膳城(ぜんじょう)

膳城の基本情報

通称・別名

所在地

群馬県前橋市粕川町膳83-2他

旧国名

上野国

分類・構造

平山城

天守構造

不明

築城主

善氏

築城年

15世紀中期

主な改修者

主な城主

善氏

廃城年

不明

遺構

曲輪、空堀、土塁、土橋

指定文化財

県史跡(膳城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

山上城(群馬県桐生市)[0.9km]
赤堀城(群馬県伊勢崎市)[4.5km]
高津戸城(群馬県みどり市)[5.5km]
大胡城(群馬県前橋市)[5.7km]
神梅城(群馬県桐生市)[7.6km]

膳城の解説文

膳城(ぜんじょう)は、群馬県前橋市粕川町膳(旧勢多郡粕川村)にある室町時代から戦国時代の丘城。

概要
西と南を兎川に面し、東を兎川支流童子川に面する棚状丘陵地に造られた紡錘形の城。東西250m、南北500mに広がる。別城一郭の構造を持つ。

三善康信の子孫という善氏(のち改称して膳氏)の居城であった。築城時期は15世紀中頃と推定。長享元年(1487年)には既に存在した。

文明12年(1480年)頃、佐野昌綱により落城するも、城主の善三河守は横瀬業繁の援助で帰城、以後由良氏(横瀬氏)の影響下に入る。

永禄5年(1562年)上杉方に降る。元亀3年(1572年)、城主の善宗次が上杉謙信の下野国小俣城攻めに参加中討死。その子・春松丸が継ぐが、反攻してきた小俣城方の北条軍により落城。春松丸は厩橋へ逃亡し膳氏は没落した。

天正2年(1574年)上杉方に占拠され、木戸忠朝が入る。天正6年(1578年)上杉謙信死去によって後北条氏に属し河田備前守が城主となる。

天正8年(1580年)、御館の乱のなかで武田勝頼は上杉景勝を支持、上杉景虎派の厩橋城を制圧しそのまま赤城山南麓の大胡城山上城・伊勢崎城を攻略していた。攻略後、武田勝頼軍は人心安定のため平服のまま各地を視察し、膳城付近を通過した。当時膳城では酒宴が行われ喧嘩沙汰も起きており、武田軍を見た一部城兵が激高、武田軍に攻撃を仕掛けてしまった。この結果、武田勝頼軍の反撃を受けて膳城は落城、河田備前守や城代・大胡民部左衛門が討ち取られてしまった。

これを「膳城素肌攻め」という。この落城後に廃城となったという。

現在、城址の大部分は住宅地。しかし、戦後に膳氏の末裔という膳桂之助が、本丸周辺を買い取り県に寄付したため、本丸・二ノ丸は1949年県指定史跡に登録、城址公園となった。また本丸北側の北郭跡には粕川歴史民俗資料館が建つ。

参考文献
村田修三・服部英雄監修 『関東地方の中世城館』1 東洋書林〈都道府県別日本の中世城館調査報告書集成〉、2000年...

膳城の口コミ情報

永眠武蔵守釋 葱進様[2016年06月04日]
城跡そばの粕川歴史民俗資料館(見学無料/月・火は休み)で縄張図などの資料を戴けます。
車は資料館または膳城跡公園の駐車場が利用可能、トイレも同所にあります。水道は公園及び本丸にあるものの、飲料自販機はない模様。
資料館向かいの出土文化財管理センターの敷地(自由に入れる)より階段降りると本丸の堀となり、付近から半周くらい遊歩道が整備されています。
本丸にある解説板は老朽化なのかいたずらなのかかなり傷んでいます。(解説文はボロボロだが縄張り図はほぼ無事)
遊歩道や東屋など整備された本丸に比べると、二の丸や袋曲輪はほとんど人の手が入ってないと思われるので遺構として見るなら二の丸や袋曲輪まで足をのばすのがよいでしょう。

ぎっちゃん様[2014年05月04日]
今年の1月に本郭の堀底道が整備され歩き易くなりました。ただ城としての景観は損なわれましたが…

参議一之介様[2014年01月03日]
上毛電鉄膳駅から徒歩10分ほどです。
途中、車の通行量が多いわりに歩道スペースが狭い道を歩きますので、気をつけてください。

空堀や土塁が非常にいい状態で残っています。整備されているようには見えないので、おそらく廃城当時の状態で今日まできているのではないでしょうか。

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore