培根堂・洋学館・国学館之跡
培根堂・洋学館・国学館之跡([忍城 碑・説明板])
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培根堂・洋学館・国学館之跡の口コミ情報
2019年09月01日 野呂利左衛門督休三
忍城史跡碑
忍城今昔地図では堀の中になっています。実際は、すぐそばの勘定所の敷地内にありました。
培根堂が幕末の慶応三(1867)年、洋学館と国学館はその翌年に開かれました。
藩校の修進館では若年者への教育が不十分であったため培根堂が設置されました。他の二館ではその名の通り、洋学、国学が教えられています。
培根堂の吉田庸徳は明治になって西洋流の算術書を出しています。洋学館で教えた芳川春濤は、修進館で教えた芳川波山の息子で、榎本武揚から洋学を学んでいます。国学館では北勢古志や随意稿の著者で歌人の黒澤翁麿の弟子が教えていました。