大庭城(おおばじょう)

大庭城の基本情報

通称・別名

所在地

神奈川県藤沢市大庭

旧国名

相模国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

大庭氏

築城年

室町時代〜戦国時代

主な改修者

太田道灌

主な城主

大庭氏

廃城年

永正9年(1512)

遺構

土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

藤沢御殿(神奈川県藤沢市)[3.2km]
村岡城(神奈川県藤沢市)[5.4km]
玉縄城(神奈川県鎌倉市)[5.7km]
梶原景時城(神奈川県高座郡)[6.4km]
落合館(神奈川県綾瀬市)[6.6km]

大庭城の解説文

大庭城(おおばじょう)は、神奈川県の藤沢市大庭にあった城。現在も残る多くの遺構からは、大きな規模をもった城であったことがわかる。

歴史・沿革
大庭氏の時代
平安時代の末期、この地は大庭御厨と呼ばれる伊勢神宮の荘園であった。この荘園は、桓武平氏の流れをくむ鎌倉景政(権五郎、景正とも表記)によって開拓され、伊勢神宮に寄進されたもので、のち子孫は大庭氏に改姓し、代々治めていた。

城を築城したのは大庭景親の父にあたる大庭景宗と言われている。「大庭の舘(たて)」とも呼ばれ、景親らの軍事拠点として重要な役割を果たしたと想定される。石橋山の戦いで源頼朝に勝ったものの、一族のほとんどは筑前(現在の福岡県)に渡ってしまうが景親は最後まで抵抗し、捕らえられ斬首される。その後兄の大庭景義の子である大庭景兼(小次郎景兼)が和田合戦にまきこまれ大庭氏は滅亡したとされていたが、現在では、筑後(現在の福岡)に逃れたという説が有力とされている。

大庭氏の子孫および一族の存続を示す具体的な記録の一つとして、相模国の大庭三郎景連が備後の新庄本郷に地頭として任命され、1213年(建保元年)、当地で築城した事例がみえる。のち大場氏と称した。なおこれも大庭城(または大場山城、本郷城などの別称あり)との呼称が残っている。

扇谷上杉氏の時代
扇谷上杉氏の家臣であり江戸城を築城した築城の名手太田道灌が鎌倉と糟屋館の中間地点のこの地に最新の技術と取り入れ築城工事をおこなったと言われている。しかしこの後相模を侵攻してきた北条早雲によって大庭城は落城してしまう。なおこの戦には「舟地蔵伝説」が残っている。

後北条氏の時代
東相模を制圧した早雲は大庭城を大改修したが、玉縄城を築城したので利用価値は低くくなり後北条氏が滅ぶと廃城になった。

現在
戦国時代の大規模な空堀や土塁などが残っており、大庭城址公園として保存されている。周辺は湘南ライフタウンとして開発されたが、二番構や駒寄など大庭城由来の地名が残っている。

大庭城の口コミ情報

まー武蔵守様[2017年02月02日]
大庭城址公園駐車場は土曜日午前10時までに満車(午前9時から開放)。徒歩5〜10分ほど歩きますが近くの『引地川親水公園』の駐車場(無料)を利用。こちら側入口から進むと空堀と土塁の一部を確認。公園化されていますが【からぼり】の石碑があったりと残存は多かったりしましたが見栄えの良さそうな堀は柵がされて立入禁止で観れませんでした。『大庭城碑』の石碑が南側入口方面(掘立柱建物址の先)にあります。

león飛騨守氏郷様[2016年04月04日]
アクセスは 辻堂駅北口から「隧道・駒寄経由湘南ライフタウン行」または「隧道・駒寄・桐ヶ谷経由湘南台駅西口行」(どちらも10~15分間隔程度)でバス停「大庭小学校」下車徒歩約10分。
駐車場は38台駐車可。休日やお花見シーズンは満車になるようなので公共交通機関をおすすめします。
公園ではありますが、土塁・空堀が良く残ります。また藪の中ですが一郭南端には堀切で区切られた小郭がありました。
城址のすぐ南にある舟地蔵には「北条早雲が大庭城を攻めた際、付近一帯が沼地でなかなか攻め入ることができず、沼近くに住む老婆から引地川の堤を切れば沼は干上ることを聞き出しましたが、北条方は秘密漏れを防ぐため老婆を斬り殺してしまい、その老婆を供養するため建てられた」いう言い伝えが残ります。

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