平の渡し
平の渡し([滝山城 寺社・史跡])
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平の渡しの口コミ情報
2021年06月23日 長森原
滝山城東方2kmの地点にある平の渡し。
この渡しは古来、武蔵・河越と相模国・当麻を結んでいた「古・川越道」が多摩川を渡る渡河点でした。
後北条氏が台頭した中世においては、この川越道は小田原→当麻→御殿峠(=杉山峠)→平の渡し→村山→川越→北武蔵という後北条氏の北関東への進出ルートとして使われ、平の渡しと平の渡しを扼する滝山城は軍事的要衝地となりました。
なぜなら川越道は後北条氏の北関東進出の為の道になると同時に、逆に北関東から平の渡し経由で後北条氏の本城・小田原城へダイレクトに攻め込めるルートとなった為です。
永禄12年(1569)の武田信玄による小田原攻めでは、信玄本隊は碓氷峠から関東に侵入し鉢形城→拝島→平の渡し→御殿峠(杉山峠)→当麻→小田原へと侵攻しました。
2万もの大軍を小田原に遠征させる為に、北から鎌倉街道+川越道南下のルートを選択し、途上の平の渡しを守る滝山城は別働隊を城南面に回して封殺・無効化、易々と多摩川を渡河して小田原に向かった武田信玄はやはり無類の戦上手でした。
最後の写真は、武田信玄が布陣した拝島の大日堂の森から多摩川対岸の加住丘陵を望んだものです。