荻野山中陣屋(おぎのやまなかじんや)
荻野山中陣屋の基本情報
通称・別名
- 山中城、山中御役所
所在地
- 神奈川県厚木市下荻野
旧国名
- 相模国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 大久保教翅
築城年
- 天明3年(1783)
主な改修者
- -
主な城主
- 大久保氏
廃城年
- -
遺構
- 井戸、土塁
指定文化財
- 市史跡
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
磯部城(神奈川県相模原市)[5.2km]
七沢城(神奈川県厚木市)[5.2km]
海老名城(神奈川県海老名市)[5.3km]
座間城(神奈川県座間市)[5.7km]
厚木館(神奈川県厚木市)[5.8km]
小沢城(神奈川県愛甲郡)[6.2km]
田代城(神奈川県愛甲郡)[7.0km]
糟屋館(神奈川県伊勢原市)[8.4km]
早川城(神奈川県綾瀬市)[9.2km]
岡崎城(神奈川県伊勢原市)[11.5km]
荻野山中陣屋の解説文
[引用元:Wikipedia「荻野山中陣屋」の項目]荻野山中陣屋(おぎのやまなかじんや)は、相模国愛甲郡中荻野村(現在の神奈川県厚木市下荻野)にあった陣屋で、荻野山中藩の藩庁である。
【概要】
小田原藩第五代藩主大久保忠朝の次男教寛は、相模国内に六千石分封され、分家となった。 その後、駿河国駿東郡五千石の加増を受け、一万一千石になり諸侯に列した。この頃、陣屋は駿河国駿東郡松長村(現在の静岡県沼津市)の松長藩内に置いていた。 荻野山中藩となったのは五代教翅のときで、陣屋を移したのは天明3年(1783年)である。陣屋を移したのは、参勤交代の費用を抑える狙いもあったとみられている。
陣屋の敷地は約2万平方メートルに及んだ。北部から南部に延びる低い台地にかまえた。三方を土塁に囲まれている。敷地の中心に御殿を配し、稲荷社が鬼門の方角に配された。西側には馬場などがあった。しかし慶応3年(1867年)に薩摩藩の浪士などにより、焼き討ちにあい焼失してしまった。
1871年(明治4年)に荻野山中県が廃止された後に、陣屋跡の一部は民間に払い下げられた。残地は官地となったが、それも1932年(昭和7年)には払い下げられることになった。(その際に、史跡を記念して「山中城址」碑が建立された。)なお、碑がたっている一角は長屋跡である。
厚木市は、1970年(昭和45年)に跡地を史跡に指定。その後、発掘調査により、建物の位置等が確認された。跡地のうち3300平方メートルが「山中陣屋跡史跡公園」として整備され、1996年(平成8年)に開園となった。同公園は、地下の史跡を保護するために盛り土が行われ、地上の構造物は最小限にとどめられている。また、稲荷社や湧水が同位置に残されている。
なお、陣屋は焼き討ちにあったにもかかわらず、厚木市王子の曹洞宗福伝寺に陣屋裏門と伝わる山門が残る。ただし、1989年(平成元年)に大改修が行われており、屋根は銅板葺きである。
【アクセス】
福伝寺
小田急電鉄小田原線本厚木駅下車、厚木バスセンター・本厚木駅より神奈中バス厚95系統王子行きにて王子入口バス停下車または、厚25系統緑ヶ丘行きで緑ヶ丘バス停下車徒歩約10分。
荻野山中陣屋
本厚木駅下車、厚木バスセンター・本厚木駅より神奈中バスにて厚01-07・10-12・89・94の各系統荻野新宿バス停下車。なお、厚01-06・94の各系統であれば子合で下車する方が近い。
近隣には山中陣屋跡公園前バス停も存在するが、平日の通勤時間帯のみ運行される急行バスしか停車しない。[続きを見る]
荻野山中陣屋の口コミ情報
2020年08月30日 jurijo
荻野山中陣屋
google mapで間違った入口に案内されました。「山中城址」の信号ではなく、その少し厚木側の小路を曲がります。R412で厚木方面からしか入れません。よく整備されていました。
2014年06月21日 奥月
荻野山中陣屋
小さいながらも駐車場があります。ただし412号線からは左折でしか入れないので注意です。
2014年05月01日 にゃにゃーにょ豊後守
荻野山中陣屋
厚木市内からはちょっと遠い、国道412号線沿いにある『山中陣屋跡史跡公園』が陣屋跡なのじゃ!
田んぼの広がる南東から見ると、少し高台となっておる場所に駐車場・トイレ・遊具・屋根付きベンチなどがあるぞい。
ただ残念な事にここからは大山が見えぬのう…。
山中城址の石碑・説明板があるぞい。
土塁の下に今も湧水が出ておる場所があるぞい。
陣屋の鬼門に建てられた稲荷社が残っておるのじゃ。
その稲荷社正面にある畑の場所に御殿があったそうじゃぞ。
だだ現在周辺は、住宅・畑・バイパスとなってしまっておるのう…。
また、近くには藩主が参勤交代で通った「殿様道」と云う道があるそうじゃ。
…ところで、
厚木市にあるのに何故「厚木陣屋」と云われぬのか?
それは…別に厚木陣屋があったからなのじゃっ!
☆本厚木駅東口から500m、相模川西岸にある厚木神社の北隣にあった「下野烏山藩厚木役所」が通称厚木陣屋と云われていたそうなのじゃ。
烏山藩の相模国内の飛地領を治めるための代官所で、同じ大久保氏が藩主だったのじゃ。
陣屋跡には大きな石碑が建っておるぞい。