門・礎石
門・礎石([諏訪原城 遺構・復元物])
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門・礎石の口コミ情報
2023年04月12日 長森原
二の曲輪東馬出には2つの門礎石の遺構が残されており、ブルーシートで保護されたその礎石を見る事ができます。
2018年の島田市教育委員会による「史跡諏訪原城跡 発掘調査報告書」には、『明らかに門礎石と思われるが、北側の対になる礎石は亡失している。幅から考え、北側に存在する堀の崩落によって失われたか、堀際にあったため、後世の耕作、あるいは植林時に破棄されたことも考えられる。2石のみではあるが、共に現位置を保っているため、門礎石と判断した。』と記されています。
ここに門が建っていたとすると、門を突破して二の曲輪東馬出の内部に入ると東は急崖の行き止まりとなっており、もし北に有る二の曲輪東内馬出へ進みたければ、人1人通るのがやっとの極細土橋を渡らなければなりません。
そしてその土橋は、高所にある東内馬出から狙い放題のキル・ゾーンです。
発掘調査報告書によると、この土橋からは鉄砲玉が10個出土しており、諏訪原城南側の小曲輪群で合わせて計53発の鉄砲玉が発掘された事から、このエリアでなんらかの攻城戦が行われた可能性が考えられます。
なお、「史跡諏訪原城跡-平成21年度~平成27年度発掘調査報告書-」はネットから読めますが、従来、「武田系」城郭の典型とされてきた諏訪原城が、実は二の曲輪から西側のほとんどが徳川氏が改修したものであることが発掘調査によって明らかとなっており興味深い資料です。
「杉山城問題」もそうでしたが、過去の城郭研究が如何に思い込みや決め付けに彩られたものであったかを知り、また勉強になりました。
史跡諏訪原城跡-平成21年度~平成27年度発掘調査報告書-」2018島田市教育委員会
https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/suwaharajyotyousakeeka.html
写真
①二の曲輪東馬出内に残る2つの門礎石。奥に見えるのは東内馬出へ続く極細土橋
②礎石はブルーシートで保護されている
③細くて傾斜のある土橋(危険なため進入禁止)
④東内馬出から見下ろす土橋