小栗城

小栗城([久下田城  周辺城郭])

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小栗城の口コミ情報

2024年02月12日 昌幸近江守更に吉


常陸と下野の境目の城、小栗(おぐり)城。北を流れる小貝川を天然の水堀とする堅固な城です。

平安末期の築城で、常陸大掾氏一族がこの地に入り小栗氏を称しました。
室町時代、幕府に反目するようになった鎌倉公方に対して危機を感じた幕府は、関東・東北の武将と直接主従関係を結び、彼らは京都扶持衆と呼ばれ、小栗氏も組み込まれました。そして京都より遠く離れた地で激しく争います。小栗満重は乱の中心人物にもなったほどです。
小栗城は落城と奪還を繰り返しますが、結局小栗氏は滅亡しました。
戦国時代は宇都宮氏と結城氏の争いの舞台となり、小栗城は宇都宮方の小宅氏が居城としました。しかし豊臣秀吉の命により宇都宮氏が改易されると、小栗城は廃城になったようです。

古い時代から使われてきた城なので、年代の違う遺構が混じっていると感じます。
まず中心的な3つの郭は古くからの遺構で、郭が丸く堀もそれに沿って掘られ、横矢など技巧的な部分が見られません。
城の東側の遺構は折れの入った深く大きな堀が造られています。I郭も東側のみ土塁と櫓台、段郭があります。何らかの脅威を感じるようになり、戦国時代に新たに造られた遺構と思われます。
※Ⅲ郭下も段郭が連なりますが、太平洋戦争後に開墾された畑跡だそうです。

車は内外大神宮か、その脇の砂利道を進んだ左側に広場があり、そこに駐車可能です。

【写真の説明】
①城域東端の堀底道。ここを通り登城。
②本城域下の堀切
③実は土橋の上から。笹薮を取り払えば相当立派なものが出てくるはず。
④I郭東側の帯郭。これが2〜3段ある。
⑤I郭を囲む堀。
⑥II郭へ向かう堀。流石に進めず。
⑦I郭内。土塁が残る。
⑧麓の内外大神宮。小栗氏が神官を務めた。

2021年05月11日 龍馬備中守【】


茨城県の筑西市にある小栗城☆小栗判官で有名な小栗氏の居城です☆この小栗城は常陸大掾氏の一族の小栗氏の居城になります☆大掾重幹の子・重義は、ここに居住して来て小栗氏を名乗りました☆

歴史は古くて平安時代からこの地に根付きました☆

室町時代には【小栗満重の乱】の舞台になっていて小栗城主・小栗満重と京都・扶持衆が反乱を起こして鎌倉府の足利持氏と激戦を繰り広げました☆
鎌倉府軍の大軍に反乱軍の多くは劣戦を強いられ最終的に小栗城で自刃してしまい小栗氏は没落して行きます☆
【小栗満重の乱】の後は小栗城は鎌倉府領になりましたが、足利持氏の没後に室町幕府VS結城氏&関東の諸豪族が戦った【結城合戦】で小栗氏は戦功を挙げ旧領に復帰します☆
が…しかし…足利成氏からの攻撃を受け、小栗氏は滅亡しちゃいました【享徳の乱】

戦国時代には下野国の戦国大名・宇都宮氏の家臣・小宅氏の居城として坂戸城と共に使用されました☆小田城・城主の小田氏、結城家臣の下館城・久下田城・城主の水谷氏に対する宇都宮氏の防衛拠点として機能しました☆

小宅尚時が城主の時に結城氏に攻められ一度は結城氏の手に渡ってしまいますが、再び宇都宮広綱が奪還します☆


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