人見屋敷
人見屋敷([高安寺城 周辺城郭])
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人見屋敷の口コミ情報
2025年03月27日 マグロ常陸介祐平
多磨霊園の西側にある浅間山公園の人見四郎(光行)の墓跡付近(写真8枚目,府中市教育委員会により平成2年に建てられた石碑)が、人見屋敷と伝わるようです。人見氏は、現在の埼玉県深谷市付近の人見郷が本拠地の武士ですが、八王子の子安神社は人見光行が再建したと伝わるようですので、無関係ではないのかもしれません。この地は元の地名を人見村といい、村名は猪俣党の人見氏が居住したとの伝承が由来とされています。新編武蔵風土記稿には、村の西に上屋敷、村の東に下屋敷と呼ばれているところがあるが、昔誰の館跡だったのかわからないとしており、また、上屋敷の近くに塚があり、その他にも4つの塚があるが、何の塚だかわからないとしています。人見氏に関しての居館や墓に関しての記述は何故かありません。
この地は、観応3年(1352年)に足利尊氏と新田義興・義宗兄弟が戦った人見原合戦(武蔵野合戦)の戦場でもあり(写真3,7枚目,Googleマップの戦場の登録地点付近)、東京都の旧跡に指定されています。
浅間山公園には、風土記稿でいうところの堂山(人見山・人見塚)、中山、前山の3つの丘で構成されています。屋敷跡とされる前山付近には(写真6枚目)、城郭的な構造は見られませんが、浅間神社が鎮座する堂山の周りには(写真1枚目)、箱堀形式の竪堀状の幅のある溝がいく筋も見られます(写真2,5枚目)。合戦の為の陣城ということではないと思いますが、用途不明の構造物です。