岩舟地蔵尊
岩舟地蔵尊([檜原城 寺社・史跡])
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岩舟地蔵尊の口コミ情報
2024年02月16日 いれぶん[⭕️雁雁]
岩舟地蔵尊
"いつの頃か檜原村へ郷送りされて来た"と伝えられている木造丹塗りの半跏像で、吉野家(檜原村四七二番地、当主吉野連一氏家)によって代々手厚く管理供養され、なお広く村民からも尊信されてきた地蔵尊である。
この地蔵尊は、檜原城最後の城主であった平山氏重の妹姫(鶴寿)が信仰していた念持物で、現青梅市の藤橋にあった藤橋城の城主平山光義へ嫁入りの時に持参し、その城下にあったさる寺院へ寄進しておいた。ところが懐妊している奥方の鶴寿は、平山光義が後北条氏に攻略される前に檜原城へ送り返された。永禄六年(一五六三年)後北条氏に敗れた光義は、小田原城に拉致されてしまう。それでも後北条方に敵対しなかった檜原城主と、ひいては鶴寿に対して藤橋の城下民は憎しみの余り、その念持仏を実家である檜原へ郷送りした。という説がある。しかし、この郷送りの措置は、後北条氏の監視をはばかってのことで、鶴寿夫人を慰める最高の気配りではなかっただろうか。
ちなみに、この説に登場する平山光義は暫くして釈放され、下総(現千葉県)の多古へ渡って土着した。これを知った鶴寿は直ちに後を追って行き、翌永禄七年に第一子の光高をもうけたという。その後この平山家は、千葉県内の香取郡干潟町鎬木へ移っているが、子孫は今に繁栄しているという。
昭和六十二年九月一日
檜原村教育委員会
(案内板より全文)
平山城址公園駅前に平山季重遺跡之碑がありますが、「二十五世孫 下総国香取郡鏑木村 平山信一郎日奉正義 建石」と裏面に記されています。