津田城(つだじょう)

津田城の基本情報

通称・別名

国見山城

所在地

大阪府枚方市津田

旧国名

河内国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

津田(橘)正信?、三好氏?

築城年

延徳2年(1490)?、戦国時代?

主な改修者

主な城主

津田氏?、三好氏?

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切

指定文化財

再建造物

周辺の城

交野城(大阪府交野市)[3.3km]
高山城(奈良県生駒市)[4.4km]
水主城(京都府城陽市)[6.5km]
枚方城(大阪府枚方市)[6.6km]
草路城(京都府京田辺市)[6.7km]

津田城の解説文

※この城郭は2019年4月6日に名称と位置が変更となりました。

津田城(つだじょう)は大阪府枚方市津田にあった城である。

遺構
交野山から続く山稜の北端、国見山の山頂に位置する。別名、国見山城ともいう。

山頂を中心として階段状に曲輪が存在し、東・西・南の三方に土塁が巡る(『週日』)。北側にはほとんど防御施設が見られない。

城域は比較的大きいものの土塁や堀切などの造成は多くなく、全体として山の自然地形を利用した縄張りとなっている。

また、『現板』では、国見山城に加え、出城である城坂砦、後に麓に築かれた本丸山城を総称したものを津田城と呼ぶ、としている。

歴史
延徳2年(1490)、津田正信によって築城され、その後、津田氏4代約100年の居城となったという(『大系』、『現板』)。

しかし、『週日』ではこの説を否定し、戦国期に三好氏・松永氏が陣城として構築した可能性が高いとしている。津田城が、大和・河内・山城の三国の国境に位置することを考えると、大和から河内への進出を狙う三好・松永勢がその拠点として取り立てたとしても違和感はない。

また、現在見られる遺構から、有力国衆が長年本拠として使用したというよりも、戦国の動乱の中で臨時的に構築された城郭という見方の方が首肯できる点が多い。

いずれにせよ津田城は、天正3年(1575)4月に織田信長の河内侵攻によって落城している。発掘調査ではその時のものと思われる焼土層が見つかっている(『大系』)。

交通
JR片町線(学研都市線)津田駅から車で約10分

参考文献
『大系』:『日本城郭大系 第12巻』新人物往来社、1980年。
『現板』:津田城跡現地説明板。
『週日』:『週刊日本の城』デアゴスティーニ・ジャパン、2013年。

津田城の口コミ情報

ささきさん[2019年04月06日]
この城は当時この地を治めた津田氏の居城です。1490年頃、初代正信が国見山に築城されたと伝えられてます。3代目正明の時に三好長慶に従い津田氏の勢力は最も強大となりました。1564年に長慶が死去すると三好家は三好三人衆方と松永久秀方に分裂し、4代目正時は松永久秀方についたがため、三好三人衆に攻められて城を追われました。その後、正時は城主に復帰するも1575年に織田信長が機内平定に乗り出して津田城を攻撃、僅か4時間で落城したそうです。現在はハイキングコースとして整備されており国見山の山頂から見る景色は「市民が選ぶ枚方八景」に選ばれるほど絶景です。
アクセス JR津田駅から徒歩40分で国見山山頂。JR津田駅付近に駐車場有り。
遺構 土塁・曲輪・堀切・竪堀・虎口・土橋?・石積?

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