土屋城
土屋城([真田城 周辺城郭])
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土屋城の口コミ情報
2024年08月08日 マグロ常陸介祐平
桓武平氏良文流の中村庄司宗平の三男、土屋宗遠の居館です。宗遠は、土肥実平の弟にあたります。頼朝の元で源平合戦において活躍し、甲斐源氏参戦の交渉も行っています。お隣の岡崎氏とは養子をもらうなど固い姻戚関係にありました。土屋氏は、室町時代までこの地を治めますが、明徳の乱で当主宗貞が討死し勢力を弱め、上杉禅秀の乱で敗北し、所領は大森氏のものになっています。
お城は、大乗院の南にあったようですが、風土記稿の書かれた江戸時代後期には、「遺形と覚しき所なし」とされているので、遺構は残っていないと思われます。大乗院の墓地の先の携帯電話の電波塔付近は堀切のようにみえ(写真4枚目)、周囲は何となく城郭の雰囲気を感じます(写真1,2,3枚目)。
城域には土屋一族の墓が並んでいますが、昭和10年に付近にあった墓石を集めたもので、元の姿ではありません(写真6,7枚目)。また、南西に1kmにある芳盛寺は古義真言宗の檀林所で、古くは阿弥陀寺と号し、土屋氏の菩提寺でしたが、大森氏の所領となると小田原城主大森芳盛?の諱から芳盛寺と寺名を変えています。芳盛寺には江戸時代この地を知行した旗本窪田氏の墓があります(写真8枚目)。