小沢城(こさわじょう)
小沢城の基本情報
通称・別名
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所在地
- 神奈川県愛甲郡愛川町角田
旧国名
- 相模国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 金子掃部助
築城年
- 室町時代前期
主な改修者
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主な城主
- 金子掃部助
廃城年
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遺構
- 曲輪、横堀(空堀)
指定文化財
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再建造物
- 説明板
周辺の城
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田代城(神奈川県愛甲郡)[3.7km]
磯部城(神奈川県相模原市)[5.7km]
荻野山中陣屋(神奈川県厚木市)[6.2km]
津久井城(神奈川県相模原市)[6.9km]
淵野辺城(神奈川県相模原市)[8.2km]
座間城(神奈川県座間市)[8.4km]
七沢城(神奈川県厚木市)[10.4km]
海老名城(神奈川県海老名市)[10.4km]
小野路城(東京都町田市)[11.3km]
片倉城(東京都八王子市)[11.6km]
小沢城の解説文
[引用元:Wikipedia「小沢城」の項目]小沢城(こさわじょう)は神奈川県愛甲郡愛川町小沢にあった日本の城である。現在は小沢城跡を含めた周辺は民有地となっている。
【概要】
小沢城は相模川の左岸段丘崖に位置し、古沢の船渡しを抑える交通の要衝、丘のふもとを小沢川が流れる要害の地である。
【歴史】
鎌倉時代、横山党の開発領主により館が築かれた。長尾景春の乱における戦場として知られる。[続きを見る]
小沢城の口コミ情報
2015年07月01日 にゃにゃーにょ豊後守
小沢城
小沢城は二つじゃと?
愛川町小沢には城跡が対を成す位置に存在し、現在築城時代の古い方は『小沢古城』新しい方を『小沢城』と云うのじゃ。
小沢城は、相模川河岸段丘の半島状に突き出た場所に築かれておる。
県道65号線の小沢坂の途中に城の大手にあたる坂「城坂」があるのじゃ。解説板が目印じゃ。
坂を登るとU字に曲がる所の平場に石仏や石碑が並んでおり、その傍らの細い石段の先には大六天(第六天)が祀られておるぞい。
堀底道と伝わる坂は急なうえ所々蛇行しており、登り切った所にある畑が主郭跡じゃ。ここにも解説板があるのじゃ。
周辺は宅地化されており、遺構は堀切や土塁が僅かに残っておるそうじゃ。
小沢古城は相模川のすぐ横、高田橋手前の小山が城趾なのじゃ。
諏訪神社に解説板があり、隣の還浄寺が居館跡だったそうじゃ。
山が擂鉢状の地形で天然の土塁となっておったそうじゃが、採土により削られ遺構は失われておる。
★『長尾景春の乱』で景春に味方した金子掃部助が立て籠ったが、太田道灌に攻め落とされたのじゃ(1477年4月)。
しかし、それがどちらの城だったのかは不明なのじゃ。
2014年01月11日 空灯
小沢城
遺構はあるのかもしれませんが、確認できませんでした。
説明板があるのみで、どこに城があったのかもよくわかりません。
道も狭く、駐車場もありませんので、車はおすすめしません。
あまり詳しくはわかりませんが、室町時代の城跡のようです。
太田道灌に落城されたと言われているそうです。