片野城

片野城([柿岡城  周辺城郭])

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片野城の口コミ情報

2023年07月09日 マグロ常陸介祐平


嫡子である太田氏資に岩槻城を追放された太田資正が佐竹義重を頼り築城したお城です。資正の子の資武が結城秀康のもとに去り、佐竹一族の石塚氏が城主となり、江戸時代に入っては元織田信雄の家老滝川雄利が2万石で入っています。

主郭の入口には土塁と案内板があり、畑を進むと土橋があります。土橋の左手は民家ですが、右手は深い空堀が確認できます。土橋の先に主郭があるようですが、雑草が腰の高さまで育っており断念しました。

案内板の向かいには、城の守護神として佐竹郷から勧請された七代天神社、少し下った所には郭内に建立された太田資正の墓がある浄瑠璃光寺、さらに下った所には、滝川氏の墓(山県大弐の墓のとなり)がある大寧寺があります。

2021年01月24日 【国替準備】国府左京大夫城介
片野城へのアクセス方法

石岡駅から柿岡車庫行きで、根小屋入口で下車し、徒歩20分程となります。
登城口は、七代天神社を目安にしてください。車はその付近に路上駐車するしかないかと思われます。
なお、Google map上の片野城跡は、もろに民家なのでそこから登城できません。

2021年01月24日 【国替準備】国府左京大夫城介


太田資正が築城し、その終焉の地となった城

【歴史】
文永年間(1264~1274)に八田将監が築城したと伝わる。
永禄9年(1566)頃に、佐竹義重からこの地を預けれた太田資正が現在の片野城を築城。
佐竹氏が秋田に転封された後、滝川雄利が2万石で片野藩を立藩するが、寛永2年(1625)に滝川正利が幕府に領地を返上したため、片野藩は廃藩となり、片野城も廃城となった。

【遺構】
根小屋地区にある比高20mほどの台地上全てが片野城の城域となります。東西700m、南北200mにもなる大城郭です。
郭は全部で9つあるようですが、集落自体がお城であるため、当然入れない場所も多々あります。
しかし、当時の遺構を残した状態であるため、道の脇に堀切を確認することができます。また、この辺りではあまり見かけない角馬出も備えています。北側には、水堀も現存しています。
Ⅲ郭は七代天神社に、Ⅴ郭は浄瑠璃光寺(太田資正公の墓所)になっている。

【感想】
集落全体が城であるため、個人宅の敷地が遺構になっているところもあり、全ての郭を確認することはできませんでした。Ⅰ郭からⅤ郭は普通に入ることができます。ただし、Ⅳ郭である角馬出は、藪で覆われており、中に入る気が薄れるレベルです。外側からなんとか角馬出であることを確認することができます。写真だと何が何だか分からない状態になっていますが…
一番の見所は、Ⅰ郭北側にある堀切は、かなり幅広な上、藪に覆われていないので、かなり見やすいです。ただし、堀の西側には個人宅の倉庫が塞いでおり、個人の敷地の可能性もあるので、降りることはできませんでした。
城内の藪を刈るなど、整備を進めると、かなり見応えのあるお城になる気がしますが、中々難しそうですね。また、残念なことに堀切にゴミを不法投棄する不届きな輩もいるようです。

【写真】
1:登城口付近(左側がⅡ郭、右側がⅢ郭で、道が往時の堀切)
2:Ⅰ郭南側の土塁
3:Ⅰ郭北側の堀切
4:Ⅲ郭(七代天神社)
5:Ⅳ郭の土塁
6:Ⅲ郭から見たⅣ郭(肉眼だと、角馬出であるのが分かるんだけど…)
7:Ⅷ郭
8:Ⅵ郭の北側にある水堀

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