掛川古城

掛川古城([掛川城  周辺城郭])

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掛川古城の口コミ情報

2025年03月11日 ʀᴇᴅ副将軍


大規模な空堀が残る掛川城の前身の城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。1473年頃に今川氏重臣の朝比奈泰熙により築かれたと云われます。
駿河守護職である今川義忠が東遠江侵攻の拠点として築城を命じたものとされます。
朝比奈泰熙・朝比奈泰能・朝比奈泰朝と3代続きましたが、二代朝比奈泰能は1513年に新たに掛川城を築いて居城を移し、その後の掛川古城は出城として機能しました。
今川氏が衰退すると徳川家康の支配となり、掛川城は武田氏に対する最前線となり、掛川古城も改修を受けたとされます。
江戸時代になると重要性は薄らぎ、1656年に掛川城主の北条氏重は掛川古城跡に徳川家光を祀った龍華院大猷院霊屋を造営しています。

見所
掛川城の北東にある標高54mの子角山に築かれています。
主郭には天王山龍華院が建っており東に土塁と大空堀が残ります。その東側に二郭、三郭と続き、南麓の掛川市立第一小学校は居館跡とされます。

2020年02月14日 恭任非参議侍従


長松山龍華院。天台宗。本尊は大猷院殿(徳川家光)霊牌。齢50を越えて、嗣子の無かった当時の掛川藩主、北条氏重により建立。

説明文に[家の存続を願って]と書かれているが、子宝に恵まれるように、など単純な事ではなく、養子縁組を幕閣に認めて貰いたいが為、三代将軍を祭って、媚びを売った、というのが本質のようである。

しかし、結局養子は認められず、掛川北条家は断絶してしまう。ちなみに北条氏重の娘(5人いた娘の嫁ぎ先からも養子が貰えない!)を母として、後の南町奉行大岡忠相が生まれるのだが、それは別の話。

2020年02月14日 恭任非参議侍従
マップのポイントが右側にずれていますが、「大猷院霊屋」の場所が掛川古城の本郭になります。今川家重臣、朝比奈泰熈により、初めはこちらに築城されたが、のち現在の掛川城の場所でさらに大規模な築城がされた。

この時、古城に移転した、「牛頭天王社」(現在の龍尾神社)にちなみ、天王山、と呼ばれるようである。徳川家康の掛川城包囲の際、家康本陣とされた。龍尾神社もさらに北に移転し、明暦2年に、この地に「龍華院」が建立される。

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