磯部城(いそべじょう)

磯部城の基本情報

通称・別名

磯部館

所在地

神奈川県相模原市磯部425

旧国名

相模国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

不明

築城年

文明9年(1477)頃

主な改修者

主な城主

不明

廃城年

遺構

土塁(上磯部の土塁)?

指定文化財

再建造物

説明板(上磯部の土塁)

周辺の城

座間城(神奈川県座間市)[2.9km]
荻野山中陣屋(神奈川県厚木市)[5.2km]
小沢城(神奈川県愛甲郡)[5.7km]
海老名城(神奈川県海老名市)[6.0km]
淵野辺城(神奈川県相模原市)[7.7km]
厚木館(神奈川県厚木市)[7.9km]
深見城(神奈川県大和市)[8.1km]
早川城(神奈川県綾瀬市)[8.5km]
田代城(神奈川県愛甲郡)[8.8km]
成瀬城(東京都町田市)[9.2km]

磯部城の口コミ情報

2021年06月25日 長森原
当麻の渡し[磯部城  寺社・史跡]



当麻の渡し及び相模川左岸にあった当麻宿は、後北条氏の北武蔵進出の足掛かりとなった交通の要衝地でした。
大永4年(1524)には、北条氏綱が当麻宿に次のような伝馬に関する制札を出しています。

「玉縄小田原よりいしと (石戸) と、もろ(毛呂)へわうふくのもの
とらの印判をもたさる者ニ、てん馬おしたていたすへからす、もしおさえてとるものあらは、きつとめしつれ、おたはら(小田原) へ成共玉なわ(縄) へ成共、こすへき者也、仍如件 大永4年4月10日」

(超訳・虎の印判状を持たずして玉縄と小田原から当麻宿を経由して石戸と毛呂に往復しようとする者には伝馬を使わせるな、従わない者は必ず小田原城か玉縄城に突き出せ)

大永4年といえば、その年の1月に北条氏綱が扇ケ谷上杉朝興から江戸城を奪取し武蔵の諸将に衝撃を与えた年でしたが、上記の制札からは同年の4月には早くも当麻経由で毛呂(埼玉県毛呂山町)・石戸(埼玉県北本市)まで勢力を伸ばし、街道の伝馬管理に乗り出す後北条氏の姿が読み取れます。

しかし、当麻から石戸ってどういう道筋だったんでしょうか。この時点では川越周辺はまだ扇ケ谷上杉の支配下なので、当麻→平の渡し→川越→石戸へ直通の川越道はまだ使えなかった筈。
そして毛呂への道も、まだ山ノ内上杉氏家臣だった大石氏・三田氏の領地は通れなかった筈です。

この時点で考えられるのは、当麻→府中経由で北武蔵に向かうルートです。1530年にはそのルート上の小沢城で、上杉vs後北条氏の攻防戦(氏康の初陣戦)が行われています。

写真は磯部城から北1kmの地点にある“3段の滝展望台”から見下ろす当麻の渡し。
写真右手に当麻宿が在りました。

2021年05月29日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
上依知本間屋敷跡[磯部城  その他]



文永8年9月12日(1271)鎌倉龍ノ口で起きた法難の後、日蓮聖人は佐渡に流罪されることになりました。翌日、相模国愛甲郡依智(現在の神奈川県厚木市金田)にある佐渡の守護代である本間重連の屋敷に送られることになります。その屋敷がここ妙純寺です、総門を入った両側の土手を本間土手といい、その横の畑を本間の馬場屋敷跡を巡る小川を本間の用水と呼んでおり、本間氏ゆかりの地であることがわかります。(妙純寺さんのHPより)
残念ながら遺構は見当たりませんが、境内の近くの猿ヶ島の渡し近くを戦国時代に小田原攻めに向かう武田信玄の甲州軍団が相模川対岸の磯部城辺りから渡河して来た事を想像すると、この本間屋敷も関わりがあったのではと思いながら境内の周りの風景を眺めました!
今回、妙純寺さんの駐車場をお借りしました!

2021年05月29日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
猿ヶ島の渡し・碑[磯部城  碑・説明板]



先達のスポットにクチコミと写真を投稿させて頂きました!
猿ヶ島の渡しの石碑が有る近くに流れる相模川の対岸には磯部の渡しが有り先達がクチコミと写真を投稿しています、先達のクチコミを参考にさせて頂き戦国時代には武田信玄の小田原侵攻の軍団渡河点として使われた場所だったのかなと思いつつ対岸を眺めると磯部の渡しの向こうには磯部城だったとされる能徳寺の本堂の屋根が見えました、戦国時代には渡しは無かった事でしょうが、その後江戸時代から昭和初期までこの地に渡船場が有り、猿ヶ島村民は相模川中洲の耕作地に通うため利用し、また対岸磯部村とを結ぶ大山道の渡しでもあり、大山参りの旅人に利用され昭和初期まで、相模川を往来する物資運搬の帆かけ船の発着地でもあったと石碑に記されていました!

2021年05月29日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
当麻山・無量光寺[磯部城  寺社・史跡]



先達の方のスポットにクチコミと写真を投稿させて頂きました!後北条氏の外護を受け、天正19年(1591)には徳川家康より30石の寺領を寄付され寺門は大いに繁栄した、当麻山.無量光寺に行って来ました、静かな境内を散策しながら思いは戦国時代へ、そんなに雰囲気のお寺でした!
(当麻山.無量光寺HPより)

2021年05月24日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
当麻の渡し・碑[磯部城  碑・説明板]



先達の方のスポットにクチコミと写真を投稿させて頂きました!
当麻は古くからの交通の要所で、対岸の依知と結ぶ渡し船があったようです、特に大山参りが盛んになって、当麻の渡しを利用する人が増え、当麻は宿場としてもにぎわっていたとの事でしたが、今はその面影は有りません!
当麻の渡しの碑から少し歩くと相模川がありそこからの山々の眺めは素敵かなと思います!

2021年04月24日 龍馬備中守【】
磯部城



神奈川県の相模原市にある磯部城☆神奈川県あるあるで遺構の残り方は薄めです☆

鎌倉時代の初めに市域に勢力を持っていた横山党は建保元年の和田合戦で和田義盛に味方していて北条氏と戦い勢力を失いました☆
その後の歴史はイマイチ分かっていませんが
南北朝時代には足利直義の家臣・淵辺義博が淵野辺を領有していたと伝わります☆
その後「長尾景春の乱」では長尾景春方の城の一つと伝えられていて長尾景春方の金子掃部助の拠点の小沢城の支城として機能した様です☆しかしながら関東管領方の太田道灌の軍勢に攻められると豊島泰経の守る小机城と共に落城しちゃいました。。。

残る遺構としてはざっくり歩いて見ましたが土塁となります☆西側に相模川を天然の堀としています☆城域内だと思われる磯平山能徳寺の本山は福井県の永平寺となります☆因みにこの磯平山能徳寺の創建は室町時代の末期というから1500年頃と推定と思われます☆古い歴史を持ちます☆


2021年03月25日 長森原
磯部の渡し・碑[磯部城  碑・説明板]



磯部城中心と目される能徳寺から西に150m、相模川河畔・頭首工公園にある磯部の渡し跡。この磯部の渡しは、武蔵国府中と相模国厚木を結んでいた古道が相模川を渡河する地点であり、磯部は古くからの交通の要衝でした。

長尾景春の乱の際、景春方が磯部の地に磯部城を築いたのは、上流対岸の小沢城と連携して相模川渡河点である磯部の渡しと当麻の渡しを押さえ、川越城と厚木の七沢城の連絡・交通を遮断する思惑だったと思われます。
当時、川越城は扇ヶ谷当主・上杉定正の居城であり、七沢城は定正の弟、上杉朝昌が守備していました。

太田道灌方に攻められ磯部城と小沢城は落城しましたが、磯部の渡し・当麻の渡しはその後も相模川の渡河点として重要地点であり続け、戦国時代には武田信玄の小田原侵攻の軍団渡河点として使われ、江戸時代には庶民の大山詣りの為の渡し場となりました。

2021年01月28日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
当麻城[磯部城  周辺城郭]



当麻城(当麻要害)の歴史面は不明であるが、一説に戦国時代には、武田勢の南進に備えて、津久井城と南西方向にあたる高麗山城との中間に位置することから烽火台が築かれたとの伝承と、後北条氏の家臣当麻三人衆のひとり当麻豊後守の邸跡で、小田原の役の時にはこの城に立て籠もったと伝えられ、城址は絶壁に位置し現在本郭と思われる場所は浅間神社になっていて、郭と思われる削平地が有りますが、遺構とはわかりません!
(相模原の史跡、新編相模国風土記稿等より)

2021年01月14日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
八景の棚(さいかちの木)[磯部城  その他]



八景(はけ)の棚は、相模川八景の一つの景勝である、相模川を下に、遠くは霊峰大山が望める、河岸段丘は古墳時代の遺物遺骨が発掘された横穴式古墳があった!
また、永禄七年(1564年)武田信玄が小田原進攻の戦勝を祝い、次の戦も再び勝てるようにとの願いが込められ、植えたものと伝わるさいかちの木が残っています(さいかちの木は八景の棚の無料駐車場から全面の道路を八王子方向に100m位歩いた左側に有ります)、春は桜の花の間から遠くを眺望でき絶景であり、近年では、夜景スポットとしても人気が出ています!
(相模原市観光マップ等より)

2020年12月18日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
3段の滝[磯部城  その他]

上磯部の土塁から直ぐ近くに有ります、3段の滝展望広場が有り、ここからの眺めは素敵です😁

2020年12月18日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
磯部頭首工公園 駐車場[磯部城  駐車場]

磯部城の推定地とされる能徳寺の近くに有り、能徳寺まで300m位徒歩5分位です、車で来られた時にお勧めの駐車場(無料)です、トイレも有りますし、ここからの相模川、丹沢山系の山々の眺めが良いです😁
但し駐車台数8台なので確実に駐車出来るかは、保証できません!
また、上磯部の土塁まで相模川沿いを散策しながら、ここからの歩いて行くのも良いかと思います、上磯部の土塁まで750m位徒歩10分位です!

2020年12月18日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
上磯部の土塁[磯部城  遺構・復元物]



磯部城の推定地とされる、能徳寺から相模川沿いを散策しながら、約1㌔位徒歩15分位の相模川上流に有るのが上磯部の土塁で、土塁の説明板が有り磯部城の付属施設の一部と伝わっています、現状はコンクリートの擁壁の上に土塁かなと思われる感じです、土塁と思われる奥を覗くと畑が有り、私有地らしいので立ち入りは自粛しました!
(上磯部の土塁の下の相模川河川敷に駐車出来ます、ちょっと分かりにくい所なので、リア攻めマップを航空写真にしてルート確認してみてください)
余談ですが、上磯部の土塁の近くに磯部民族資料館が有り、また磯部城の推定地とされる能徳寺周辺には、有形文化財の旧中村家住宅跡と長屋門、相模原市登録史跡の内藤清成陣屋跡(陣屋小路)、国指定遺跡の勝坂遺跡公園、3段の滝(上磯部の土塁の近く)(滝と言う程では有りませんが😅)、相模の大凧センターが有りますので、磯部城リア攻めと合わせて田園風景と丹沢山系の山々を見ながら、散策してみてください!
(駐車場は、勝坂遺跡公園、相模の大凧センターには有ります)


2014年08月01日 にゃにゃーにょ豊後守
磯部城

磯部城 景春勢は 総崩れ
 (さがみはら郷土歴史かるた「い」より)

磯部城は相模川東岸にある『能徳寺』又は『御嶽神社』付近にあったと云われておるのじゃ。
遺構は…特に残ってはおらぬのう。
何せ江戸幕府が編纂した新編相模国風土記稿にも「城跡はわからぬ」などと書かれておるらしいぞい。

ただ能徳寺から700m北に離れておるが『上磯部の土塁』が磯部城の付属施設の一部とも云われておるのじゃ。
土塁の説明板が川沿いにあるぞい。

磯部城は長尾景春の乱の際、景春方の小沢城(愛川町)の支城として築かれ『太田道灌』に攻められ落城した(1478年頃)と云う事以外、城の規模や城主なども不明なのじゃ。
また城が未完成のうちに攻められたとも云われておるぞい。

★『長尾景春の乱(1476〜1480年)』とは?
関東管領山内上杉氏の有力家臣「長尾景春」が起こした反乱じゃ。
関東の国人など多数が景春方に付いたため山内・扇谷両上杉氏が窮地に陥る…が太田道灌の大活躍により鎮圧さたのじゃ。
しかしこの活躍により道灌は主君の扇谷上杉定正から恐れられ、後の悲劇へと繋がる…。

2014年03月24日 傾奇揚げ仙兵衛
磯部城

磯部城とされる住所にある寺の裏に駐車場のある公園がありそこから相模川沿いに遊歩道があります。

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