座間城(ざまじょう)

座間城の基本情報

通称・別名

白井織部是房屋敷、白井織部是房館

所在地

神奈川県座間市入谷1

旧国名

相模国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

白井是房

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

磯部城(神奈川県相模原市)[2.9km]
海老名城(神奈川県海老名市)[3.8km]
早川城(神奈川県綾瀬市)[5.6km]
荻野山中陣屋(神奈川県厚木市)[5.7km]
厚木館(神奈川県厚木市)[5.9km]
深見城(神奈川県大和市)[6.7km]
小沢城(神奈川県愛甲郡)[8.4km]
成瀬城(東京都町田市)[9.4km]
淵野辺城(神奈川県相模原市)[9.9km]
七沢城(神奈川県厚木市)[10.3km]

座間城の口コミ情報

2025年04月13日 いれぶん武蔵守
浄土寺[座間城  寺社・史跡]



隣接している日枝神社の別当で、浄土宗神奈川教区寺院誌によると、創建(1570)は村民の市兵衛で開山は誓蓮社願誉門悦(1579.9.10寂)とされていて、いずれも北条氏照統治下の時代です。

2025年04月13日 いれぶん武蔵守
日枝大神[座間城  寺社・史跡]



日枝大神 祭神大山咋命

例祭日 七月第四日曜日
所在地四ツ谷四七九番地
当社の創建は、元亀年間(一五七〇〜一五七三)と伝えられています。
創建者は織田信長に敗れた美濃国(岐阜県)の齋藤龍興(道三の孫)の遺臣四名で、この地を開拓し祭神を四ツ谷の氏神として祀ったと伝えられています。
宝暦十三年(一七六三)に火災にあい、七十八年後の天保十二年(一八四一)に再建、棟礼に「山王大権現」と記され、手水石や諏訪社の祠の奉納年号から見ると、社域もこのころから整えられてきたようです。
明治二年(一八六六九)、「山王大権现」から「日枝神社」に改称、祭神も「大山咋命」に変わり、同六年には村社に列され、同十八年八月に再遷宮の記録があります。
昭和九年(一九三四)五月、社殿再建と共に神楽殿も完成し、外郭も整ったところで、当時の東京府麹町の日枝神社より新たに分霊し、社号も同年十月に「日枝大神」に改め現在にいたっています。
(案内看板から縁起抜粋)

2025年04月13日 いれぶん武蔵守
神井戸湧水[座間城  その他]



北条氏照の初任地である座間郷は、武田信玄がとても気に入り『新鎌倉』として夢を語ったと伝えられていますが、星谷城に拠点を定める構想でした。北条氏照の下、座間七騎と呼ばれた家臣集団は、いずれも段崖下の豊富な水量を誇る湧水によって灌漑された水田を持ち、豊かな領地経営だったと推定されています。
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神井戸
注意!
この湧水は水道水のように検査や処理がおこなわれていませんので飲まないで下さい。
所在地座間市入谷二丁目一七三一番地
湧水量 日量 約五五〇立方メートル
水温十六度(昭和五十二年市水道部調)

この湧水は昔から「神井戸」と呼ばれ、昔より減ったとはいえ水量が豊富で水質も良い。
神井戸は古くからこの附近、皆原や根下の人々の飲料水や、野菜を洗ったり、洗濯をしたりなど大切な生活水として使われたほか、水田の灌溉用水としても重要な水源でした。
 また、鈴鹿明神の祭礼の折、御輿をかついだ若者が着用した白丁を、この清冽な泉水で洗い浄めて神社に返納するしきたりが江戸時代から現今まで続いています。
 いつのころからか、この一帯の小字名を、神井戸・神井戸根付と呼んでいますが、この附近一帯には横穴古墳群が発見されたり、前に根下道、後崖上には鎌倉街道がそれぞれ南北に通っていることから、神井戸は往古から人々の暮しに欠くことのできない泉でした。私たちもこの清水を後世へ守り伝えなければなりません。
昭和五十八年三月
座間市教育委員会
(案内看板全文)

2023年06月25日 みよ釆女正
座間城

座間城跡は、小さな小さな石碑が交差点にありました。そこから歩いて直ぐに、座間谷戸山公園があります。公式に記録を検索した訳ではありませんが、公園内には、城感醸し出している所か沢山あり興奮しました。伝説の丘から市内を眺望する景色や、貯水タンクの立っている所は、もう、城感満載。公園のとなりは、市役所図書館と、ここも城内だったのではと、思いを馳せてました。リア攻めして良かったです。

2022年11月13日 みっちゃん
座間城



小田急線座間駅から徒歩12分くらいです。最後、坂を下るので戻る時は上がります😅お墓があるだけです。ちょっと残念。

2021年04月24日 龍馬備中守【】
座間城



神奈川県の座間市にある座間城☆明確な遺構等は残ってません☆またの名を白井織部是房館と呼びます☆西側の直線500m位の場所には北条氏照が幾度も本陣を置いた場所、星谷城に星谷寺も残ります☆

室町時代に地頭だった白井織部是房なる人物の居館があった地とされています☆
星谷寺の目の前の道の坂を下った所に「星の谷観音坂下」という交差点があります☆その交差点脇(南側に位置します)に小さな墓が残ってます☆墓は風化してしまい、字を確認する事も難しいのですが、白井織部是房の館跡であったことを示す小さな石碑が立っています☆周辺が城域です☆
戦国期この辺りには【座間七騎】という武士団が居ました♪座間七騎は武将・北条氏照の家臣で近辺にある龍源院の中興に関わった若林大炊助氏や心岩寺を建立したとされる此処に生きた白井織部氏が名を連ねました☆この座間城や白井氏との関連性などは分かってはいませんが同じ領内という中で何らかの関係性があったのかな〜?と思われます☆

2021年04月24日 龍馬備中守【】
星谷陣場[座間城  周辺城郭]



神奈川県の座間市にある星谷陣場♪別名を北条氏照陣屋、星谷城と呼びます☆
星谷寺と背後の谷戸山周辺に城砦を築いていました☆
名前の通りに北条氏照が出陣する際に幾度もここで陣を張りました☆戦国時代の星谷観音堂は通称「ホンドウヤマ」に位置していて頂上に平坦部、東北方向に細い尾根を持っていました☆現在は城郭として郭、切通し状の?地形が残ります☆
八王子城・滝山城の城主として名を馳せた北条氏照☆ここに陣を張っていたと考えるだけで胸熱ですね☆


2021年03月28日 長森原
座間城



座間城(白井織部是房屋敷)は鎌倉街道が通っている段丘崖の真下の低地に位置しており、最初に見た時は何故このような要害性の低い場所に?と疑問を感じました。

しかし周辺を歩いてみて、古来座間郷の中心地は段丘崖から湧き出る豊富な湧水を利用できる低地の鈴鹿・長宿の方にあったと知り、地頭であった白井氏が村落や水田の管理・支配を行う生活居館を構えるには妥当な選地である事が理解できました。

2021年03月28日 長森原
座間城



座間市は奈良時代の古代東海道の夷参駅があった所と云われ、古来から交通の要衝として様々な古道が通っていました。
その一つに藤沢から相模川東岸の河岸段丘の縁を北上し、座間を通過して府中と八王子に向かっていた鎌倉街道が有りました。

座間は八王子と小田原のちょうど中間地点に当たる為、北条氏照公は度々この地に陣屋(星谷陣屋)を置いています。その際は北条軍団がこの鎌倉街道を駆け抜け陣屋に集結した事と思われます。

星谷陣屋はこの鎌倉街道を見下ろす座間丘陵上にあり、相模川対岸の厚木も遠望可能な地点です。

2021年02月16日 でんろく治部卿パルキー
座間城



急傾斜地危険区域の案内版の下に、石碑らしきものがあるが、普通であれば見逃します。裏をよくよく見ると座間七村の地頭と言われている『開基白井織部是房氏之舊跡』と彫ってあり、これが座間城跡地となっている。逆にサプライズを受けたようで嬉しい気持ちとなった。

2021年01月16日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
星谷陣場[座間城  周辺城郭]

天正年間(1573-1592)に、八王子城主・北条陸奥守氏照が創建した山陣場は星谷観音堂がある場所に、北条陸奥守氏照が長年に亘って幾度も陣屋として利用したものであり、星谷観音堂はもとは寺の北東にある本堂山山頂(現在の座間谷戸山公園・伝説の丘)に在りました!
(新編相模国風土記稿、ウィキペディアより)

2021年01月16日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
星谷寺[座間城  寺社・史跡]

小田原北条氏分国の頃、陸奥守氏照出陣の時境内を本陣とした寺でこの地は武田信玄が天下掌握の後、関東を中心とした国家構想を考え、相模國ほしのや(座間市入谷)が日本一の名地として、ここにその国家の中心となる新鎌倉を築こうと考えていた場所に在ります!
(新編相模国風土記稿、甲陽軍鑑より)

2020年09月05日 相模守愛洲久忠
鈴鹿明神社[座間城  寺社・史跡]



弘治2(1556)北条藤菊丸により御造営の棟札が寄進。藤菊丸はこの年元服し仮名を源三から氏照に改めます。

写真① 氏照公が大壇那となった鈴鹿明神社
写真② 氏照公がたびたび陣を置いたと伝わる星谷寺。当時は谷戸山にあったとされます。
写真③ 座間市谷戸山公園。氏照公が閲兵した武者溜まりと伝わります。

2014年04月07日 にゃにゃーにょ豊後守
座間城

座間駅から徒歩10分ほどの県道51号線と42号線の交わる「星の谷観音坂下」交差点にある小さな石碑辺りが座間城と云われておるのじゃ。石碑には「開基白井織部是房氏之舊跡」と彫られておるが、風化で読みづらくなっておるのじゃ。遺構は何も残っておらぬ、開発されてしまっておるからのう…。

座間城は『白井織部是房屋敷』とも云われておる。城と云うよりも居館であったのじゃろうなぁ。

白井織部是房(しらいおりべこれふさ)と云う人物は、室町時代の座間郷の地頭職だったそうじゃ。近くにある「座間(ざけん)山 心岩寺」は、白井是房の屋敷にあった仏堂を寺にしたのが始まりらしいぞい。

あと、この心岩寺には常磐平城主だった「岩城常隆」の供養五輪塔もあるのじゃ。

座間城の周辺スポット情報

 一里塚(北・府中、南・座間)(遺構・復元物)

 わきみずの谷(遺構・復元物)

 信玄道の碑(碑・説明板)

 鎌倉街道の碑(碑・説明板)

 おしな坂の碑(府中街道)(碑・説明板)

 星谷陣場(周辺城郭)

 鈴鹿明神社(寺社・史跡)

 星谷寺(寺社・史跡)

 心岩寺(寺社・史跡)

 護王姫大明神(寺社・史跡)

 諏訪明神(寺社・史跡)

 座間神社(寺社・史跡)

 浄土寺(寺社・史跡)

 日枝大神(寺社・史跡)

 龍源院(寺社・史跡)

 座間神社御神水(寺社・史跡)

 園教寺(寺社・史跡)

 鈴鹿の泉(寺社・史跡)

 龍源水ホタル公園(寺社・史跡)

 星谷陣屋直近駐車場(駐車場)

 座間神社第二駐車場(駐車場)

 座間神社第一駐車場(駐車場)

 神井戸湧水(その他)

 根下南湧水(その他)

 番神水湧水(その他)

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