府中御殿(武蔵国司館)
府中御殿(武蔵国司館)([高安寺城 周辺城郭])
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府中御殿(武蔵国司館)の口コミ情報
2024年06月03日 国府参議城介
徳川家康が関東移封直後に築いた最初期の御殿
【歴史】
天正18年(1590)に、徳川家康が関東に移封直後に造営した御殿。
徳川家康が奥州仕置きに向かった豊臣秀吉を接待するために造営したと云われていますが、近年では秀吉本人が造営したという説もあります。
江戸幕府が開かれると、家康が鷹狩をするために滞在するための施設となり、秀忠、家光と三代にわたり利用されましたが、正保3年(1646)の府中大火で焼失し、再建されることはなかった。また、元和3年(1617)には、家康の柩が久能山から日光へ遷された際には、3月21日から翌日にかけて逗留して、法要が行われた。
なお、この地は7世紀後半から8世紀前半(飛鳥時代から奈良時代頃)に造営された武蔵国司館がありました。
【遺構】
府中御殿について遺構は、大型石組井戸のみが残っている。しかし、発掘調査によると、井戸の中からは三葉葵紋鬼瓦や焼土が出土し、井戸以外にも、堀立柱建物跡、柵跡、厩(推定)が発見されている。
武蔵国司館跡としては、主殿、脇殿、付属建物の跡(現在は、柱跡が復元されている)や、大型土坑が発見されている。
【感想】
関東近郊で、江戸幕府に造営した御殿・御茶屋の遺構を確認することができる数少ない御殿跡です。(ここ以外だと、浜御殿(港区)、御茶屋御殿(千葉市)の二か所のみ。石戸御茶屋(北本市)は近年それらしき遺構が発見されたようです)
井戸しか見ることはできませんが、その井戸もかなり大型で立派な石組井戸で、しかも家康公が使ったかもしれないと一見の価値はあるかもしれません。
また、武蔵国司館としての価値もありますので、一粒で二度おいしい史跡です。国府自体は、大国魂神社あたりにあり、ここと同じように一部柱跡が復元されています。
【アクセス】
府中本町駅から徒歩数十秒。
利用時間:午前9時~午後5時
【写真】
①入口と武蔵国府跡の石碑
②説明板
③大型石組井戸
④国司館の主殿
⑤武蔵国府の国司館(復元模型)