弘道館
弘道館([水戸城 遺構・復元物])
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弘道館の口コミ情報
2020年05月16日 野呂利左衛門督休三
徳川斉昭が開いた水戸藩の藩校。天保十二(1841)年に仮開館(安政四[1857]年に本開館)し、明治五(1872)年には閉校と短い期間ですが幕末史の重要な舞台です。
現在は正門と正庁のみしか建物はありませんが、かつては文館、武館、医学館、調練場、鹿島神社からなっており、敷地も今の県庁三の丸庁舎や県立図書館、水戸警察署、三の丸小学校を含むものでした。なお現在の弘道館公園は弘道館の正門と正庁、文館跡、鹿島神社から成ります。
弘道館の失われた建物の内、鹿島神社の建物は昭和二十(1945)年の水戸空襲で焼失しましたが、それ以外は明治元年の弘道館戦争での焼失です。
戊辰戦争で越後や会津を転戦した諸生党は会津藩降伏後、再起を図り後方で手薄となっているであろう水戸に戻ってきますが、水戸城占拠を果たせず、弘道館に立て籠ります。翌日の戦闘で諸生党は退却しますが、この戦闘で多くの建物が失われ、正門には弾痕が刻み付けられることになります。
なお、諸生党の名称は弘道館の書生が多かったことに由来しますが、面々の多くは斉昭の藩主就任で割を喰った門閥保守派です。