真覚寺
真覚寺([津久井城 寺社・史跡])
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真覚寺の口コミ情報
2024年09月07日 いれぶん[⭕️雁雁]
真覚寺
新編武蔵国風土記稿によると、応永18年(1411)に津久井城主・長山修理亮忠好が開基となって創建された。長山は長井の誤記であろうといわれている。
白鳳時代(7世紀後半)の作と伝えられる金銅薬師如来倚像(市指定有形文化財)は郷土資料館で展示。
梵鐘は万治3年(1660)、横川の鋳物師・加藤市郎衛門吉重の作。「施主千人頭・中村、志村、窪田家中の庚申人数六十人、散田村庚申待数輩百有余人」などの銘がある。
鋳物師・加藤氏は横川に住み、代々梵鐘等の鋳造をおこなった。大善寺(大谷町)の梵鐘は江戸初期の賀藤甚右衛長重作、相即寺(泉町)の銅造地蔵菩薩(万目供養仏)は江戸中期の加藤甚右衛白鎧作などがある。(ともに市指定有形文化財)
(案内看板全文)
九家十人(原、上窪田、上窪田、下窪田、石坂、志村、荻原、中村、河野、山本)の千人頭の、最大で半数が関わっている梵鐘です。およそ40年後(1699)に、同じように時刻を知らせる役割を担った上野町念仏院の時の鐘が、名主名こそ刻んでいますが千人同心の名を表していない事は、どう言う意味を持っていたのか。武士から商人へ、町で力を持つ者が変遷してきていたと解釈しました。
wikiでは"大江(毛利)氏の津久井三郎"とされている津久井城主が、同じ大江氏の流れとは言え、長井(長山)氏としている事は興味深いと思います。