曽我氏館
曽我氏館([中村館 周辺城郭])
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曽我氏館の口コミ情報
2021年03月18日 国府参議城介
曾我兄弟の養父・曾我祐信の館
【歴史】
曾我兄弟の仇討ちで有名な曾我兄弟の養父である曾我祐信の館と伝わる。
築城年は不明だが、曾我祐信の父である曾我祐家が曾我荘を本拠としたことから、平安末期と考えられる。
曾我氏は室町時代には幕府の奉公衆にもなっているが、曾我荘に留まった一族もいたようで、永禄2年(1559)に曾我信正が北条氏康に叛旗を翻したが、逆に攻め込まれ、城に火を放ち、自害したと伝わる。
【遺構】
小田原城から北東6.8kmに位置し、剱沢川と森戸川に挟まれた台地上にあると推定されています。推定場所には、石碑と曾我一族郎党の供養御堂があります。
遺構はほぼ残っておらず、唯一曾我祐信・曾我兄弟の墓がある城前寺に土塁跡が残っている。
「新編相模国風土記稿」によると、方形居館(200~300m四方)で、外構えの土塁や、高さ2.5m前後の土塁で囲まれた館があったと記されている。小田原市が発掘調査をしたが、館にかかる遺構や発掘物は発見されなかった。
【感想】
曾我兄弟の仇討ちで有名な曾我氏の本拠地ですが、遺構自体はほとんどありません。
土塁があるという城前寺は、自分が訪れた時、門が閉まっており入ることが出来ず、曾我兄弟の墓を含め土塁を確認できませんでした。また、この城前寺は保育園になっているので、平日の訪問は難しいかもしれません。また、この城前寺の正面には、孝行阿弥陀と呼ばれる仏像があるのですが、これは赤穂浪士の一人・吉田忠左衛門兼亮の遺児が亡父の三十三回忌に造像したものです。日本三大仇討ちの二つが、この寺に関係しているのは歴史の面白い偶然だと思います。
【アクセス】
JR御殿場線・下曽我駅から徒歩で10分。
居館跡地は細道なので、車の場合は城前寺の駐車場に停めてください。
【写真】
1:曾我氏館跡石碑
2:説明板
3:曾我一族郎党の供養御堂
4:城前寺
5:孝行阿弥陀