粟原城

粟原城([花崎城  周辺城郭])

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粟原城の口コミ情報

2025年09月16日 マグロ常陸介祐平


アニメ「らき☆すた」の聖地、鷲宮神社(写真2,3枚目)の神官大内氏のお城です。大内系図によると、大内氏は秀郷流の藤原氏で、結城氏の庶流とされます。この地は元々太田荘に属し、小山氏の崇敬を受けていましたが(小山義政が神社に奉納した刀は国重文)、小山氏が勢力を失った後に、結城氏が進出したことにより、庶流の大内氏が入ってきた可能性があるようです。また、莿萱系図によると細萱(細谷)氏が大内氏に姓を改めたとあり、細萱氏は粟原城の支城で登録城である花崎城主としても知られています。また、江戸時代初期の棟札には、桓武天皇の皇子の二條大納言安世卿の子孫が相続してきたと書かれているようで、真相は不明です。

神主と武将を兼ねた大内氏(細萱氏)ですが、当初は古河公方家に従っていたようですが、後に北条氏の傘下となり、神領として159貫700文を安堵され、軍役も担ったようです。北条氏からの書状の宛先は、「神主」「鷲宮在城番」となっており、兵糧や武器の搬送を指示されています。

上杉謙信による小田原攻めでは、細萱光仲は家臣を引き連れ小田原城に籠城し、小田原城の帰りに上杉勢の木戸宮内少輔は粟原城を焼き払い、支城の花崎城を攻め落としたとされます。また、秀吉による小田原征伐では、大内泰秀は小田原に籠城するも途中で鷲宮に戻ったと伝わるようです。

粟原城は、東武線と青毛堀川を挟んだ鷲宮神社の西側に位置していますが遺構は残っていないようです(写真1枚目)。城域には祠がありますが、地元の方に尋ねたところ、現在の地主さんが建てた私的な稲荷社で、お城とは関係ないとのことでした。お城と隣接する鷲宮神社の西側は、一段高くなっており、堀状の川や土塁状の土盛りや虎口状の構造が見られますが、城郭としての遺構では無さそうです(写真3~8枚目)。

徳川家康の関東入国の際に、400石の社領を寄進され、将軍の代替り毎に安堵状を受けることになります。慶長5年(1600年)に家康の会津の上杉景勝討伐の際に、利根川を渡河するところ船橋の綱が切れたところに大内泰秀が川に飛び込み繋ぎ止め、銚子・盃・太刀・馬を拝領しています。また、正月には江戸城に登城し独礼で将軍に謁見、祈祷札・大麻・鳥目一貫文を献上し、時服を下賜されています。また、養子相続では、旗本から養子を貰うなどの格式を持っていました。

鷲宮神社はアニメの聖地ということで、以前は痛車をよく見かけましたが、近年の参拝ではお目にかかっていません。熱狂的なファンの方は、今も絵馬を奉納し続けています。

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