御前原城(ごぜんばらじょう)

御前原城の基本情報

通称・別名

塩谷城、塩谷故城、中村城

所在地

栃木県矢板市早川町174

旧国名

下野国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

塩谷(堀江)頼純

築城年

鎌倉時代

主な改修者

主な城主

塩谷(堀江)氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、空堀、虎口

指定文化財

県史跡(御前原城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

川崎城(栃木県矢板市)[2.2km]
矢板城(栃木県矢板市)[2.6km]
乙畑城(栃木県矢板市)[5.8km]
佐久山城(栃木県大田原市)[5.9km]
大宮城(栃木県塩谷郡)[8.5km]

御前原城の解説文

御前原城(ごぜんぱらじょう)は、栃木県矢板市早川町にあった平城。塩谷城、塩谷故城、中村城などとも言う。正和4年(1315年)築城、正保元年(1644年)9月19日廃城。

築城年代と経緯について
御前原城の築城年代については、治承寿永年間(1177年〜1183年。間に養和の年号あり)に塩谷頼純により築城されたとする説と、正和4年(1315年)に塩谷頼安により築かれたとする説がある。『日本城郭大系』によると、塩谷頼純説が地元伝承、塩谷頼安説が『塩谷記録』の説だという。また『日本城郭大系』は両説とも伝説の域を出ないとしている。ただし、前者の説の場合、治承寿永年間には、すでに塩谷頼純は没しており、この点において正和4年築城説が有力と考えられており、さらに発掘調査でも、御前原城の築城年代は1400年初め頃と推測されており、より年代の近い正和4年説が有力となっている。また、御前原城には、元々塩谷郡衙があったとする説があるが、塩谷氏が塩谷郡の支配地として当地を選び、御前原城を居城のひとつとして扱ったことは、これを裏付けている。

塩谷郡衙が当地にあり、堀江山城を居城として塩谷郡を支配し、のちに郡衙の老朽化が激しくなり、また城郭化の必要性にも迫られ、郡衙を改修する形で御前原城が誕生したと考えられている。これを裏付ける事実として、下野風土記では、築城年代に明らかな誤認があるものの、御前原城の築城を川崎城築城より、のちの出来事としている。

沿革
御前原城は、川崎城とともに塩谷氏の居城として機能していたが、その時代の事績は、あまり後世に伝わっていない。これは、御前原城を居館、川崎城を詰め城とし、同じ居城でも、戦の時の御前原城は、川崎城の支城として機能していた事も理由のひとつだが、御前原城がある中村一帯が、水田適地が少なく、経済的開発に適さない土地柄であったため、御前原城周辺が発展せず、次第に居館でも別邸としての要素の方が強くなっていったため、伝わる事績が少なかったという事情もある。塩谷義綱の時代、御前原の城主は、その庶兄である義通が城代を務めていたが、御前原の城代は、代々当主に近い一族が勤めていたと考えられている。

天正18年(1590年)の小田原の役をきっかけに、塩谷氏の家臣岡本正親が独立を果たすと、その姉の子であり、正親の娘婿でもある塩谷義通も中村と木幡合わせて約1000石の所領を以って独立し、義通は、御前原城を居城とする。慶長3年(1598年)に義通が没すると、嫡男義保が叔父であり義父でもある正親の岡本家を継いでいたため、次男の岡本保真が、塩谷惣十郎を名乗り家督を継ぎ、御前原城の城主となる。

しかし、正保元年(1644年)3月10日、泉騒動が勃発し、これにおいて保真(惣十郎)が殺害されると保真に跡継ぎがいなかったため断絶し、御前原城は廃城となる。

塩谷頼安について
御前原城の築城者として名が残るが、塩谷氏の系図にはそのような人物は見えないが、年代的に言えば次の5名が考えられている。

塩谷氏の系図で、年代的に塩谷頼安に当たるであろう者を探すと、この5名が当たるが、誰が頼安かはいずれも決定打に欠ける。また、塩谷氏の系図には登場しないが、数ある宇都宮氏の系図のひとつである「藤氏道兼公孫」という系図には、朝定の父である盛朝の弟として塩谷業泰(なりやす)という者がいる。塩谷氏の系図では、盛朝の弟には、年齢順に朝宗(「藤氏道兼公孫」では「家朝」)、朝基、重朝(末に横田親業室の女子1人)しかいないが、この系図では、朝基と重朝の間に業泰がいることになっている。塩谷頼安とはほぼ同年代の人物であり、名前から見れば、最も同一人物である可能性が高いが、塩谷氏の居城のひとつに位置づけられる重要な城である御前原城を築いた者が、なぜ塩谷氏の系図から省かれたのか、あるいは、この系図の記載が間違っていて、業泰という者自体が存在しないのか、事績が全く不明であり、これも決定打に欠ける。さらに、ここに挙げた者の誰も塩谷頼安ではない可能性もあり、現在も研究が続けられている。

御前原城の現在
御前原城には、現在主郭とその近周囲部に良好な遺構が残っており、栃木県指定の史跡となっている。しかし、主郭以外の遺構は、シャープの工場用地として開発されて壊滅している。ちなみに、シャープの旧社名が早川電機工業であったため、御前原周辺は、早川町とも呼ばれている。...

御前原城の口コミ情報

まさ大膳大夫猛虎 様[2014年01月17日]
矢板四号バイパスのシャープ正門より、すぐ南側の信号を西に曲がると100M先に御前原城入口有り。その儘、中に入れば駐車場・トイレ有るよ。
城の周囲は、石垣・盛土、その上に桜の植え込み。
城跡の周囲は、シャープに囲まれている。

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