日向和田要害山城

日向和田要害山城([辛垣城  周辺城郭])

辛垣城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「日向和田要害山城」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

日向和田要害山城の口コミ情報

2025年06月01日 龍馬備中守【】


東京都青梅市の日向和田にある【日向和田要害山城】♪武蔵国の西側である青梅市、多摩川上流域に立地し、甲斐国との国境にあたります♪眼下には青梅街道が走り、南側には多摩川が西から東へ蛇行しながら流れます♪蛇行する多摩川沿いの、南側に突き出す山間部、標高288m付近に、日向和田要害山城は立地します♪日向和田集落は、長い年月をかけて多摩川が侵食した谷の、北側に面した台地にあり、その北側の山間が城郭です♪この日向和田という集落の地名由来は、陽当たりがよい事からきています♪一方、日向和田とは多摩川を挟み対岸にある集落は、かつて日影和田と呼ばれていました。
現在は、縁起が悪いという事で、和田と呼ばれています。余談ですが、日影和田は江戸時代には梅の里として知られており、江戸にも出荷されていました♪

さて♪日向和田要害山城の、築城年代や築城主などは不明です。2023年に発見された新城であります。なお、三田氏に縁のある、矢倉台(物見)が真北の山間部にある事や、1561年頃に三田弾正忠綱秀が築城したとされる楯の城などが地内にあり、日向和田要害山城もまた、三田氏関連の城郭であり、北側に矢倉台がある事を考えると、街道封鎖の為の城郭かと思われます♪または、東側にある楯の城の詰城としての考え方も出来るかな〜??何れにせよ、日向和田要害山城は、規模感の大きな二重堀切を完備させ、東側からの侵入を想定した造りであります♪北側は土取りの為に破壊されており、形状は分かりませんが、矢倉台との連携があったのでは無いか?という事は想像出来ます♪
また、三田氏が滅亡した後は、北条氏の領域となっており、北条氏に属した城郭として機能した可能性は多いに考えられます。特に甲斐国との境目に当たる為、武田氏へ向けた防御ラインとも考えられます。

15世紀後半から16世紀後半の武蔵国の戦乱は、多摩地方にもその影響を及ぼしています。(享徳の乱、長尾景春の乱、長享の乱、北条氏と両上杉氏・上杉謙信との抗争など)三田氏の抑えた杣保エリアもまた、上杉方に付いた三田氏VS後北条氏の抗争(辛垣の戦い)と、三田氏の滅亡という形で幕を閉じています。

地内には曹洞宗明白院があるのですが、後に三田氏の家臣である野口秀房が当地で帰農し、曹洞宗明白院を開基。三田家の位牌を納めたと伝わります。

また、時間が無くて行けてないのですが、矢倉台(物見)は、三田氏の本城である辛垣城から南東約3キロメートルに位置し、戦略上重要な場所であったと伝わります。『武蔵名勝図会』には『柵跡、ここには二俣尾の城より峰続き、三田氏居城のころ、この山に砦を構えて遠見の地なりしゆえ、この地をまた櫓台という』と書かれています。(現地案内板より)

杣保(現青梅市)を支配した三田氏♪勝沼城や矢倉台、楯の城、辛垣城や枡形山城など、遺跡が多く残ります。日向和田要害山城もまた、三田氏の城郭だったのでしょう(妄想)。三田氏関連遺跡巡りは、もう少し続きます♪

2025年03月06日 ᴿᴱᴰ 副将軍


都内屈指の二重堀切が見事な三田氏の拠点

オススメ度 ★★★★★

築城年代や築城主等の城史は不詳。2023年に発見された新城です。
伝承や記録は残っていませんが、中世は三田氏が支配した地域であり、三田氏が北条氏に備えて辛垣城を守るため築いた拠点と考えられます。
三田氏滅亡後は北条氏が利用した可能性もあります。

見所
都内屈指の大規模な二重堀切が見所です。
丘陵頂部に主郭を配し、東の麓に向けて郭が連なります。東の尾根筋を断ち切る二条の堀切は都内とは思えない深さと鋭さがあります。
石灰岩採掘のため北側は消失しています。

2025年01月27日 mootze


JR宮ノ平駅より徒歩で西向かい、福徳神社の入口から登城しました、途中民家なので注意して下さい少しあがると出丸のような所があります、その先2か所の堀切のようなものが、ありますが堀切の大きさからみると、三田氏の掘ったものでなく、北条氏もしくは近代の試掘のように思われます、そのさきには大きな曲輪のような平たんな場所が、ありますが、共同アンテナ跡や、祠をまつる土塁を盛り上げた跡がありました。尚この砦は北側の大部分は、消滅していますが、辛垣城の支城として街道筋の監視や物見櫓と連携して守りの役目を担う砦だったと思われます

2024年03月02日 ーーーーーーー


最近発見された日向和田要害山城。遺構としては、2条の堀切と曲輪と竪堀が見つかっております。城跡の近くにはかつては主要街道が通っていたらしいです。

築城者などは不明ですが、近くには武蔵三田氏ゆかり矢倉台、館の城、辛垣城や後北条氏ゆかりの枡形山城などあります。

北側は石灰採掘で失われていますが、堀切と堀切の双方を技巧的に活かす作りとなっております。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore