高津戸城(たかつどじょう)

高津戸城の基本情報

通称・別名

所在地

群馬県みどり市大間々町高津戸要害1089他

旧国名

上野国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

山田氏

築城年

承徳・康和年間(1097〜1104)

主な改修者

主な城主

山田氏、里見氏、由良氏、阿久沢氏

廃城年

遺構

曲輪、腰曲輪、堀切、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

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高津戸城の解説文

高津戸城(たかつどじょう)は群馬県みどり市高津戸地区にあった日本の城(山城)である。高津戸渓谷東岸の崖上に築かれた城。本丸は要害山の山頂にあり今では本丸跡に要害神社がある。

伝承
承徳・康和年間(1097年-1104年)に山田氏によって築かれたと伝わる。しかし観応2年(1351年)十代目山田筑後守則之(範行とも記す)の代、桐生国綱の家臣である谷(やつ)四郎直綱に攻め滅ぼされた。この後に入ったのは里見氏である。

里見家の七代、義連の三男氏連が国綱の娘を正室に迎え、その縁で建徳2年(1371年)に仁田山八郷を国綱からまかされたのである。なお仁田山城は山田氏の旧居城である。仁田山里見氏が支配していた高津戸城であったが、氏連より四代後の宗連が越後の上杉謙信に攻められ自刃して果てた。天正2年(1574年)9月のことである。

房州の里見実堯(勝広)は仁田山に住む一族の宗連の許に身を寄せていたが、この宗連の死によって桐生に移って桐生氏の客分となった。そして実堯は二子、勝政と勝安を上杉謙信に託した。ところがこれが桐生親綱に内通と誤解され、元亀元年(1570年)3月20日に詰め腹を切らされた。

越後の上杉謙信の元にいた兄弟は親の仇を打ちたいと天正4年(1576年)10月に高津戸城に隠れ、その翌年5月2日用明の砦を襲ったが、城主石原石見守を取り逃がしてしまう。石原石見守は由良国繁に属していたため、兄弟は由良国繁の怒りを受けて攻められ天正6年(1578年)9月18日弟勝安は深手を受けて討死、兄勝政は城兵の助命を条件に切腹して果てた。兄の随見勝政28歳、弟の勝安25歳であった。

要害山のふもとの阿弥陀堂に里見兄弟の墓が伝来する。

しかし『大間々町誌』によると、里見兄弟の伝説はそれを裏付ける同時代史料が無く、里見氏の系譜に勝広らの名も無く、また由来に登場する桐生氏も後世の軍記物にしかみえない状態のため、一連の伝説は後世に創作された物語である可能性が高い。

構造
多数の平場から成り、堀切、竪堀、井戸などが残る。一方で明瞭な虎口は見当たらず、土塁もわずかしか見られない。

アクセス
わたらせ渓谷鉄道大間々駅下車徒歩6分
東武桐生線・上毛電鉄赤城駅下車徒歩20分...

高津戸城の口コミ情報

立花飛騨守様[2017年07月29日]
Googleマップを頼ると、ひどい目にあう。神社のある高津戸公園を目指していき、途中まできれいに舗装された遊歩道を行くも、断崖絶壁の前で、案内終了。車道を道なりに行くと、途中、ショートカットできそうな通路があったので、登ったが、結構急傾斜で、たちまち汗みどろに。
その割に、遺構ははっきりしない堀切と竪堀があるだけ。横掘のような地形も見られたけど、苦労の割りにイマイチに感じました。

ジュニア様[2017年01月25日]
近くに有る、コノドント館に高津戸城の模型があると思います。

ハチミツ式部卿様[2016年10月27日]
追記:
注意しなければいけない所と言ってしまいましたが、危険を感じる程ではなく、
全体的には、整備されていて、
登り口には、清掃して下さる方が
いらっしゃいました。

ハチミツ式部卿様[2016年10月27日]
ながめ公園の菊を見に行って、すぐ近くに高津戸城があることを知り、急遽登ってみました。
駐車場は、ながめ公園の駐車場を利用できると思います。
トイレは、駐車場と、展望台のあるところにもありました。
登るにあたって、要害山の表示はあったのですが、頂上の要害神社まで登らないと、高津戸城と書かれたものは、ありませんでした。
途中、ちょっと注意しなければいけない所もありましたが、往復一時間もあれば、
登ることができました。
天然の要害が素晴らしかったです。
この時期、ながめ公園は菊祭りをやっているので、休日は混むと思いますが、
ながめ公園から、要害山の全景をみるだけでも、見応えありました。

すずママ右馬頭要害情報屋様[2016年05月01日]
ながめ公園・ながめ余興場から対岸の高津戸城(要害山)を眺めることができます。天然の堀である渡瀬川とのコンビネーションがステキです。
秋は紅葉狩りで大変混み合います。

牢屋見廻り同心マダオ様[2015年04月02日]
地元の方の話によると猪が出没するので、登られる方は注意が必要です。桜は見頃をむかえてます。

牢屋見廻り同心マダオ様[2015年01月20日]
高津戸城下に山田氏と里見氏の墓があります。

高津戸城は後三年の役のあと寛治2年(1088)山田七郎平吉之が築き、その後二百数十年間当地をおさめていたが、南北朝の観応2年(1351)に山田筑後守則之は桐生国綱に攻められて滅亡した。凝灰岩製の大型五輪塔及び阿弥陀堂内の阿弥陀石仏は南北朝以前の形式であるため山田氏のものである。
戦国期に仁田山里見氏を頼ってきた房総里見氏の里見上総介勝広が桐生氏によって謀殺されるやその子隋見勝政と平四郎勝安は上杉謙信の援助で天正5年(1578)5月高津戸城を再興した。翌6年9月16日金山桐生勢が高津戸城を攻め、夜は逆に里見勢が用命砦を攻めた。この合戦で平四郎勝安以下三十数名が戦死し隋見勝政は切腹した。小さい安山岩製の五輪塔が里見勢の墓である。

イダッチ内膳正ヨッチャン様[2013年11月25日]
関東の耶馬溪とも言われる名勝、高津戸峡に西と北を守られた高さ80メートルの要害山の山頂に築かれています。高津戸峡はまさに断崖で、そちら側の山肌もかなりの傾斜です。
北東と南に尾根が伸びていて、堀切で区切られた郭があります。南側の郭は駐車場になっており、二ヶ所展望台が設けられています。南端の展望台はかつての物見を復元した物のようです。駐車場からは、ハイキングルートで山頂の本郭跡の神社まで10分程度で着きます。
段々に削平された郭が連なり竪堀も良く残っていて見応えがあります。しかし、説明板は神社の所にしか見当たらず、郭などの表示板もありませんし、訪れる人も余りいないのかやや荒れていて寂しい印象でした。紅葉は素晴らしく、景色も良いところです。気軽に行ける山城としてオススメです。
ちなみに、里見伝説ですが、城の規模からして怪しいと思います。

傾奇揚げ仙兵衛様[2010年08月25日]
わたらせ渓谷鉄道大間々駅の前の道を日光方面に進むとR122に出た三差路に双葉食堂があります。定食や丼物も美味しいのですがホルモンがオススメ

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