椿姫観音
椿姫観音([浜松城 寺社・史跡])
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椿姫観音の口コミ情報
2021年09月26日 山西の無職人千閑斎
徳川家康は永禄11年曳馬城に立て籠るお田鶴の方に使者を送り「城を渡されよ、さらは扶持しまいらせ家の子もすへてよきにはからいなむ」と説得しましたが、お田鶴の方は「妾婦女といえども弓馬の家の者おめおめと城は渡せぬ」と拒否しました。12月24日家康は城攻めを開始。曳馬城はお田鶴の方が指揮を取り徳川方に大きな損害を与えましたが、多勢に無勢最期は緋威の鎧に身を包み侍女18人と共に塩市口より出撃し全員が討死しました。家康はお田鶴の方を惜しみ塚を築き、築山殿が椿を植えました。曳馬城の北東方向には、お田鶴の方を祀る「椿姫観音」が建てられ、悲しい戦国の物語が伝えられています。
因みにお田鶴の方の母方の祖母は寿桂尼だったりします。 最後に一言
「諸説あります、そこんとこ夜露死苦!」