は『城内坂』。気がつけば益子古城と呼ばれる小高い丘『御城山遺跡』の本丸に向かっていました。本郭は遺跡広場、東郭は工房広場、南郭は陶芸美術館、西郭は芝生広場となるようです。城郭が街に溶け込んでおり、得した気分になりました。
2021年05月04日 龍馬備中守【】
栃木県の芳賀郡にある益子古城☆益子氏の最初の居城と伝わってます☆その後益子氏は益子城を築城し、そちらに移ったと言われています☆
が、益子古城の堀切の切り口を見ると戦国時代にも使われていたんじゃ無いか?という様な立派な堀切を持っています☆近隣に益子城☆更には西明寺城もあります☆西明寺城は詰城という事で間違いないと思われますが、益子古城に益子城☆近い場所に2つの城郭が…謎です☆
益子古城は大きく分けて本郭、北郭、南郭、東郭、西郭5つの郭から分かれていて低丘陵地に城郭を構えます☆本郭を中心にして各主要郭は堀切で区画しています☆各主主要郭には腰郭が数段付属しています☆城下には城内坂と呼ばれる、街道になるのかな〜?動線も残っていて、更に益子城は近所です☆歩いてみた感想ですが益子古城は益子氏の初期の城でその後に益子城を造る☆ただ同時期に益子古城も改修したんじゃ無いかな〜?2つの城郭は別の城として紹介されていますが距離を見るとほぼ一つの城として機能したんじゃ無いか?と思いました☆
現在、益子古城は公園になっていて陶芸メッセ・益子もあるし楽しめる城郭になっています☆現存する堀切の規模は予想以上に大きくて感激しました♪
2021年02月11日
陶芸メッセ益子の建物の周りが益子古城跡になります。案内看板や大堀切、切岸、土塁などが確認出来ます。かつて益子氏は本拠地をここに構え、臨戦時には西明寺城を使っていたようです。
目印は益子窯元共販センター。奥の坂道を上に上がっていきます。陶芸メッセ前まで車で行く事も出来ます。









