飯田城(いいだじょう)

飯田城の基本情報

通称・別名

飯田本城

所在地

静岡県周智郡森町飯田

旧国名

遠江国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

山内道美

築城年

応永7年(1400)頃

主な改修者

主な城主

山内氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

町史跡

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

久野城(静岡県袋井市)[4.4km]
天方城(静岡県周智郡)[5.4km]
社山城(静岡県磐田市)[6.3km]
掛川城(静岡県掛川市)[9.1km]
匂坂城(静岡県磐田市)[9.2km]
城之崎城(静岡県磐田市)[10.5km]
馬伏塚城(静岡県袋井市)[10.6km]
二俣城(静岡県浜松市)[12.1km]
鳥羽山城(静岡県浜松市)[12.1km]
横須賀城(静岡県掛川市)[14.1km]

飯田城の解説文

飯田城(いいだじょう)は、静岡県周智郡森町飯田にあった日本の城。

概要 

飯田城と天方城が所在する飯田・天方地区は、平安末期、飯田荘(天方・戸綿・飯田)と呼ばれ、白河・鳥羽・後白河上皇の三代に渡って寺社に寄進された荘園で、蓮華王院(三十三間堂)の所領であった。

飯田城主山内氏は、備後国を本拠とし、弘安4年(1281)に飯田荘上郷(天方地区)内のハコ嶋(鍛冶島)・西俣・加保(亀久保)村等の地頭を安堵された山内通茂を祖とし、山内通弘・道秀(天方氏)の頃に遠江に赴き天方本城を築いたとされている。

一方、嘉暦2年(1327)、飯田荘下郷(当所飯田地区)において、山内孫太郎入道道光と山内刑部阿者梨道俊が打越田・飯田里・楠木里などの田地相論に及んでいることから(内田文書)、鎌倉末期には山内氏が当所周辺に館を構え田地を領有していたことが窺い知れる。

歴史・沿革 

飯田城の構築は、応永元年(1400)年頃とされ、『掛川誌稿』に「山内対馬守法名道美、初め天方城に居る、後、飯田城を築いて移り住し、天方は其の弟山城守に守らしむ。故に天方氏と称す」とある。

続いて、応永8年(1401)には、山内道美が、東海曹洞禅の祖師となった如仲天誾和尚(応永18年大洞院開山)を請うじて飯田山崇信寺を開き菩提寺としたが、この境内を「古城」と言い伝えている。

これに対し、此処を地元では「本城」と呼び、「延宝五年飯田村縄打帳」にも「本城」と記され、崇信寺の「古城」に対し当所を「新城」と位置付けている。

永禄12年(1569)6月、今川氏の被官から離れることのなかった飯田城主山内大和守通泰は、徳川家康の遠江侵攻によって、榊原康正・大須賀康高らによって悉く斬獲され悲惨な最後を遂げ落城、千人塚(新城南東方向)に葬られた。

大和守通泰の一子伊織は、徳川の従士梅村彦兵衛に伴われて三州加茂郡広瀬村(豊田市)に落ち延び、同郡上野山村に土着して伝右衛門と称した。

構造 

本城(新城)の縄張りは、自然の谷地形を東限とし西端域に構築され、東西100m、南北150mの規模の丘城である。

城内は、三段の大小平場で構成され、東西北に土塁を囲む上二段が主曲輪で、南の土塁の内側が二の曲輪である。

北東最高部が物見曲輪、西北の尾根には二重の堀切を施し、全体として北方に備える遺構である。

大手口は南西の尾根で、この西下前方を「陣屋敷」(鈴木彦兵衛屋敷)と言い、方壱丁の居館跡と推測される。

情報提供:森町教育委員会


飯田城の口コミ情報

2024年02月15日 みその対馬守
飯田城



近くまで行かないと、城🏯の表示が無いので、お寺に目指してください。表示が出ても、こんな道でいいのかと思うような道中です。駐車場は、よく分かりませんが、隅に置けます。城の解説、場所の説明は詳しくしてあり、主郭等は整備されてますが、是非見たい土塁、堀切はやぶの中です。

2023年05月07日 吉沢勘解由長官隆景
飯田城



初めてリア攻めしましたが、県道58号線から、ダイレクトにお城に向かうと、狭く分かりづらい道を行く羽目になるので、まずは、「崇信寺」を目指してから、お寺を背に真っ直ぐに走ると広い道で行けます。薮が多めなので、冬場が良いかもしれません。

2023年03月01日 RED副将軍
飯田城



徳川家康、武田信玄との争奪戦が繰り広げられた飯田山内氏の居城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

応永年間(1394年〜1428年)に山内道美により築城されたと云われます。
飯田山内氏は、天方郷を領していた在地土豪で今川氏に属していました。1401年に山内道美は天方城を弟の山内山城守に譲り、新たに築いたのが飯田城とされます。
今川氏が没落すると徳川家康と武田信玄による争奪戦の場となります。
1569年、徳川家康の家臣である榊原康政、大須賀康高が飯田城を攻め寄せ、山内通泰は討死し落城。徳川氏の支配となります。
1572年、武田信玄が攻め寄せ落城するも、その後徳川家康は奪還したと伝わります。

見所
太田川の東岸の河岸段丘に築かれています。
主郭は南を除く三方を土塁が巡り北側土塁上は物見曲輪となる大規模なもの。
主郭南側に一段下に二郭があり二郭南側の土塁も物見台となっています。
主郭西側尾根は二重堀切で遮断されていますがヤブ化。
二郭南西部には大手口があり坂土塁状虎口となっています。大手口からの二郭の切岸も鋭くこの付近が一番の見所と考えます。
北西の二重堀切以外はよく整備され、主郭東側には駐車場もあります。

2021年06月06日 黒福主馬首にゃん
飯田城



中々攻略出来なかったので、興味が湧きリア攻めしてみました。駐車場がわかりにくく、迷いましたが、リア攻めの地図を頼りに看板を見つけ辿りつきました。全体図の絵や遺構は標識があり、面影を想像しながら楽しめました。雨上がりの空が気持ちよかったです。

2021年05月17日 泉地近江守ばっかんまん
飯田城



遺構は、それなりに残ってましたが、場所が分かりにくいです。
郵便局側から入っていったら分からず、ウロウロしていたら、小さな看板を発見して、何とかたどり着きました。
飯田小学校側から入った方が分かりやすいと思います。

2021年02月22日 オコジョ中務少輔
真田城[飯田城  周辺城郭]



遺構の残りは良好でした。小城と侮っていたらびっくりしました
駐車場は無いので近辺に路駐です。
登城口を登って行くと写真には撮っていませんが、登城路と切岸によるクロスファイヤーポイントがお出迎えです。
更に奥に行くと往時の登城路が見えてきます。谷になっており、両脇正面の三方からクロスファイヤーポイントになっております。
ここからは、すぐ主郭ですが、主郭の周りは空堀に囲まれており、主郭は切岸により高くなっています。
主郭の裏手も堀切になっており、裏の守りも万全でした。

2021年02月06日 ギア右近衛大将
飯田城

車で来た場合、2021/2/6現在、案内表示通り行くと通行止めで通る事が出来ません。南側の砂利道から入って下さい。南側は何も表示が無いので、事前にグーグルマップで下調べが必要です。

見所は本丸奥の二重堀切です。他の本丸や二の丸は猪に掘り返されている箇所が多数見受けられます。頻繁に現れるみたいなので、注意が必要です。カモシカも居るらしいですが、最近は見なくなったとか。。。

2020年06月02日 OROKA参議
真田城[飯田城  周辺城郭]



真田城は飯田城の北部にある城です。武田家に仕えた武藤氏の建てた城とのことですが…ん?武藤で真田?
そのあたりの関連は不明ですが、気になる方はぜひ文献をあたり、そしてその結果を私めに教えてくださると嬉しい限りです。

高速道路から小國神社(遠州一宮)に向かって県道280号を北上して走ると、右手に案内板や城址碑が現れます。このあたりに駐車スペースがあるので、車ならここに停められるかと。
案内に従い、山の方に向かい、写真の竹藪のような道を進んで15分ほど登ると城に到達します。

この城の見所は、主郭をめぐる空堀とその切岸、主郭の高い土塁、そして物見台との間の大堀切です。
主郭は結構大きくて、遺構もしっかりめで見応えがあります。小さいながらもベーシックな山城遺構を備えている感じです。

天方城や飯田城を訪れる際には、ぜひ真田城もセットに加えてあげてください♪

2020年05月08日 しげぽん
飯田城

飯田小学校の信号から案内板があり、それに従い進んでいくと古城に辿りつけます。道も、軽自動車くらいしか通れない激坂を迂回する新しい道が出来ており、古城近くの駐車スペースまで楽に行けるようになりました。ただ、激坂の頂上の合流の所にある入り口のとこが結構窪んでるので、車高が低い車だと下を擦ると思われるので注意です

2020年02月25日 こうひろ☽
飯田城



竪堀と思われるコンパクトカーでも幅一杯の道を抜けると谷堀と物見曲輪のそり立った切岸が出迎えてくれます。
広大な本曲輪上下段とニノ曲輪が大量の兵を駐屯させ、争乱の前線基地であることが分かります。
唯一の二重堀切はコンパクトながら竪堀にも繋がる一番の見所。しかしながら藪が酷くてはっきりとしない、本当に残念。
説明板や表示も多く、大土塁で四方を囲まれて土の城跡が好きな方はのんびりと楽しめます。そして子供の頃に野山が遊び場所だった人は懐かしさも感じると思いますよ

2018年01月27日 わんばんこ
飯田城

飯田小学校の信号を東に曲がり、小学校の敷地が途切れた所にある道を右に入り、すぐ左に曲がり少し走ると右に坂道が見えるのでそこを登って行くと崇信寺があります。その手前に城跡の表示があるので進んで行くと飯田城跡が有ります。駐車場らしきスペースも有ります。

2017年05月08日 いし♪
飯田城

<駐車場>
森町飯田郵便局の一本南の道を東に入ると駐車場らしき空き地があります。空き地に『飯田城』と書かれていて矢印のようなものがあります。
近辺に誰もいなかったのでそこが駐車場なのか確認できなかったのですが、そこに車をとめさせててもらいました。

<大手口までの道>
どなたかの畑ではないかと思われる場所(昔は水堀りだったらしい)を横切り、獣道のような道を上へ登ると目の前に『私有地につき立入禁止』の文字が。
策で仕切られているので、仕切られた先は入らず一本道を進むと、坂虎口の案内がありホッとします。

<城内>
整備はされているが、本丸など草が敷き詰められている状態で踏むとふかふかします。
私が行ったのは5/5のため、ヘビが出て来るのではないかと不安でしたが、ヘビなど注意する看板はありませんでした。

二ノ曲輪の横辺りに道路があったので、そちら側から車で来る事が出来るのかもしれませんが、
そちら側は行っていないので駐車場があるかは分かりません。

曲輪や土塁など綺麗に残っています。

<トイレ>
見当たりませんでした。

飯田城の周辺スポット情報

 大手口(遺構・復元物)

 北土塁(遺構・復元物)

 案内板(碑・説明板)

 遠州飯田城想定図(碑・説明板)

 飯田城跡説明版(碑・説明板)

 真田城(周辺城郭)

 崇信寺(御城印)

 駐車場(駐車場)

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