諏訪神社
諏訪神社([忍城 寺社・史跡])
忍城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:寺社・史跡)、「諏訪神社」の地図・口コミがご覧頂けます。
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諏訪神社の口コミ情報
2019年08月05日 野呂利左衛門督休三
【多度社・一目蓮社】
元は北西200mほどの場所にありました。当時は二階櫓があった曲輪です。奥平松平家が桑名からの転封の際に多度大社を勧請した神社です。
多度大社は桑名市にある、多度山が御神体の神社で、天照大神の第三子の天津彦根命が祭神です。
一目蓮社は多度大社の摂社で、祭神の天目一固命は天津彦根命の子だそうです。元々は鍛冶の神で一目蓮とは別個の神だそうです。一目蓮は片目が潰れた龍で、風など天候を司る神で、伊勢湾の安全祈願と雨乞いで信仰されていました。
2019年08月04日 野呂利左衛門督休三
【二の丸稲荷社】
かつて二の丸にあった稲荷社です。成田長泰が当時は見返曲輪と呼ばれていた二の丸に建てました。
成田長泰は上杉謙信と渡り合った当主ですが、若い頃に母子の狐を殺したことがあり、隠居後に真紅の狐に復讐されそうになったとか。しかし、武勇に優れた家来のお陰で逆に狐が取り押さえられそうになります。難を逃れた狐は番人に夢で事情を告げたとか。その番人から話を聞いた長泰は昔の行いを思い出して、社を建てたそうです。
ところで、その狐って何歳?
2019年08月04日 野呂利左衛門督休三
この諏訪神社の創建にはいくつかあります。一つは戦国時代初期の延徳二(1491)年に成田親泰が忍城を築城した際に持田諏訪神社をここに遷したとするもの。
もう一つには鎌倉時代初期に、この地を所領にした忍氏が館を築いた時に創建したとするものです(忍氏は成田氏に滅ぼされ、その直後に忍城が築城された)。
新編武蔵風土記稿では寛文十二(1672)年鎮座としていますが、忍城を大改造した阿部忠秋は諏訪神社の本殿を正保二(1645)年に改築しています。寛文十二(1672)年は、それに引き続く拝殿建立の年です。
なお、現在の社殿は昭和三十六(1961)年の建築です。
境内は木立が多く残されていますが、廃城の際には周辺の樹木も多くが切り倒されて換金されていきました。しかし、ここの杉の木から生き血のような赤い液が吹き出たことから御神木の祟りを恐れて取り止められたと言われています。