曳馬城
曳馬城([浜松城 周辺城郭])
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曳馬城の口コミ情報
2024年09月19日 マグロ常陸介祐平
浜松城の元となったお城で、主郭には延岡藩士の子で後に幕臣となった井上八郎(延陵)が明治19年に勧請した東照宮が鎮座しています。お城の歴史については、先人様が口コミされています。
浜松城築城の際は、西隣のドッグルハウス(引馬城の御城印所がある)の場所に家康が居住したとされ,説明板があります。浜松城築城後は郭の一部として「古城」と呼ばれ、米蔵などに使用されたようです。
縄張りは田の字型の4つの郭で構成され(写真4枚目の赤丸部分)、現在でも郭を区切る堀跡が道路となりよく分かります(写真5,8枚目)。また、想像以上に高台となっており、北側はビルの3階程度の高さがあり、要害の地であることを実感出来ます。驚いたことに神社東側の縁部には遺構として土塁も確認出来ます(写真3枚目)。
境内には秀吉と家康の二人の天下人が戦国武将としての一歩を踏み出した運命のお城ということで、二人の像があり、記念写真が撮れるようになっています(写真1枚目,磯田道史氏監修の説明板があります)。
2023年10月22日 RED副将軍
浜松城の前身の城跡🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。諸説ありますが永正年間(1504年~1520年)に今川氏によって築城されたと云われます。
1514年、今川氏の家老である飯尾氏が曳馬城主となり当地を支配しました。
1560年の桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、飯尾連龍は家督を継いだ今川氏真から離反し徳川家康と内通。そのため1563年と1564年の二度に渡り今川氏真は曳馬城に攻め寄せました。しかし、曳馬城を落とす事は出来ず今川氏真は飯尾連龍と和議を結びましたが、和議は謀略であり1565年に飯尾連龍は駿府城に出仕すると謀殺されてしまいます。今川氏真は飯尾連龍への疑念を払拭できなかった様です。
城主を失った後は、飯尾連龍の妻で今川氏一族のお田鶴の方が曳馬城を守っていたとされますが、1568年に徳川家康は酒井忠次を派遣し曳馬城に攻め寄せます。お田鶴の方が指揮をとり、侍女郎従を従えて奮闘するも討死にしたと伝わります。
1569年、徳川家康は掛川城に籠城した今川氏真を降伏させて伊豆へと移すと、1570年に引馬城に入城。そして浜松城を築いて曳馬城は取り込まれ郭のひとつとなりました。
浜松城が完成すると徳川家康は岡崎城から本拠を移しました。
見所
浜松城の北東に位置し、現在は東照寺の境内に石碑が建つのみで遺構は消失しています。
しかし、丘陵上であり高低差が城跡であったことを偲ばれます。
どうする家康ファンの方は浜松城だけでなく、曳馬城跡も訪れてくださいませ。