三増峠の合戦場跡
三増峠の合戦場跡([田代城 碑・説明板])
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三増峠の合戦場跡の口コミ情報
2022年02月05日 薩摩安房守義弘維新斎
北条氏と武田氏の一大決戦地である三増合戦場は、車だと記念碑を見逃してしまうでしょう。特に何もない場所ですが、小さい石碑の案内板があり、三増合戦の記念碑を見ると両氏の戦闘を想像し感慨深い。関東の有力大名が激突した場所は、ぜひ訪れたいもの。
2020年09月30日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
近隣にある田代城は津久井城を居城とした国衆の内藤氏とその一族が守りました☆三増峠の合戦☆この戦は武田氏VS北条氏の間で行われた戦☆武田氏と北条氏は抗争続けるも両者は和睦して甲相同盟が結ばれました☆これに駿河国の今川氏との同盟を結び3人の大名は甲相駿三国同盟を締結☆武田氏は信濃侵攻を行い北信地域において越後の長尾景虎(上杉謙信)と抗争‼️北条氏は北関東侵攻を行い同じく越後上杉氏と抗争☆両者は相互に協調して上杉氏に対抗して行く☆でも武田信玄はこの同盟を破棄して今川氏率いる駿河侵攻を開始☆さらにこれは北条氏との甲相同盟の破綻をも招き三増峠の合戦へ発展☆これによって北条領へ踏み込む武田信玄は滝山城などの北条方を攻撃したのち北条氏康籠る小田原城を包囲☆かつて上杉謙信が10万以上の兵力で落とせなかった堅城の小田原城☆武田信玄は城攻めはせず小田原城を包囲し3度にわたって挑発☆北条側はこの挑発には乗らず小田原城を出る事はせず武田軍は城下に火を放ち軍勢を引き上げます☆これに対して北条軍は後詰めの甲州街道守備軍の北条氏照、北条氏邦の軍勢2万が要所である三増峠に着陣し甲斐に帰国しようとする武田軍相手に有利に戦端を開く☆さらに北条氏政が2万余りを率いて北条氏照・氏邦の部隊と武田軍を挟み撃ちし殲滅する作戦を狙います☆北条氏政本隊は到着前で氏照・氏邦の部隊は先手を打って奇襲攻撃を仕掛けようとします☆これに気づいた武田信玄は部隊を3隊に分ける☆北条軍の攻撃を正面に受けつつ、1隊は津久井城の抑え1隊は山中に隠れ北条軍を横から急襲する作戦を取ります☆緒戦では北条軍有利に合戦は経過☆押す北条軍に武田軍は損害を受ける☆特に北条綱成が指揮する鉄砲隊が奮戦☆しかし黙っていないのが百戦錬磨の男、武田信玄☆志田峠に機動した山県昌景率いる武田軍の別働隊がより高所から奇襲に出ると戦況は一気に武田に傾く☆北条軍の背後、津久井城守備隊の内藤隊などの予備戦力は小幡氏、加藤氏ら武田軍別働隊に封じられる☆結果、馬力見せた武田軍は北条綱成の軍勢を押し戻す事に成功☆合戦が終わる頃に小田原城から追撃してきた北条氏政の北条本隊2万は荻野まで迫るも自軍の敗戦を聞きつけ進軍を停止し追撃はせず☆もし北条氏政の部隊が到着していたら…☆武田軍は追撃され逆に大敗していた可能性もあったかも☆