荻野山中陣屋(おぎのやまなかじんや)

荻野山中陣屋の基本情報

通称・別名

山中城、山中御役所

所在地

神奈川県厚木市下荻野

旧国名

相模国

分類・構造

陣屋

天守構造

なし

築城主

大久保教翅

築城年

天明3年(1783)

主な改修者

主な城主

大久保氏

廃城年

遺構

井戸、土塁

指定文化財

市史跡

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

磯部城(神奈川県相模原市)[5.2km]
七沢城(神奈川県厚木市)[5.2km]
海老名城(神奈川県海老名市)[5.3km]
座間城(神奈川県座間市)[5.7km]
厚木館(神奈川県厚木市)[5.8km]
小沢城(神奈川県愛甲郡)[6.2km]
田代城(神奈川県愛甲郡)[7.0km]
丸山城(神奈川県伊勢原市)[8.2km]
早川城(神奈川県綾瀬市)[9.2km]
岡崎城(神奈川県伊勢原市)[11.5km]

荻野山中陣屋の解説文



荻野山中陣屋(おぎのやまなかじんや)は、神奈川県厚木市下荻野(相模国愛甲郡中荻野村)にあった陣屋。荻野山中藩の藩庁である。

概要 

小田原藩第5代藩主大久保忠朝の次男教寛は、相模国内に6千石分封され、分家となった。

その後、駿河国駿東郡5千石の加増を受け、1万1千石になり諸侯に列した。この頃、陣屋は駿河国駿東郡松長村(現在の静岡県沼津市)の松長藩内に置いていた。

荻野山中藩となったのは5代教翅のときで、陣屋を移したのは天明3年(1783年)である。陣屋を移したのは、参勤交代の費用を抑える狙いもあったとみられている。

陣屋の敷地は約2万平方メートルに及んだ。北部から南部に延びる低い台地にかまえた。三方を土塁に囲まれている。敷地の中心に御殿を配し、稲荷社が鬼門の方角に配された。西側には馬場などがあったが、後述の焼き討ちで焼失してしまった。

慶応3年(1867年)秋頃から冬にかけ、関東では勤王のためと称し薩摩藩士ら中心による集団強盗が横行、愛甲地区も被害が多数出ていた 12月15日、江戸薩摩藩邸に集まった鯉渕四郎ら薩摩藩士中心の倒幕派浪士隊は、山中藩主が甲府城勤番のため留守であった山中陣屋を夜襲、焼き討ちした。その際即死3人、深手を負った2名の内当代官が3日後死去、さらに12月16日早朝、集団は厚木川入村の佐野家へ押し入り金品を強奪し、津久井方面へ向かうなど藩と領民に衝撃を与える。

1871年(明治4年)に荻野山中県が廃止された後に、陣屋跡の一部は民間に払い下げられた。残地は官地となったが、それも1932年(昭和7年)には払い下げられることになった(その際に、史跡を記念して「山中城址」碑が建立された)。なお、碑がたっている一角は長屋跡である。

厚木市は、1970年(昭和45年)に跡地を史跡に指定した。その後、発掘調査により、建物の位置などが確認された。跡地のうち3300平方メートルが「山中陣屋跡史跡公園」として整備され、1996年(平成8年)に開園となった。同公園は、地下の史跡を保護するために盛り土が行われ、地上の構造物は最小限にとどめられている。また、稲荷社や湧水が同位置に残されている。

なお、陣屋は焼き討ちにあったにもかかわらず、厚木市王子の曹洞宗福伝寺に陣屋裏門と伝わる山門が残る。ただし、1989年(平成元年)に大改修が行われており、屋根は銅板葺きである。

アクセス 

福伝寺
小田急電鉄小田原線本厚木駅下車、厚木バスセンター・本厚木駅より神奈川中央交通東バス厚95系統王子行きにて王子入口バス停下車または、厚25系統緑ヶ丘行きで緑ヶ丘バス停下車徒歩約10分。
荻野山中陣屋
本厚木駅下車、厚木バスセンター・本厚木駅より神奈川中央交通東バスにて厚01-07・10-12・89・94の各系統荻野新宿バス停下車。なお、厚01-06・12・94の各系統であれば桝割で下車する方が近い。
近隣には山中陣屋跡公園前バス停も存在するが、平日の通勤時間帯のみ運行される急行バス(厚13・101)しか停車しない。

荻野山中陣屋の口コミ情報

2024年08月15日 コロスケコロコロ
荻野山中陣屋

きれいに整備されていましたが、想像以上に雰囲気は有りました。

2024年06月02日 いれぶん[⭕️雁雁]
山中陣屋史跡公園駐車場[荻野山中陣屋  駐車場]

駐車台数6台、アスファルト舗装済み。
導入路表示が小さくわかりにくい。国道412号線を愛川から厚木に向かい、"山中城址"信号を越えて直ぐに左折した脇道沿い左側にあります。

2022年06月13日 マグロ常陸介祐平
荻野山中陣屋



Googleマップ通りに向かってしまい先人様同様、行き止まりの細道を100メートル近くバックすることになりました。国道412号を厚木方面からでないと駐車場には入れません。城址は整備されていますが、遺構はよくわかりませんでした。ホタルブクロの花が綺麗に咲いています。

2022年02月28日 左近衛少将てつ
荻野山中陣屋

国道412号沿いに山中稲荷神社と山中陣屋跡史跡公園があり、荻野山中藩陣屋跡の史跡碑があります。

2021年05月07日 みっちゃん
荻野山中陣屋



ナビ通り行ったら最後は細い道。
でも人家もあり前まで行ってバックで戻ろうととしたらその家の人らしき人が車で。
何とかすれ違えました。小さい駐車場があると口コミにあったけど探せませんでした。
その近所の人の車とさえあわなければバックも難しくありません。
碑があるだけですが。

2020年08月30日 jurijo
荻野山中陣屋

google mapで間違った入口に案内されました。「山中城址」の信号ではなく、その少し厚木側の小路を曲がります。R412で厚木方面からしか入れません。よく整備されていました。

2014年06月21日 奥月
荻野山中陣屋

小さいながらも駐車場があります。ただし412号線からは左折でしか入れないので注意です。

2014年05月01日 にゃにゃーにょ豊後守
荻野山中陣屋

厚木市内からはちょっと遠い、国道412号線沿いにある『山中陣屋跡史跡公園』が陣屋跡なのじゃ!

田んぼの広がる南東から見ると、少し高台となっておる場所に駐車場・トイレ・遊具・屋根付きベンチなどがあるぞい。 ただ残念な事にここからは大山が見えぬのう…。

山中城址の石碑・説明板があるぞい。土塁の下に今も湧水が出ておる場所があるぞい。陣屋の鬼門に建てられた稲荷社が残っておるのじゃ。その稲荷社正面にある畑の場所に御殿があったそうじゃぞ。だだ現在周辺は、住宅・畑・バイパスとなってしまっておるのう…。

また、近くには藩主が参勤交代で通った「殿様道」と云う道があるそうじゃ。

…ところで、
厚木市にあるのに何故「厚木陣屋」と云われぬのか?それは…別に厚木陣屋があったからなのじゃっ!
☆本厚木駅東口から500m、相模川西岸にある厚木神社の北隣にあった「下野烏山藩厚木役所」が通称厚木陣屋と云われていたそうなのじゃ。
烏山藩の相模国内の飛地領を治めるための代官所で、同じ大久保氏が藩主だったのじゃ。陣屋跡には大きな石碑が建っておるぞい。

荻野山中陣屋の周辺スポット情報

 山中城碑(碑・説明板)

 荻野山中陣屋史跡標柱(碑・説明板)

 殿様道・碑(碑・説明板)

 才戸の渡し・碑(碑・説明板)

 武田氏道・碑(碑・説明板)

 信玄道(碑・説明板)

 伝山中陣屋裏門(寺社・史跡)

 海老名季貞の墓(寺社・史跡)

 山中陣屋史跡公園トイレ(トイレ)

 山中陣屋史跡公園駐車場(駐車場)

 あつぎ郷土博物館(関連施設)

 太田善太夫陣屋(その他)

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